第17話 真っ赤な薔薇と白い蓮の花

午後一時 


記者でひしめき合いごった返す空間に、記者会見の幕開けを知らせるファンファーレが響き渡る。


幕開けを告げるファンファーレは、「女王」の登場を意味するファンファーレ。


ファンファーレが真っ直ぐ、記者たちの耳に届く。すると記者たちの脳裏に「女王」の顔が浮び上がり、いよいよ登場するのだと皆が思う。

それを察知し、バラバラに点在していた記者たちが、「女王」の顔を浮かべながら、一目散に自分の席に戻る。

それはもう、条件反射だ。パブロフの犬の如く条件反射で、御主人様が現れるの待つ。

ファンファーレの音ひとつで、記者たちは飼いならされた。気付かぬうちに「女王」に飼いならされてしまった。


「女王」は手を抜かない。

最初から「女王」を見せつける。


右奥にあるパテーションから女性司会者が現れ、うやうやしく、挨拶をし、記者会見における注意事項を話し出したが、もちろん、記者たちは聞いてはいない。

当たり前だ。 記者たちは今日この日が来るのを、どれだけ指を折り待ちわびたことか。

この数日間、「女王」が城にお隠れになり、沈黙が続くと、世の中には正体不明のあやしい話が跳梁跋扈飛び回り、もはや、どれが噂で、どれが嘘か誰も見分けがつかなくなり、困り果てていた。


そんな時、皆の脳裏に浮かんで来たのが「女王」の顔。


この状況を一掃してくれるのは「女王」において他におらず、ただ一つの真実を知りたくて、今日この会場にやって来たのだから、聞き飽きた定型文など耳に届くことわけもなく、記者たちは司会者が現れたパテーションをジッと見ている。「女王」の顔を浮かべ、待っている。

カメラマンたちも照準を合わせ、準備万端待っている。真実の光を照らしてくれる救世主の登場を待っている。


司会者の涼やかな声だけが、虚しくテラスにこだまする。


そして、長い退屈な説明が、やっと終わり、司会者が一息つくと、会場にふと、静寂の時間が流れた。それは一瞬、ほんの一瞬の静寂。


しかし、抜け目のない記者たちは、そのほんの一瞬の静寂を見逃さなかった。


“いよいよ、現れる” 


わずかな時間の静寂の中で記者たちは皆、「女王」の顔を思い浮かべた。


にわかに会場が活気づき、記者たちは、さらにパテーショに熱い視線を送る。それに釣られるかのように、カメラのレンズが一斉にパテーションに向く。中には、まだ「女王」の姿がないというのにシャッターを切っている者もいた。

しかし、必ず、「女王」がパテーションの後ろから出て来るのは確実な事実。

会場の「女王」に対する期待値が沸点に到達したその次の瞬間、司会者が高らかに「女王」の名前を呼び、招き入れる。


我慢できずに、シャッター音とフラッシュが、矢のようにパテーションに刺さり、眩く光る。


……………


おかしい。「女王」の姿が一向に現れない。


記者たちが、ざわつきはじめる。


ある者は、隣の記者と話し出し、またある者は司会者の顔を怪訝そうに睨み、またある者は一眼レフから顔を外し、自分の眼で、食い入るようにパテーションを見つめていた。


反応は様々、人それぞれ。


何か、人影が見えないかと、記者たちは首を上げたり、下げたり、まるで釣りの浮きのように浮いたり、沈んだりしながら、「女王」の姿を必死になって探している。


コツ…、コツ…、コツ…、


記者のざわつく声とシャッター音の間で、何かの音が聴こえた来た。


コツ…、コツ…、コツ…、


テラスに響く、高貴な音。


コツ…、コツ…、コツ…、


その音は記者たちのすぐ近くまで来ている。


“後ろだ!”


