Spicalineに咲く花の名は

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Spicalineに咲く花の名は

 パタ パタ パタ…


 すっかり暗くなった校舎に、上履きで走る音が妙に響いていた。


 時刻は夜の6時頃。

 普段なら生徒は全員帰っていて、校舎には警備員や教師以外はいないはずだ。


 特別棟の2階で、音の主である

 春野はるの 咲來さくらはタオルや着替えの入った大きめの荷物を両手で抱えながら小走りしていた。


「何でみんな、先に帰っちゃうのよ〜…」



 ***



 季節は秋。

 咲來の学園では毎年、体育祭と文化祭を合わせたような恒例行事を行っていた。

 その中でも、有志の学生達のパフォーマンスは毎年人気だ。

 そしてこれは、競技に出ない生徒やスポーツは苦手だけどパフォーマンスならば、という生徒たちの新しい参加方法の一つとして機能しているものだ。


 内容としてはその年のテーマに沿って踊ったり集団行動をするというもので、人数は100人前後居る。

 なので、練習にはどうしても大きな音が出てしまう。そのため、普段授業で使っている教室とは違う特別棟を使っていた。


 そして今年。数人のチームリーダーの内の一人に咲來は選ばれ、張り切って練習やリーダーとしての仕事をこなしていたのだが。

 どうやら金曜日の今日は、チーム練習が長引いたせいかみんなは早々に帰ってしまったらしい。


「まぁ、後片付けに手間取って20分以上時間かかった私も悪いんだけどね…」


 口ではそう言いながらも、やはり一人ぼっちは何だか怖い。

 いつもは賑やかな校舎は窓から差す月明かり以外は光源がなく、転ばぬように足元を見ながら小走りで下駄箱のあるいつもの棟へ戻ろうとしていた。


 その時。


 不意に、曲がり角の向こう側から足音が聞こえた気がした。


「まさか…ね…」


 今日は咲來のチームの練習が一番遅く終わった上に、チームメイトはみんな先に帰った筈だ。普通に考えて足音がするはずがない。

 きっと疑心暗鬼になっているのだと自分に言い聞かせ、歩を進めた。

 しかし、しばらくすると気のせいだと思っていた足音が確かなものへと変わっていく。ゆっくりとした足音だが、確実にこちらへ向かっているようだ。


 曲がり角までもう少し。

 正直怖い。


『そういえば、特別棟には出るらしいよ…』


 いつだったか友達が言っていた言葉が頭をよぎり、何で今思い出すのよ!と頭を振って思考を切り替えようとしたが、上手くいかなかった。手が微かに震える。心臓もバクバクとうるさい。

