第18話 本性

次の朝、テレビ、ネット、すべてのマスコミは、志田の書いた記事で溢れ返り、咲き乱れていた。

新作の話題ということもあって、報道はいつも以上に過熱し、クラウドに熱い視線が否応なしに注がれる。

ありもしない新作の話に振り回されればされるほど、人々は志田の書いた記事の中心に集まり出し、その記事の中から真実を見出そうとする。


文字通りsuper womanは飛ぶように売れた。


志田の記事に苦しめられていたのは、他でもない「女王」だ。

クラウドに注がれた否応なしの熱い視線は自ずと、「女王」に向けられる。なにせ、クラウドの絵が欲しければ、列を作り並べ、と言った張本人。餓鬼の群れは従順に「女王」の前に並び、列を作る。

今は昔。最早、世界の中心ではなくなった「女王」に気付く者は誰もおらず、「女王」を信じて、従順に列を作り並ばれるのだから、堪ったものじゃない。


志田の記事に「女王」が、一番振り回されている。


しかも厄介なことに、志田の書いた記事の内容が、事実だった。


・江口が初めて、クラウドの絵を持参したその日に、いきなり四百万の高値がついたこと。

・当初、クラウドが「女王」を信用していなかったこと。

・「女王」が、三枚の絵を三時間もかからず、売却したこと。


内部の人間でしか知り得ない情報が七ページにわたり、事細かく書かれており、新作の話が本当であると信じるには、十分な内容だった。


この十分な内容に嘘が紛れていると誰が思うだろうか?

一番肝心なところだけ事実ではないと誰が信じるだろうか?


その答えは super womanの売れ行きを見れば一目瞭然。志田の書いた記事の中にだけ新作が存在し、嘘が事実に。事実が嘘になっている。


事実の記事の中で、「女王」は苦境に立たされている。





「本当に申し訳御座いませんでした。」


貴婦人の机の前で、田中は膝に額がつくほど体を曲げ、「女王」に謝罪する。


「私が会場にいたら、何かお役に立てたかもしれないのに…。本当に申し訳御座いません。」


田中は秘書としての落ち度を感じ、「女王」の前で、腰が曲がるほどの謝罪をしたが、もし、田中が会場に居たとしても、あの波を抑えられたとは思えない。「女王」にでさえ無理だったものが、新人の秘書に抑えられたとは到底思えない。

しかし、田中は謝罪せずにはいられなかった。

そもそも、記者会見を提案したのは田中だ。罪悪感を持ってしまうのも仕方がないが、田中が謝罪したところで、新作の話が消えるワケでもなく、「女王」が立たされている苦境が改善されるワケでもない。


「女王」に対し、田中が今、出来る事は精一杯の謝罪だけだった。


「別にあなたのせいじゃないわ。私が油断してただけよ。」


そう言われてしまうと田中も返す言葉がなく、申し訳なさそうな顔で「女王」を見るしかなかった。


「女王」は読んでいたsuper womanを貴婦人の机の上に、ポンと放り投げた。


見開いたページには、志田の記事が楽しそうに躍っていたが、主演女優の記事はアリバイ程度に載っているだけで、扱いは小さい。

これはsuper womanに限ったことではなくて、各社、各局、似たような扱いで、主演女優の素晴らしい演技は誰の記憶にも残っておらず、真っ赤な薔薇は白い蓮の花に彩りを添えるオマケとなっていた。


そのオマケが載る記事を見て、田中はポツリと呟く。


「この内容からすると、江口という男も関わっていたんですね…。この内容はあの時、ここに居た人間にしかわからない内容ですから…。」


「そうね…。」


「…しかし、クラウドという人物は一体、何者なのでしょうか?冷静に考えてみると、誰も会ったことがないんですよね。社長でさえも会ったことがない。それなのに話しだけが、ドンドン前に進んで、肝心のクラウドのことについては何もわからずじまい。」