直感的に記者たちは、その音を聴いて、そう感じた。

コツ、コツ、コツという音が、記者たちの耳に入ると、その音は瞬時に頭の中で変換され、「女王」の象徴ともいえる真っ赤なヒールが突如として、記者たちの脳裏に浮ぶ。


それはまるで、一斉送信したメールのように、記者全員の脳裏に送られて来た。


記者たちが一斉に、後ろを振り向く。それに遅れまいとして、カメラも素早く後方にレンズを向ける。


振り向くと、そこには真っ赤な薔薇が咲いていた。


その真っ赤な薔薇とはもちろん、「女王」だ。


この舞台の主演女優が、憎い演出で現れたものだから、フラッシュが堰を切ったように唸り出し、眩い閃光が「女王」目掛けて飛んで行く。


「女王」は避けることなく、それを澄ました顔して受け止める。


しばらく、「女王」はその閃光のシャワーを浴び、恐悦の喜びをじっくりと躰で味わいながら、満を持して、ゆっくりと歩き出す。


コツ…、コツ…、コツ…、


「女王」の存在を現わす、真っ赤なヒールの靴音が、会場中に鳴り響く。


そのヒールの音ひとつで、記者たちは釘付けだ。

「女王」が右側から静かに歩いて壇上に向かうと、記者たちのもカメラのレンズも、「女王」の姿を静かに追いかける。


シャッター音とフラッシュが荒れ狂う中、会場はとても静か。歩いている「女王」に誰も声をかけようとはしない。

それは恐れ多くて「女王」に声をかけられないのか。それとも、「女王」の美しさに見惚みとれ、声をかけるのを忘れってしまったのか。それはわからない。わからないが、きっと両方なのだろう。記者たちは、ただ黙って、壇上に向かって歩く「女王」を見ている。


それはホンの数秒。息を止める間もない時間。


しかし、「女王」は確実に、記者たちを支配した。空間だけでなく、記者たちの時間までも奪い、見事に支配した。

この舞台の主役は「女王」。その主役が、野蛮な記者たちの望むタイミングで出ることなど、あるわけがない。観客は主役が出て来るのを、ただ黙って、座って待ってばいい。

それに、一番いいタイミングで主役が登場すれば、それだけで、観客の気分も一気に盛り上がるといもの。


主演女優は、サービス精神も忘れない。


すべては「女王」のタイミングで進めて行く。一秒たりとも、記者にあげる気などない。


「女王」は焦ることなく、記者たちの眼差しを一身に浴びながら壇上へと進む。無口な会場は、ただ、ジッと主演女優が舞台に上がるのを待っている。


「女王」の歩く姿は気品があり、とても優雅だ。


「女王」の通ったあとには、芳しい香りが道となって残り、花が咲き乱れる。

視覚だけではなく、嗅覚も刺激し、夢中にさせる。


「女王」の存在が、ゴリゴリと音を立て、記者たちの五感に刷り込まれて行く。刷り込まれた記者たちは皆、「女王」の“魅力”という毒を無意識のうちに取り込み、本人が気づくこともなく、緩やかに体が痺れ、やがて、思考が停止し、いつの間にか考えるのをやめてしまう。


