尊さについて

高野ザンク

後輩とおかゆ

 ピンポーンとチャイムが鳴ったので、まだダルさの残る身体を引き摺って玄関のドアを開ける。ドアを開けると、新田が緊張した表情で立っていた。

「いらっしゃい。わざわざすみません」

「いえ、こちらこそまだ全快じゃないのにすみません」

 お互いにペコペコと頭を下げて、水橋は新田を家に上げる。

「けっこう学校から距離ありますね。思いの外時間がかかっちゃいました」

「歩いて来たんですか?僕でも自転車で通ってるのに」

 二人が勤める区立中学から徒歩だと30分はかかる。ヒールではなくパンプスとはいえ女性の脚では結構堪えるだろう。

「はい。公園の散歩がてら、と思ったので」

 水橋のアパートは駅名にもなっている公園の近くにある。彼女は駅を挟んで反対側に住んでいるので、あまりこちら側に来ることもないそうだ。気候も良いので、のんびり歩いてきたという。


 水橋が風邪をひいて休んでいると、午前中に新田から電話が入った。目を通しておいてほしい生徒のプリントがあるので、良ければ持っていくという内容だった。

 新学期早々に体調を崩してしまった申し訳なさもあって、微熱はあったが了承した……ものの、自分の部屋の雑然さに気づき慌てて大掃除を始めたので余計にぐったりしてしまったのだった。ただ、動いて汗をかいたおかげか、熱はすっかり平熱になっていた。


 めったに出さない折りたたみ式のちゃぶ台を出して、冷蔵庫から烏龍茶を出してもてなす。新田はそれを一口二口飲むと、プリントの入った封筒をちゃぶ台に乗せた。水橋はそれよりも彼女の背中の後ろの買い物袋に目がいった。

「今日、水橋先生におかゆつくろうと思って食材買ってきました」

 目線に気づいて新田が答える。

「え?!そんな、わざわざいいですよ」

「せっかく来たんですし、先生には教育実習のときにお世話になってますから。恩返しだと思って、ご遠慮なく」

 台所お借りしますね、と立ち上がって小さな台所の上に、買ってきた食材を並べ始めた。

「ごはんはレトルトの奴ですけどね」

「いや、なんだって作ってもらえればありがたいです」

 ちょっとぞんざいな言い方だったかな、と不安になったが、新田は特に気にしたそぶりもなく着々と支度を始めていた。


 封筒を開き、中を見る。『尊さ』について自分の考えを書きなさい、という自由感想文のプリントだった。道徳の時間の課題だったらしい。

「私も読んでみましたけど、クラス替えしたばかりだし、生徒の性格を知るためには、やっぱり担任の水橋先生に読んでもらっておいたほうがいいと思って」

 新田は今年2年4組の副担任になった。教師になって2年目にしては異例の抜擢で、本人にも少し気負うところがあるようだ。

 読んで見ると、4組の生徒がそれぞれの『尊さ』について作文を書いていた。パッと見た限りではあるが、どれも好きなアニメキャラやらアイドルについて、はたまた「クラスの女子生徒のスカートの短さが『尊い』」などと書く者もおり、道徳の授業で求めている答えとは少し違う感じがするな、と水橋は思った。

「読んでみると中2ってまだ子供ですね。それと言葉の意味って世代によって変わってくるんだなーと実感しました。私だってまだまだ若いつもりだったのに、『尊い』の意味は、私の考えるのとはちょっと違うかな」

 新田がそう言うのだから、さらに5年は先輩の自分には当然だなと思う。


 溶き卵を入れておかゆが完成したようで、鍋ごとちゃぶ台に持ってきた。水橋は手元にあったタオルを鍋敷き代わりに敷くと、その上に新田が鍋を乗せる。

「とはいえ、私だって『推しは尊い』とか言いますけどね」

 新田は去年解散した男性アイドルグループのファンで、デスクにブロマイドを飾っていた。

「いざ、尊いってなんだ、と言われると難しいね」

 息を吹いて冷ましたおかゆを食べる。今ひとつ味がしないのは鼻詰まりのせいか新田の腕前のせいか。それでも「おいしいです」とだけ言って二口目を口に入れる。


「水橋先生はどう思います?尊いってなんですかね」

「そうですね、今日の新田先生ですかね」

「なんですか、それ?」

「わざわざ病人の家にプリントを届けてくれて、おかゆまで作ってくれる。それはやっぱり尊いです」

「うーん、なんだか生徒と変わんない感じの答えですけど、、、褒められてると思って受け止めます」

 そう言って新田は屈託なく笑った。その笑顔もまた尊いなと水橋は思う。


 水橋がちゃんと食事を終えるのを見届けると、新田は「じゃあまた月曜に」と言って立ち上がった。玄関まで見送ってドアを開けると、欄干越しに見える公園の緑が夕日を浴びて黄金色に染まっている。二人はしばらく黙ってその光景を眺めていた。

「水橋先生」

 ふと新田が切り出す。

「この1年、生徒たちにとって尊い年になるように頑張りましょうね」

 新田が自分に言い聞かせるような口調で言ったのが少し気がかりではあったが、その素直さをちゃんと支えていかないとな、と水橋は思った。


 遠ざかっていく新田の後ろ姿を見えなくなるまで見送って、水橋は改めて『尊さ』というものについて考える。

 国語教師としては恥ずべきだが、その答えは今日、まだ出そうもなかった。

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