「そうね…。」


「もしかしたら、江口がクラウド本人である可能性もあるんじゃないでしょうか?彼以外、会ったことがないんですから、あり得る話ですよね。」


「そうね…。」


「女王」の気が少しでも紛れればと思い、田中なりに考え、話しをするのだが、「女王」の心、ここに有らず。空返事をするだけ。

それでも、田中は話しかける。今、出来る事を精一杯するしかなかった。


「仕事はすべてキャンセルしましたので、ゆっくり休んでください。」


「そうね…。」


「とは言っても、今日一日しかないんですけどね。」


「そうね…。」


田中の話しなど「女王」は聴いていない。目の前の壁に飾ってあるクラウドの絵を見つめていた。

江口が最初に持って来たクラウドの作品だ。

最悪の場合、この絵を新作として、発表するしかないと考えていたが、正直、「女王」は躊躇していた。

本心を言えば、クラウドの作品を一枚たりとも渡したくはない。すべての作品を手元に置いておきたかったが、そうもいかず、泣く泣く、手放して来た。


最後に残った最初の一枚。


この絵だけは守りたいという欲求が「女王」の中には強く渦巻いている。


もし、この城からこの絵がなくなったら、この空間がどれだけ味気なく、殺風景なものになることか。

「女王」は、それを想像しただけでも、ツラい気持ちになる。

それほどまでに「女王」はクラウドに心奪われていた。それはもう理屈ではなく、「女王」の感性に共鳴し、心が離れられないものとなっていた。


この期に及んでも、「女王」は決断できないでいる。




日が傾きかけても、「女王」はクラウドの絵を見続けていた。


今日一日、「女王」はこの部屋から出ていない。

テレビも新聞も見ていない。見てもロクなことはなし、新作のことなど考えたくもなく、このまま一生、誰にも会わず、隠れていたい気分だった。


「女王」が「女王」の城で、籠城していた。


そんな「女王」を癒し、現実逃避させてくれていたのが、クラウドの絵。「女王」は飽きることなく、見続けている。


貴婦人の机のインターホンが鳴る。「女王」はクラウドの絵から目を離すことなく出る。


「何?」


「今、お時間よろしいですか?」


「いいわよ。」


「それでは、そちらに向かいます。」


田中が秘書室から黒いファイルを持って現れ、貴婦人の机の前で止まるが、もちろん、「女王」が田中を見ることはない。ずっと、絵を見続けている。そんな「女王」に気を使いながら田中は話し出す。


「…社長。江口の居場所がわかりました。」


「えっ⁉」


「女王」は今日はじめて、田中の顔をしっかりと見た。


「あの男の居場所がわかったの?」


「はい。」


田中は力強く答えた。


「…それ、ホント?」


疑いたくなる気持ちもわかる。今まで音信不通、消息不明だった江口の居場所が、突然、わかったと言われれば、疑いたくもなる。「女王」でさえも、同じ反応になる。


田中を見る「女王」のは疑心の色で溢れていた。しかし、田中のは「女王」とは対照的に、揺るぎない自信で溢れている。


「本当です。間違いありません。」


そう言って、田中は黒いファイルから写真を一枚、「女王」に差し出す。


確かに、その写真には、江口の顔が映っている。


「この前、江口が、ここへ怒鳴り込んで来たことがありましたよね。」


「えぇ…あったわね。」


「私が室長に確認を取るため一度、秘書室の戻った時、実は以前、依頼した探偵に連絡をして、江口を尾行してもらっていたんです。」


「ホントに⁉」


青天の霹靂。


姿をくらまし、どこにいるのかさえわからなかった江口の所在が突然、わかったのだから「女王」だって驚く。


「今まで、江口はホテルなど寝床を点々として、なかなか居場所が特定できず、はっきりとしたことがわかるまで、社長にご報告するのを控えていたのですが、先ほど、探偵から連絡があり、やっと、居場所がわかりました。」