死には至らない致死量で皆が、「女王」に見惚みとれている。


「女王」は、躰全身で、それを理解する。この会場を統べる支配者としての優越感が、うるさいほど躰の中で鳴り響く。


そして、「女王」は静かに壇上へと舞い降りた。


すると、カメラのフラッシュが一段と激しく、瞬き、白い壇上とぶつかり合い、弾け、真っ赤な薔薇がより一層、神々しく、カリスマ化し、「女王」を高みへと押し上げる。


「女王」はマシンガンのように飛んで来るフラッシュを平然と受け止めながら、毒が回り、思考が停止中の記者たちのをじっくりと見つめ、確認する。


毒の効き目は、そのを見ればわかる。


記者たちは「女王」の言葉を聞き漏らすまいと黙り、動かない。


毒は良く効いているようだ。


そして、向けられたカメラのレンズを、「女王」はじっくりと見つめ、確信する。

記者たちと同じをした人々が、このレンズの向こうに何千、何万と存在し、「女王」の放つ言葉を、今か今かと待っている。


「女王」は、自ら進んで毒を欲しがる者たちに、施しを与える慈悲深さを持っている。

余すことなく、ふんだんに毒を与える慈悲の心を持っている。


毒を欲しがる者たちをじっくりと見つめ、「女王」は聖母のように優しく微笑む。


「マスコミの皆様。今日は急な会見にも関わらず、各も大勢の方に来て頂き、私、五十嵐美樹。社を代表して、心からお礼を申し上げます。」


主演女優は、幕開けの台詞を言うと、一歩下がり、深々と頭を下げた。

拍手こそ聴こえはしないが、その代わり、シャッター音が “ブラボー”と言っている。

その感触を確かめながら、主演女優は台詞を続けた。


「皆様に起こし頂いたのは、他でもありません。数日前から話題になっているクラウドのことで御座います。」


記者たちが色めき立つ。

の色が変わった瞬間を「女王」は見逃さない。


一人舞台の幕が上がる。


「今日はこの場をお借りして、クラウドの新プロジェクトについて発表させて頂きます。」


誰からともなく、興奮する声が漏れだし、聴こえて来る。

「女王」は、その興奮する記者たちの意識をひとつに束ね、引き寄せる。


「クラウドの全作品を画集にし、出版することが決定致しました!」


記者たちの興奮が、低いうねりとなって、「女王」の足元に届く。「女王」は、その手ごたえを足元で感じ、記者たちの心の中に棲んでいる餓鬼たちを誘い出す。


「クラウドの絵は、一般の方から見れば難解で、近寄りがたいものかもしれません。そこで私は考えました。どうしたらクラウドをもっと身近に感じてもらえるのか。

…それが画集でした。」


主演女優の芝居は素晴らしく、誰もが皆、すぐに心酔してしまった。

まだ開演の入り口、主演女優の怪演は始まったばかり。


「画集を手に取り、まじかで皆様にクラウドの作品を見て頂ければ、なぜ、クラウドが唯一無二、天才画家と呼ばれるのか分かって頂けると思ったからです。

確信犯的に描かれた構図。感情をそのままぶつけた色使い。大胆で、繊細な筆運び。そのすべてが、画集の中に収められ、クラウドの作品に直接、触れることが出来るのです。アート展に足を運んで頂いた方も、まだ、ご覧になって方も、画集を見れば、より一層、クラウドを近くに感じ、理解して頂けると私は思い、今回、出版という形を取らせて頂きました。そして、僭越ながら、絵の注釈・解説には私の言葉を付けさして頂きます。」


またも、低いうねりが、「女王」の足元に到達する。


記者のに、毒の効果が強く出る。

そのを見て「女王」は、さらに情け容赦なく、記者たちに毒を注入する。


「あの絵を、クラウドの絵を見る度に、私の言葉が入り口となり、より多くの人がクラウドの作品に対し、理解を深めて頂けたら、一人の画廊として、一人の芸術を愛する者として、こんな嬉しいことは御座いません。」


毒は良く効いている。


「私は一人でも多くの人に、クラウドの存在を知って頂きたいのです。人の感情を揺さぶり、感性を刺激するあの絵の本質を、一人でも多くの人に触れて頂きたいのです。私がこの世で、初めてクラウドの絵に触れた時の衝撃を皆様にも感じて頂き、共に共有し、…そして、一緒に語り合いたいのです。」


気が付くと舞台は静まり返っている。誰も皆、主演女優の熱演に心奪われていた。

誰も話そうとも、誰も動こうともしない。瞬きすら忘れているようだった。


そして、記者たちは知らず知らずのうちに洗脳されていく。


“私の言葉が入り口” 

これはクラウドの作品の理解者は、世界で「女王」一人と宣言している。これからクラウドの作品を観る者は皆、「女王」の教えをベースとして、クラウドの絵画を観ることになる。


“一人に画廊として、ひとりの芸術を愛する者として”

これは社長という顔だけではなく、違った一面を見せることによって、聴いている者たちに、「女王」が多彩で才能溢れる女性というイメージを刷り込ませるため言った言葉。


“この世で、初めてクラウドの絵に触れた時の衝撃”

