第26話 「彼女」5
「本当に⁉」
小さな喫茶店の窓際で荒川は驚き、「彼女」を見ている。
似つかわしくない場所で、二人は向かい合い、世間から隠れるよに身を潜め、小さな声で会話する。
深刻な表情をしている「彼女」の顔が、荒川には“悪夢”のように思えた。
絶望の眩暈がクラクラと荒川を襲い、「彼女」が遠くに見える。
白昼夢の眩暈の中で、途方に暮れる荒川の顔を見ながら、「彼女」は小さく頷く。
「…そうか…。」
テーブルには、一枚の写真が置かれていた。
その写真には、小さな命が映っている。
「…本当に、…俺の子なんだな…。」
その言い方は“嘘であって欲しい”と言う、荒川の想いが混ざる言い方だった。
「当たり前じゃない!そんな言い方…ヒドイ…。」
「彼女」は大粒の涙を真珠のようにポロポロと零し、荒川を攻めた。
「ス、スマン!言い方が悪かった。そう言うことじゃないんだ。」
荒川は周りの客を気にしながら、慌てて「彼女」に取り繕い、なだめる。
「…いや、ほら、何て言うのかな…確認と言うのかな、俺には家族があるワケで…そのなんて言うか…。」
どうしても、その先の言葉が、荒川は言えないでいた。
どうしても言いたい言葉ではあったが、言えば「彼女」がまた泣くかもしれない。いや、確実に泣く。そうなれば、どうしたって人目に付く。
せっかくバレないように、普段、使うことがない小さな喫茶店を選んだというのに、ここで泣かれたら意味がない。
しかし、“産んでくれ”なんて、口が裂けても言えないし、「彼女」の口から“産む”と言う言葉も聴きたくない。
どうやって、「彼女」を説得すればいいのか。次の言葉が出て来ない。
「…私、…産む気はないの…。」
ハンカチで頬を抑えながら、「彼女」はポツリと、うつ向いたまま答えた。
「えっ⁉」
意外な答えに、荒川は驚いた。
「…今、何て…言った?」
聞き間違いではないかと思い、荒川は聞き返す。
「…自信がないの…それに、あなたを困らせるようなことは、したくない。…あなたの家庭を壊す気はないの…だから、だから…。」
自分のお腹を掻きむしるように掴み、「彼女」は唇を噛んだ。
「彼女」の苦しく、胸を引き裂くような感情が頬を伝い、とめどなく溢れ、嗚咽する。
「わかったよ!華穂の気持ちは良くわかった。…だから、泣かないでくれ。」
取り乱した「彼女」を、優しい言葉で荒川が落ちるかせる。
「…ごめんなさい。…大丈夫…。」
いつもと違う「彼女」のか弱い声に、荒川も眉間に皺を寄せ、「彼女」よりも悲痛に満ちた表情を見せ、ゆっくりと話し出す。
「…そうか。華穂が決めたなら、俺もその気持ちを尊重したい。…残念だけど、その子は諦めよう…。」
「…そうね…。」
その言葉と相反するように、雨粒の涙が、「彼女」の
「ちゃんと、そのあとの面倒は、俺が見るから!」
「…ホント?」
潤んだ
「あぁ、約束するよ!責任はちゃんと取るから!信用してくれ!」
「彼女」は小さく頷き、荒川の言葉を信じた。その姿を見て、ホッとしたのか、荒川 の話し方が饒舌になる。
「ウチに入院すればいい。一番いい部屋を取っておくよ。華穂は何にも心配しなくいていいから。あとは俺に任せてくれ!」
まるでホテルのスイートルームを取るかにように、荒川は声を弾ませ「彼女」に語りかける。
「…ありがとう。」
思った通りの展開に、「彼女」は少々、辟易していた。
どの男も最初は動揺し、狼狽えるが、産まないとわかった途端、急に態度が大きくなり、寛容なフリをして、「彼女」を慰める。
どの男もそう。田川も、沼池も、見ていたのかと思うほど、そっくりなことを言い、似たような表情をする。
それが、三人目となると、「彼女」もいい加減ウンザリだ。荒川の顔を見ているだけで、胸やけしそうだ。
つまらない男の三文芝居ほど、心底、気持ち悪いものはない。
ムカムカと腹の中から湧き出て来るドス黒い感情を、ハンカチで必死に抑えながら、「彼女」は弱々しく、笑って見せる。
何はともあれ、これで一生、「彼女」はお金には困らなくなった。自由に使えるキャッシュカードを手に入れたのだ。
今の現状に、「彼女」は退屈していた。
そろそろ、次のステップに進む時だ。
そのために「彼女」は、男を選んできた。
そのために「彼女」は、登り詰めてきた。
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