田中は、黒いファイルから、また一枚の写真を取り出す。

そこに映っていたのは、二階建ての古びた安アパートの写真だった。


「ここから、そう遠くない場所に、アパートを借りていました。」


そして、もう一枚、田中は「女王」の前に写真を差し出す。


次に映っていたのは、アパートの二階の部屋から出て来る江口を隠し撮りした写真。


「間違いありません。ここ数日は、そこで暮らしています。」


さらに田中は、もう一枚、「女王」に写真を差し出す。


映っていたのは、買い物袋を持ってアパートに入ろうとする江口の姿。


「女王」は穴が開くほど写真を見続け、田中の言っていたことが本当なのだと理解した。

これは「女王」にとって朗報。またとないチャンスだ。

江口の居場所がわかれば、あとは描かせればいいだけ。あと一枚、たった一枚描かせれば、この苦境から逃げ出せる。金に糸目はつけない。好きなだけくれてやる。それで、すべて解決。「女王」の頭をもたげた暗雲も晴れる。


やはり禍は「女王」を避け、逃げて行く。


「ただ、残念なことにクラウドの所在はわかりませんでした。一緒に住んでいる様子もないですし、探偵からもクラウドに会っているという報告も受けてません。もう一歩なところだったのですが…期待に添えず、申し訳御座いません。」


朝同様、田中は膝に額がつくほど体を曲げ、「女王」に謝罪するが、「女王」は頭を下げている田中に向かい「…上出来よ。よくやったわ。ご苦労様。」と、田中にはじめて、労をねぎらう言葉をかけた。