 無意識に荷物を抱きしめる両腕に力が入る。


 咲來の足はとうとう、恐怖ですくんで動けなくなってしまった。


 そんな間にも足音はどんどん近くなり、遂に曲がり角から足音の正体が姿を現した。


「ひっ…」


 思わず目をつぶり、情けない声が出てしまう。

 しかし、そんな咲來に少し驚いたような声がかかった。


「…春野さん?」

「へ⁉︎わ、私に幽霊の知り合いは居ません!」


 自分の名前を呼ばれ、上ずった声がでる。


「ちょっ、幽霊じゃないですよ⁉︎酷いなぁ…」


 笑いを含んだような、それでいて少し困ったような声にあれ?と思い閉じていた目を開いた。


 いつの間にか涙目になっていたようで視界がぼやけていたが、相手は幽霊じゃなさそうだ。

 そして段々目の焦点が合っていく。

 そこにいたのは


「ひゅ、日向ひゅうがさん?」


 あまり話したことのない、クラスメイトの日向さんがトートバッグを肩に掛けた私服姿で立っていた。


 ***


「春野さんって、幽霊苦手なんですか?」


 日向さんは、温かいココアの缶を手渡しながら聞いてくる。


 今、二人は特別棟一階の自動販売機の前に居た。


 日向さんはクラスの大人しいタイプの女の子だ。

 いつもは下ろしている綺麗な黒髪を今はシュシュでひとつに纏めているからか、雰囲気が違う。


「あ、お金…」


 慌てて色々入っている荷物から財布を出そうとすると、


「いいですよ、さっき驚かせてしまったお詫びです。」


 と楽しそうに言った。

 いや、楽しそうではなく、完全に楽しんでるのだろう。

 悪気はないとは分かっているが、気分が悪い。

 嫌な思い出がふと蘇る。


「…馬鹿にしてるの?」


 思わず出てしまった声は、とても暗いものだった。


「え?」


 日向さんの声を聞いて「しまった」と思ったが、言ってしまったものはしょうがない。


「…この怖がり、馬鹿にされたことがあるのよ…」


 ココアの缶を開け、飲みながら咲來は話し始める。


 あれは、中学1年のときくらいだっただろうか。

 今もそうなのだが、咲來の背は平均より高めだった。

 その上目は吊り目な方だったので、少しキツい印象を与えてしまう。

 "さくら"という可愛い名前に合う外見の部分は、ふわふわとした少し癖の付いた髪の毛くらいだ。

 なのに、性格は可愛いものが好きで怖がりなのだ。

 それがばれた時、心ない男子に言われたのだ。

『お前みたいなやつでも怖いものなんてあるんだな。相手の方が怖がって逃げんじゃねぇの?』

 笑い混じりの声だった。

 それは今でも思い出すだけで心がチクリとする思い出だ。

 なんだか自分を否定されているような気がするのだ。


 そのことを、日向さんに伝えた。

 日向さんは黙っていて、自分も何で話しちゃったんだろうと少し後悔して、残りの少ないココアを飲み干した。

 しかし。


「え…と、気分を悪くしちゃったのならごめんなさい。別に、馬鹿にしたわけじゃ無いんです。」


 そこで自分も気づく。

 今のは完全に八つ当たりだった、と。


「いや、私もごめ…」

「ただ…」

「…た、『ただ』?」


 謝りかけた咲來の言葉に被せて言葉を重ねた日向さんは、一旦言葉を区切り、少し逡巡してからこう言った。


「可愛いなって…思ったんです。」


「…………………は?」


 随分間抜けな声が出た。思わず両手で持っていたココアの缶を落としてしまった。

 飲み切っていて本当に良かった。

 日向さんは照れているのか少し顔を赤くしていたが、赤くしたいのはこちらの方だと思った。


「私、幽霊とかそういうの怖くないんですよ。そのせいで『可愛げがない』とか言われることがあるんです。その意味が今迄よく分からなかったんですが…今日、分かった気がします。」