これは言わずと知れた、「女王」がこの世で初めてクラウドの作品を見て、評価した人間ということ。クラウドを発掘してのは「女王」だと教えている。


「女王」が発した短い言葉のあちこちに、「女王」の仕掛けた毒の罠が張り巡らされている。

しかし、記者たちは気付かない。すべては「女王」の意のままに、「女王」の手のひらでコロコロと弄ばれていることに気付かない。

「女王」の言葉に乗せられた毒は、記者たちの耳に入り、死に至らない致死量が、ゆっくりと体を巡り、思考を停止させる。


毒の効き方を見て、「女王」はレンズの向こうで観ている観客を想像する。


彼らも確実に、死に至らない致死量の毒を刷り込まされている。何度も何度も「女王」の言葉が流されることによって、その毒は観客の思考の奥深くに入り込み、ドンドン麻痺が強くなる。


その感覚が、「女王」の躰に痛いほど伝わって来る。


しかし、「女王」は手を抜かない。

最後の最後まで「女王」を見せつける。


「私は初めてクラウドの絵を見た時、“クラウドは百年に一人、生まれて来るかどうかの天才” そう思いました。しかし、これは大袈裟な考えではありませんでした。なぜならその証拠に、私の気持ちに共有してくれた方が、日本中、いや、世界中にいらっしゃいます。絵画を愛する皆様、専門家の皆様が、私と同じ気持ちを共有してくれたのです。その気持ちを、今度は画集を通じて、たくさんの皆様と分かち合いたいのです。」


呼吸をする音すら聴こえてきそううなほど、会場は水を打ったように静まり返っていた。

完全に記者たちの思考を麻痺させ、支配した。だが、「女王」は気を緩めない。躊躇なく、一気に毒を叩きこむ。


「この画集は、日本芸術絵画における新しい一歩となる画集です。

さぁ、皆様。一緒に共有しましょう!クラウドの画集を通して、世界中の人々とクラウドの絵について語り合いましょう!

もちろん、全ページオールカラー。最新鋭の機材を使い撮影したクラウドの作品です。筆の息遣い。色の濃淡。作品の隅々まで、余すことなくご覧頂けます。どうか皆様、楽しみに待っていてください!」


“全ページオールカラー” これは主演女優のアドリブだ。

勢い余って、つい出てしまったが、何も問題はない。「女王」が “全ページオールカラー”と言えば、“全ページオールカラーになる” ただ、それだけのこと。


発表が、まだ一つ目だと言うのに、この効きよう。毒の効き目に「女王」も満足しているが、こんなことで手を抜くわけもなく、この記者会見を観ている者すべてに毒をどっぷりと注ぎ込むまで、やめるつもりはない。


間髪入れずに「女王」は、二つ目の毒を注入する。


「女王」がおもむろに、右の人差し指を顔の辺りにスッと上げた。すると記者たちは催眠にかかったかのように何も考えず、「女王」の人差し指を見つめる。


それが滑稽で、堪らない。

笑いたい気持ちをグッと飲み込み、「女王」は話し出す。


「そして、皆様にもうひとつ、発表したいことが御座います。」


記者たちの体が前のめりになり、「女王」の方に引っ張られて行く。わざわざ「女王」が引き寄せなくても、思うがまま。人差し指一本で、記者たちをコントロールできる。


「クラウドのドキュメンタリー映画を製作致しますことを、ここで発表させて頂きます!」


記者たちは、「女王」の想像通り、大きくどよめく。


「女王」は、そのどよめきを逃さない。


「そして、それをネット配信致します!」


これもまた「女王」の想像通り、記者たちはいい反応をする。


「女王」の言葉にも熱が入る。


「この映画は社運をかけたビッグプロジェクトです。製作費が数億円規模となる映画です。しかし、私は製作費がいくらかかろうとも、この映画を完成させたいと思っています!私のクラウドに対する想いを、ドキュメンタリー映画にすべて注ぎ、必ずや完成させ、皆様にご覧頂きたいと思っています!