「女王」は人に労などねぎらわない。人の“労”など知ったことではないからだ。そもそも“人に労をねぎらう”という精神があるのさえ疑問だ。

その「女王」が、田中のためにねぎらいの言葉をかけたのだから、これもある意味、青天の霹靂みたいなもの。


田中は頭を上げ、「女王」からねぎらわれたことを嬉しく思い、顔がほころぶ。


「それじゃあ、すぐ行って、クラウドに絵を描かせるよう説得してきて。」


そう言われた途端、田中の顔にあった青空は、たちまち雨雲が垂れ込め、暗い表情になった。


「…どうしたの?」


人に興味のない「女王」も突然、浮かなくなった田中の表情を見れば、さすがに声をかける。


「それは…その…まだ…早いかと…。」


ハキハキと話していた田中が急にモゴモゴと、小さな声で話し出した。


「何?どうしたの?」


原因がわからず「女王」も、どうしていいのかわからない。それを感じた田中は意を決し、「女王」のを真っ直ぐと見て、


「とても言いにくいことなのですが、…この一件に、室長が関わっている可能性があります。」


「はぁ?何、言ってるの?」


普段、聞かれない調子外れの声が「女王」の口から出て来た。


田中が真剣な顔をしたから、何を言うのかと思っていたら、“この件に遠藤が関わっている” だなんて、冗談にしてはセンスがなく、本気だとすればマヌケな話だ。


呆れて相手にしてくれない「女王」に、田中は黒いファイルを開き、「女王」に渡した。


「これを、ご覧ください。」


そこには、三つに束ねた書類と帳簿のコピー。そして、いくつかの口座番号が資料としてまとめてあった。

その書類に記載されている金額には、七つ以上の0が並んでいる。


「女王」には何の資料なのか、さっぱりわからず、苛立ちにも似た顔で、田中を見た。


「何?これ?」


田中は静かに話し出す。


「先日、経理に方から資金の流れに不備があるという指摘を受けまして、その…調べたところ…。ここの欄を見て下さい。」


田中は見て欲しい部分を指でさし、「女王」に教えると、そこには “遠藤”の印鑑やサインが載っていた。


「これが?どうしたの?」


「室長のところで、お金が消えています。」


「えっ⁉」


田中はハッキリと「女王」に告げた。そのは、江口の居場所を報告した時と同じ、揺るぎない真実を語っているだった。


「ウ…ソ、でしょ…。」


言葉が詰まり、「女王」の口から出て来ない。そのは田中とは対照的に、震え、揺れていた。


「残念ですが、事実です。」


田中は感情的になることもなく、事実を淡々と話す。


「いくら?」


「約2億です。」


「2億⁉」


何度目かの青天の霹靂。

その金額を聞いて「女王」は、倒れるようにイスの背もたれに躰を預けた。


あり得ないことが起きてしまった…。


ライヘンバッハの滝からモリアーティが蘇り、アメリカ人の首相が誕生してしまった。


あまりの衝撃で、「女王」の思考が完全停止する。それに気付いても、田中は報告を続けるしかなかった。


「私も何かの間違いではないかと思い、何度も調べたのですが、やはり、室長のところで、お金が忽然と消えています。」


「女王」は唖然とした顔で、田中の話しを聞いている。朝とは違う心ここに有らずの状況だ。

それでも田中は話さなければなかった。目を覆い、耳を塞ぎたくなる話だが、これを「女王」に話さなければ、何も前には進まない。


「昨日、お時間を頂き、会場を離れたのは、このためです。色んなところへ行き、確認をしましたが、いつもそこには室長が名前があり、そのあとお金がなくなっています…。」


「女王」は田中の話しをちゃんと聞いているのかわからない。ただ茫然と天井を見ている。

しかし、それでも田中は話しを続けるしかなかった。


「…それに、私、ずっと気になっていたんです。なぜ、江口が尾行のことを知っていたのか? 一般の人間に尾行なんて見破れる訳がありません。」


目の前が真っ暗になり、頭が真っ白になっている「女王」の視線が、天井から田中の顔に移る。


「おそらく、内通者いるのではないかと…。尾行するアイディアをしたのは室長です。そう考えると、すべての辻褄が合うんです。」


「…辻褄?」


無意識に、そして、反射的に、「女王」は田中の言った言葉を繰り返しているだけで、その内容までは理解できておらず、会話が成り立っているようで、まったく成り立っていない状態。


依然、「女王」の思考は止まったまま。


「えぇ。室長が海外視察に行った日に江口が現れ、事態が急変し、それに合わせるかのように室長が忽然と姿を消して、連絡が取れなくなりました。…そして、この雑誌です。…偶然にしては出来過ぎていて、不自然です。これは繋がっていると見た方がいいと思います。…信じたくはないですけど…。」


田中のは、すべてが憶測で、すべて間違いであることを祈ってやまないをしていたが、それとは矛盾した言葉が田中の口から発せられる。


「もしかしたら、このあと室長が、あの男に接触するかもしれません。もしそうなった場合、そこを押さえた方がいいのではないかと。ですから今、動くのは時期尚早と判断し、言わせて頂きました。それに24時間体制で見張ってもらっていますので、何かあれば連絡が来るよう手筈は整っています。…もう少し、待った方がいいのではないのかと…。」


最後の言葉を言うと田中は「女王」から視線を外し、口をキュッと噛みしめ、この現実を受け入れ耐えていた。


しかし、田中の話しには説得力があった。理路整然とし、一点の穴もない説明だった。


「女王」も田中と同じく、この想像もしていなかった堪えがたい現実を受け入れるしかなかった。


…受け入れると同時に、沸々と「女王」の感情の奥底から怒りのマグマが沸き上がり、躰中を駆け巡る。沸点になるまで時間はかからなかった。怒りのエネルギーが止まっていた思考を再起動させ、本来姿の「女王」へと蘇生する。


遠藤を信頼していた二十年間という時間が、すべて怒りとなって、大きく変容し、怒髪天を衝く力となった。


「あのバカ女ー!」


貴婦人の机に置かれた黒いファイルの上に「女王」は、強く握りしめた右手を思いっきり叩きつけた。


とてつもない衝撃音が城中に響く。それは、「女王」の怒りそのもの。

そして、「女王」らしからぬ言葉と行動も、すべて「女王」の怒りから来るもの。


この裏切りが「女王」の信頼を失墜させるものであるならば、遠藤と闘わなければならない。


例えそれが、二十年来の側近であっても。


「女王」の心の中に、センチメンタリズムな甘ったるい考えなど微塵もなく、すべて怒りによって焼き尽くされ、灰すら残っていない。


準備は出来ている。あとは潰すだけ。徹底的に潰すだけ。






























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