君が君ではない誰かであること

その場にいたのを覚えている

種子の薄い殻をやぶって出た

柔らかい若い芽を鹿が食むのは春だろうか

森の中を過ぎる風だけが

過去の確信を持たせる

嘘のように不自由だった少女時代の君の面影を

しずかにナイフで切り刻んで空に撒けば

冬の特別な雪の花が輝くのを

僕は知っていた


薄い殻をやぶって出た柔い芽を食む

春の喜びを黒く濡れた豆のような瞳に

花に劣らぬ美しさを見出し

僕は諦めた


谷底の沢は涸れ

底があらわになり

一昨年の夏に見た銀色の魚たちは姿を消し

木や土の香りだけが

変わらないの雪のなかの君が

隠れていたからだろうか


僕しか知らない夏の

君の微笑みを匂いを感じた

僕の知らない君の

微笑みもまだどこかに溶けて

残っているかもしれないと

鼻をクンクン鳴らしてみるけど

永遠に見つからないのだろう


そうして僕は

僕の知らない君を見つけることなどできない

西の空に太陽が沈むことへの焦燥を

抱かず生きることなど不可能になった

そうして僕は

いつか黄泉で再び出会うまでに

黄昏のなかに君を探す愚鈍な憧憬だけが

葉陰でどっしり腰を下ろして闇を待つ


まだ君は遠い


清澄な空を映し出す

夏のゆるい川の流れを覗き込んで

そこに映る誰かの顔を見て

いつか君へと辿るための幻影の道がないことに

絶望しそうになった記憶すら

僕からはまだ遠い


言葉と意味はきっと

君を失っていく淡い光を

雪でそそいで春の準備をしている詩だった

大切なモノを曇らせ

過去で語られる君の記憶の髪を切って

新しくして愛でて

会ったことない君にキスした


今日は

春の下拵え

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