そして、このドキュメンタリー映画を無料配信致します!」


記者たちのどよめきが、波となって、「女王」の元に返って来る。「女王」の言葉ひと言ひと言が、記者たちにぶつかり、強い反応となって、「女王」の躰に押し寄せ、波しぶきを上げる。


しかし、これも主演女優のアドリブだ。


田中は数億円規模の話はしていない。

映画よりも短時間で撮れて、すぐ、観ることができるからネット配信を提案しただけなのだが、今回も熱が溢れ出し、つい言葉となって出てしまったが、これも“全ページオールカラー”と一緒で、「女王」が言えば “数億円規模の映画”なるし“無料配信”と言えば、“無料配信”となる。ただ、それだけのこと。


だが、「女王」も話題欲しさに適当に言っているワケではない。

ちゃんと勝算があって言っている。これだけ世界中で注目されているクラウドの作品なのだから、無料配信しても、その宣伝効果は計り知れない。

それに「女王」の言葉同様、「女王」の顔や名前が映画の中で、何度も何度も登場すれば、観ている者は知らず知らずのうちに毒を注入され、やがて、思考が麻痺し、洗脳されて行く。それだけでも、数億円かけて映画を作る価値があるというもの。


記者たちの間でこの反応なのだから、レンズを通した世間・世界となれば、その波の大きさは計り知れない。


まさにビッグウエーブ。「女王」は確かな手応えを感じずにはいられなかった。


大きな波が生まれる度、その波は「女王」を上へ、上へと持ち上げる。無論、「女王」はそのビッグウエーブを乗りこなす自信がある。なければ、波など起こさない。


起こりはじめたビッグウエーブ。「女王」は気持ちよく、その波に乗る。


「私は、考えました。たくさんの人々にクラウドの作品を観て頂くには、どうしたらよいのか?」


「女王」が語り出した途端、ビッグウエーブは静まり返る。しかし、以前、期待の波は高いまま、「女王」を上へ上へと押し上げる。「女王」もまたビッグウエーブも軽く乗りこなし、話しを続ける。


「画集を出版するだけで、本当に良いのか?私は、考えました。そして、一つのアイディアに辿り着いたのです。それが、ネット配信です。」


観客は皆、主演女優の芝居に見入っている。自分たちが記者であることを忘れ、一人の観客となって、静かに聞き入っている。


「最初は映画にしょうと考えました。映画ならば、大きなスクリーン、迫力のある音響、五感のすべてを使い感動を共有できる特別な空間。それが映画の良さです。その中で、クラウドの作品が観れば間違いなく、皆様の感情は揺さぶられ、普段、日常では得られない経験をすることが出来ます。…しかし、本当にそれでいいんでしょうか? 確かに、映画は素晴らしいものです。素晴らしいものですが、どうしても制約というものが付いてきます。時間・場所・お金。…そのすべてをクリアできるものはないのか?クラウドの作品を観たい人が、気軽に、時間も場所もお金も考えず、いつでも観れることはできないのか?…そこで辿り着いたのが、“ネット配信”だったのです。」


すべて、田中の言った言葉だ。「女王」は何ひとつ考えていない。


しかし、「女王」が少し、色を付け、装飾すれば、安っぽい言葉も、あっという間に、一流の言葉に生まれ変わる。

それはもう、田中のアイディアではなく、「女王」のアイディアだ。


「確かに、映画の良さは、ネット配信にはありません。しかし、ネット配信ならば、いつでもどこでも、気軽に手軽に視聴が可能となります。しかも、無料で。私は、そこにネットの可能性を見出したのです。もちろん、画質や音響など、映画に劣ることのない最新の機材を使い、写真だけではなく、キレイな映像で、クラウドの作品を皆様にお届けしたいと思っております。皆様、どうか楽しみにお持ちください。必ず、映画を完成させ、私と一緒に同じ感動を共有しましょう!これは皆様と私の約束です!」