「そ、そう…」


 今度こそ咲來の顔は赤くなっていた。

 怖がりを馬鹿にされることはあっても、まさか可愛いと言われるとは思わなかった。

 背が高くかっこいいと言われる方が多いので、可愛いと言われるのも慣れない。

 慌てて話題を変える。


「そ、そういえばさ…日向さんは、何でこんな時間に学校に居るの?」


 口に出して、本当に何で居るんだ?という疑問が上がる。

 確か、日向さんはパフォーマンス不参加だった筈。

 仮に参加していても、今日は咲來のグループ以外はもうみんな家に着いている頃だろう。

 そんなことを考えながら日向さんの瞳をじっと見ていると、彼女は悪戯っ子のように笑い、唇に人差し指を添えた。


「…秘密ですよ?」


 声を潜めて言った言葉は、少し楽しそうだった。


 ***


「日向さんって、結構ワルだったんだね?」


 夜の静かすぎる渡り廊下に、2人の上履きの音と咲來の声が響く。


「正規ルートから取ってきましたよ?」


 チャリン、と軽い金属音。

 日向さんの右手には、2〜3個の鍵を紐で一つにまとめられているものがあり、それは彼女が肩に掛けているトートバッグから取り出したものだった。


「…まさかとは思うけれど、盗んで来たものは正規ルートとは言わないよ?」

「ちゃんと先生から譲り受けたものですよ。」


 怪しい…

 何処か楽しそうな彼女に、そう思わずにはいられなかった。


「あ、今 怪しいって思ったでしょう?」

「えっ!?」

「春野さんって、顔に出やすいんですね。大丈夫。本当に正規ルートですよ。」


 ………エスパーかと思った。


 日向さんは面白そうに笑いながら、階段をどんどん登っていく。

 この先にあるのは、確か…


「実は、これって部活なんです。天文学部のね。」

「…ってことは、それは屋上の鍵?」


 その言葉にふふっと笑うだけの返事をした日向さんは、屋上の前に立つと幾つかある似ている鍵の中から屋上の鍵を見つけ出し、扉を開いた。

 慣れている動作を見ると、これが初めてではないのだろうということが分かる。


 キィ…と小さい音を立てた扉をくぐった先には



 夜の真っ暗な空に星が広がっている。

 けして多く見えるわけではないが、少ないわけではない。

 それぞれの星が、一つひとつ輝いて…


「…何か、綺麗…」


 思わず、そう呟いてしまうくらいには綺麗だった。


「でしょう?」


 日向さんはそう言って笑うと直ぐにずっと持っていたトートバッグから取り出したタオルを敷き、その上に頭を乗せて寝転がった。

 制服じゃなかったのは、汚さないためだったらしい。


 持っているトートバッグや私服であることが少し気になっていたので、これでスッキリした。


「春野さんも、どうですか?」


 私は制服なんだけど…と一瞬思ったが、自分の大きめの荷物を見て言うのをやめた。


「そうね。」


 そう一言 言うと、今日のパフォーマンス練習で汗拭きとして使っていた薄手のバスタオルを敷いて、その上に寝転がった。

 フェイスタオルじゃ足りないほど汗をかくわけではないが、パート毎での練習もするのでその間は汗が乾いて寒いのだ。

 そのために身体を包んで保温としても使えるようにバスタオルにしていたのだが、思わぬところで役にたった。


 しばらく2人で無言で星を見つめる。

 普段あまり空を見上げないからか、飽きることなく星空を眺めていた。


 どのくらい経った時だろうか。

 日向さんが、口を開いた。


「…実は私、ずっと春野さんとお話ししてみたかったんです。」

「え…、私と?」


 正直驚いた。

 女子というのは大体何人かのグループに分かれていて、二人も例外ではない。

 そして、咲來と日向さんはそれぞれ違うグループだった。

 話さないことは無いが、仲が良いわけでもなかった。

 知人以上、友人未満…

 そんな関係だ。


「…最初は、春野はるの 咲來さくらっていう名前に興味を引かれたんです。」

「名前?」


 日向さんは理由を話し出す。


「だって、『春の桜』って…ふふっ、可愛い名前なのに駄洒落っぽくて…」

「な、何も笑わなくても…」


 少しどんな理由か期待していた分、笑われたことに拗ねてしまった。


「でも」


 日向さんの声が、急に真剣なものに変わる。


「それで気になって春野さんを見ていて気づいたんです。」


 真剣な声に、思わず喋れなくなってしまう。


「春野さんが、優しい人だってことに」

「…っ!」

「春野さん、いつも朝早くに学校へ来て掃除してますよね。私、朝は図書室で予習していて教室が丁度見えるんです。毎朝誰も気づかないし感謝するわけでも無いのに。」

「だって、それは…」

「誰かがやらなければいけないこと、ですか?それでも、それを率先して見返りを求めずに実行できる人はそう多くは居ませんよ。」


 胸が熱くなった。

 誰も気づいていないと、気づかれなくて良いと思っていた。

 思いもよらない人に、思ってもいないところで褒められた。

 それは、思わず笑顔になってしまうには充分なことで。

 日向さんは、その後に咲來以上の満面の笑みでこう言った。


「春野さんは、貴女が思っている以上に素敵な方ですよ。」


 少し赤くなった顔で小さく呟いたありがとうの言葉は、果たして日向さんに届いたのだろうか。


 ***


 時刻は夜の7時過ぎ。

 帰ろうとした時間から大分経ってしまっていたようだ。

 流石にお腹も空いてきたし寒くなってきたので帰ろう、という話になった。


「あーあ、日向さんが男の子だったら恋にでも落ちそうなのに…」


 だれに言うでもなく呟いた。

 短い時間だったけれど、日向さんの言葉にとても胸が熱くなった。嬉しかった。

 男の子だったら、完全に惚れていただろう。


 だから…


「…今日の言葉、嬉しかったから。あの…その…ありがとう、ね。」


 日向さんの服の裾を掴んで引き止め、今度は ちゃんと聞こえる声で感謝の気持ちを伝えた。

 何だか、改めて言うのは恥ずかしかった。

 顔が熱く、赤くなっていることが自分でもわかる。

 日向さんは咲來の言葉と真っ赤な顔に一瞬驚いた顔をしたが、すぐに顔を綻ばせた。


「いえ、ずっとお話したかったので。…こちらこそ、ありがとうございます。」


 駅までの帰り道。

 日向さんは唐突に呟いた。


「そういえば、先程話そびれてたのですが………私が春野さんに興味を持った理由はもうひとつあって、私も少しだけ同じだからなんです。」

「同じ?」


 何のことだろうと思っていると、日向さんが、私の下の名前を覚えていますか?と問いかけてきた。


「下の名前?確か…」


 少し考え、


「葵、だったよね?」

「そうです。苗字と繋げると?」

「ひゅうが、あおい…日向ひゅうが あおい


 あ、もしかして…


向日葵ひまわり?」

「そうなんです。よく そう読み間違えられるんです。」


 一文字 順番が違うけれど、確かに字面はよく似ている。


「私達、お花 繋がりだったんだね。」

「まあ、そんな不思議な繋がりもあったので、春野さんが余計に気になってたんですけどね。」


 そんなことを言いながら優しく微笑む日向さんに、自然と咲來も笑顔になる。


「………実は日向さんは男の子で日向くんでした!とか、本当に無い?」

「残念ですが、生物学上 歴とした女性ですね。」


 そんな軽口を叩きながら、駅へ向かう。


 1時間前までは知人以上友達未満だった人が。

 気づけば軽口を叩き合えるくらいにまで仲良くなっている。




 …今日は、素敵な1日だった。

 だって、素敵な友人が出来たのだから。

 二人は口には出さなかったものの、同時に同じことを思ったのだった。






 その後、どちらからともなく話し足りないからと一緒にご飯を食べることになった。


 ご飯を終えて帰る頃には「葵ちゃん」「咲來ちゃん」呼びになっていて、その後二人は親友になるのだが…




 ──それはまた、別の話だ。


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