観客は、ただ黙って、「女王」の熱演を観ているだけ。もう、こうなると「女王」の独壇場。「女王」も演じていて気持ちがいい。


「ただ、このネット配信にも、私が出演致します。…ちょっと、出過ぎかしら。」


いつものように「女王」は茶目っ気たっぷりに愛嬌のある顔をすると、固かった会場の雰囲気が、一瞬にして、緩み、笑い声が漏れ、和み出す。


「女王」は、和ますことも忘れない。


「そして、我が社は、これをきっかけに、ネット配信事業に新規参入することを合わせてお伝え致します!」


「女王」は、まだ手を抜かない。とことんまで毒を注入する。


「クラウドのネット配信が、我が社の記念すべき第一弾となります! 五十嵐美樹グループは、これからも邁進して参ります!」


カメラマンもわかったのだろう。「女王」の一番、いい表情を逃がしてはいけないと、今まで以上に、フラッシュが焚かれ、光の中に「女王」が包まれる。


「女王」には、瞬くフラッシュが拍手喝采に聴こえた。


「女王」が最後に言った “ネット配信事業への新規参入” このアイディアは「女王」が今さっき、咄嗟に思いついたアイディアだ。熱演のあまりまた、つい言葉が溢れ出てしまったが、これもまた何も問題はない。「女王」が想像することはすべて実現する。言った時点で、それは成功したのと同義語である。


記者会見は「女王」のペースで進み、滞りなく、一人舞台が上演されている。


その時、記者たちの間から、スッと伸びる手が見えた。

 

白く輝くワイシャツが、真っ直ぐと上に伸びる。壇上の白さに引けを取らない眩しさで、「女王」に存在をアピールしてる。それはまるで、記者という泥の池に咲いた白い蓮の花のような輝きだった。


そのスッと伸びた手を下に辿ると、そこに座っていたのは志田であった。


「女王」の視線と志田の視線が、真っ直ぐに交わる。


前から三列目の真ん中に志田は座っていた。遠藤が不在なことを知っていたのだろうか。平然とした顔で記者会見に参加している。しかも、「女王」の視線にわざと入るように真ん中を陣取り、「女王」の熱演をずっと観ていた。

「女王」も壇上に舞い降りた時から、「女王」は志田の存在に気付いていた。名前は覚えていないが、さすがに顔は覚えた。

ブンブンと「女王」の周りを飛ぶウルサイ小さな虫。叩き落とすことも出来たが、「女王」はむやみな殺生は好まない。敢えて触れずに無視をしていた。


まさか自ら、「女王」に飛び込み、叩かれに来るとは。


慌てて、司会者が志田の行動を止めようとするが、「女王」は右手を軽く上げ、司会者を制した。 


司会者の動きが、ピタリと止まる。


「女王」は発言することを志田に許可した。小娘一匹に慌てるほど、「女王」は愚かではない。むしろ、その愚行を正してあげなければとさえ思っている。若気の至りは却って、大きな代償がつくことを、その身を持って教えてあげなければならいと仏の御心で思っている。


「女王」が、志田にで促す。

志田もまた、それ理解し、スッと立ち上がる。


真っ赤な薔薇と白い蓮の花が、大海原で対峙する。


「五十嵐社長。今日の記者会見は驚きの連続でした。こちらが予想してなかったことが、次々と発表され、私も画集や配信が、今から待ち遠しです。」


はじめてインタビューをしに来た志田は、もういなかった。


「女王」の城に入っただけで、震え上がり、「女王」とろくに会話すら出来なかったあの時の志田は、どこかへ消え去り、もういない。今、「女王」の目の前に立っているのは別人の志田。

その顔は自信に満ち溢れ、何かを確信したような抜け目のない視線で「女王」を見ている。

その上、「女王」顔負けの熱演をしてきた。


これは完全なる「女王」への挑発。そう受け取られても仕方がない行為を志田は飄々とやってのけた。

しかし、「女王」はそんな志田を見て、感情的になることもなく、ただ黙って、発言を聞いている。


反応しない「女王」を見て、志田も慌てることなく、質問を続けた。


「しかし、社長。大切な発表をお忘れではないですか?」


志田のもったいぶった言い方に、記者たちも敏感に反応し、ゾワゾワと騒ぎ出す。


「…何のことかしら?」


志田の質問の意図を理解していたが、「女王」は敢えて泳がし、志田の出方を見ることにした。


遊び相手として、志田はちょうどいい。


志田も、それが分かったようで、「女王」のとぼけた芝居を鼻で笑い返したあと、「新作の話です。」と、トレートに質問をぶつけてきた。


志田如きの軽い言葉を、ぶつけられても、「女王」はびくともしなかったが、それは記者たちにとって、効果てき面だった。

志田の声で、催眠が解けた記者たちは、自分たちが記者だったことを思い出し、それと同時に、忘れていた新作に対する興味のが輝き出す。


その輝きはじめた興味のが、一気に「女王」に向けられる。

志田は、この会場にいるすべての記者を味方につけた。


さざ波だった志田の質問が、記者たちの興味をくすぐり、徐々に波が大きくなっていく。

しかし、「女王」は動じない。例え、この会場にいる全員を味方にしたところで、この舞台の主役は変わらない。端役のエチュードに付き合う気は毛頭ない。


「それは、そちらが勝手に書いたことです。現に私たちは、そんな発表などしていません。それは誤報というものです。」


志田が書いた記事を “誤報” というラベルで貼り替えてしまえば、志田自体の信用に傷がつく。「女王」が貼ったとなれば、ガタ落ちだ。

それに考えて見れば、確かに、「女王」はそんな発表をしていない。「女王」が発表していないのだから、“新作” 自体、志田の“誤報”となる。説得力がある言葉を言っているのは「女王」の方だ。

そんな雰囲気が、記者たちのから零れ出し、会場を包み込む。


「女王」の予想通り、記者たちの興味の波が引いて行く。


だが、志田は悠然と構え、静かに立っていた。

何かを隠し持っているような怪しいで、「女王」を見つめている。


「社長のお気持ちは、大変よくわかります。社長はのが、大変、お好きな方ですから、新作に対して、社長には社長なりのプランがおありだったと思います。その、プランを壊してしまったことは、お詫び致します。大変、申し訳御座いませんでした。」


志田は深々と頭を下げ、誠意ある態度を「女王」に示すと、それを見た記者たちが、またもや、ザワザワと騒ぎ出す。

志田は「女王」が貼った“誤報”というラベルを剥がすわけでも、否定するわけでもなく、それを甘受した。

記者たちは、その志田の態度を見て、“何かある!”と、ゲスな勘繰りをし始めた。


引いていた波がまた、ドド、ドド、ドドと、「女王」の元へ集まって来る。


それを感じながらも、「女王」は、静かに構え、志田を見ている。

志田も臆することなく、「女王」のを見て、話し出す。


「ですが、新作の存在を知ってしまった以上、記事にしないわけにはいけないんです。私たちは、読者に知らせる義務がありますから。」


波が、一気に押し寄せる。


今度の波は力強くて、大きい。一度、引いた波だけに強力だ。確信めいた志田の発言に信憑性が増し、新作という現実が帯び始めた強い波。少しずつではあるが、生命力がみなぎりはじめた波。

その新作というこの世のどこにも存在しない波が、「女王」の躰に襲い掛かり、勢いよく倒そうとするが、やっぱり、どうして、「女王」はビクリともしない。これぐらいでは倒れない。


「女王」は、志田をジッと見つめたまま答える。


「一体、何のお話をされているのか、さっぱりわかりません。この私が“新作はない”と言っているのですから、それが答えだと思いますが。その、どこで聞いたのか知りませんが、そんなお話をここでされまし、」


「証言は取れています。」


あろうことか、志田は、「女王」の話に割って入り、新作の事実を突きつけた。


もう、こうなると記者たちは、蜂の巣をつついたよう騒ぎ出す。我慢できず、質問をする者が現れた。それに反応するかのように他の記者たちも、我先にと質問をし始める。次々とフラッシュが焚かれ、「女王」の顔に浴びせかける。

一生懸命、マイクに向かって、司会者が制止させよと試みるが、焼け石に水。

少し前まで、主演女優の美しい演技を見ていた観客たちは、あっという間に餓鬼へと豹変し、飛び掛かろうとする勢いで、「女王」に答えを求めている。


だけど、やっぱり「女王」は動かない。


当たり前だ。この世に存在しない波で、どうして「女王」が足元をすくわれなければならないのか。

バカげた話だ。これは、ただの作り話。雑誌を売るため、志田がでっち上げた嘘。吹けば飛ぶよなちっぽけな嘘を、「女王」が弾き返せば、この波もすぐに小さくなり、また引いて行く。


「証言?存在しない新作に証言?そんな証言があるというなら是非、聞かせて頂きたいわ。そんなデタラメな証言を誰が信じるのか知りませんけど。」


志田が “証言” と言っているだけで、何も確証はない。


「女王」の言葉を聴いて、餓鬼に豹変していた記者たちが、ちょとずつ、正気を取り戻そうとしていた。


志田は、ふと笑顔を見せ

「社長。私も記事を書く者として、十分、心得ています。裏を取らなければ、こんなこと言いません。」


志田は、ハッキリと「女王」のを見て、断言した。


その言葉は、正気に戻りつつあった記者たちを納得させるには十分な言葉だった。ここにいる誰も皆、裏が取れてない情報を載せることが記者として、どういう意味をも持つものなのか痛いほどわかっている。

志田が「女王」のを見て、同業者の前でハッキリと断言したのだから、この話は真実。間違いのない話。


新作の話が記者たちの中で、真実に変わった瞬間、記者たちのが地響きを立て、「女王」に突き進んで来た。


さすがの「女王」も混乱する。


ここまで志田が強く出て来るのはなぜなのか?

この世にないものに、ここまで自信たっぷりに言える志田が理解できなかった。

しかし、無いものは無い。

志田の話は明らかに嘘だ。真実を握っているのは「女王」だ。どんなに無理を通しても、「女王」の前で、道理は引っ込まない。


「どこから入手した情報なのか知りませんが、そんな証言は、」


「情報の入手先は言えませんが、確かな情報です。」


一度ならず、二度までも志田は「女王」の話に割って入る。


話しを二度止められたことよりも、志田のふてぶてしい態度に「女王」は、殺意にも似た嫌悪感を感じていた。


「確かな情報?」


「えぇ。具体的には言えませんが、とだけ言っておきます。」


「女王」の脳裏にふと、の顔が浮かんだ。


ほんの一瞬。ほんの一瞬のことだった。


しかし、その顔を抜け目のない記者たちは見逃さなかった。一斉にフラッシュが焚かれ、記者たちの質問が、矢継ぎ早に「女王」に向け突き刺さる。


一瞬の不覚。「女王」は、たじろいだ。


志田もまた、抜け目がなかった。たじろいだ一瞬を逃さず、声を張り上げる。


「真相を知りたいのでしたら、明日、発売の “super woman”をご覧下さい!」


決定的は言葉だった。


波が一気に一斉に、「女王」に襲い掛かる。一瞬、怯んでしまい、言い返すタイミングを見失ってしまったせいだ。

それに生じて、波がドンドンと世界の中心に入り込み、あっという間に浸水し、身動きが取れず、「女王」にさえ、もうどうすることもできない。


「女王」が溺れて行く。


白い蓮の花が起こした小さなさざ波が、新しい渦を誕生させた。しかし、その渦はこの世に存在しない渦。実態を持たない渦が、餓鬼を引き連れ、真っ赤な薔薇を飲み込んで行く。


きっと明日になれば、白い蓮の花の真ん中で、世界の中心が形作られていく。

荒唐無稽、流言飛語に事実無根。色んな花が咲き乱れ、この世の春を謳歌する。


散って行った真っ赤な薔薇を見向きもせず、置き去りにしたまま。











































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