第16話 そして、幕が上がる

遠藤 海外視察 九日目


依然、遠藤の消息は掴めていないが、それでも時間は待ってはくれない。もう記者会見をすることは決まっている。あとは日時と会場を発表するだけだ。

本来ならば、記者会見発表した時に、日時と場所を一緒に告知するべきなのだが、今回は緊急なこともあり、順序が逆になった。

志田の思惑通りにさせてはいけないと、苦肉の策として、記者会見の発表だけを告知した。

フライングもフライング。一つ間違えれば大惨事。

話す内容は決まっていても、会場を抑えてなくては意味がない。免許を取る前に車を買うようなもので、そんなマヌケな失態をマスコミや世間に知られたら、そこでお終い。良い笑いもの。「女王」の信頼に傷がつく。


それだけは、何としてでも避けなければならない。


しかし、会場を抑えると言っても、そのへんの建物では話にならない。

「女王」が記者会見をするのだから、それなりに“格”のある会場でなければダメ。おまけに会場を抑えられたとしても、都合のいい日が空いていないと、これもまた意味がない。

すべては、志田を出し抜くため。時間をかけている余裕はない。


田中は焦らず、好条件な会場を探さなくてはならなかった。新人秘書にとっては至難の技。


時間との戦い。志田との闘い。


でも、それが却って、世間にインパクトを与えたようで、なかなか日時や会場を発表しないのは何か理由があるのではないかと、いらぬ勘繰りを勝手にし始めた。


これも「女王」の神通力か。事態は常に、いい方向に転がって行き、災いが「女王」を避けて通っているようだった。


未だに会場が決まっていないとは誰も思ってもないし、まさか、クラウドの代理人と揉めて、新作を描いてもらえないとも思っていない。そして、その上、それを誤魔化すための記者会見だということも誰も知らない。


遠藤さえも知らない話。


そして、ようやく田中は、一つの会場を見つけ出す。




午後七時二十一分


「女王」は会食のため料亭にいた。

六人の脂ぎった男たちに囲まれ、楽しそうに話しをしている。話している内容はもちろん、クラウドのことだ。

記者会見のことで、花が咲く。“どんな話をするのか教えてくれ”と、地位も名誉もある男たちが、「女王」に群がり、懇願する。


それが「女王」にとっては堪らない。


名のある者たちを手玉に取って遊んでいる。思わせぶりな返事をして、楽しんでいる。

ケラケラと笑いながら「女王」がエサを撒く。すると、餓鬼が我先にとエサに群がり、欲を出す。その姿があまりにも滑稽で、面白い。

適当な答えを言っては、餓鬼に向かって、エサを撒く。何度も何度もエサを撒く。


暇な時間を潰すには、丁度いい余興。




余興も終わり、「女王」たちが料亭から出て来る。

迎えに来た高級車が料亭の前にズラリと並び、男たちはいい話が聞けたと満足して、車に乗り込む。

しかし、確かなことなど「女王」は何ひとつ言っていない。それなのに男たちは、ここだけの話を聞いたつもりで喜んでいる。

それがまた「女王」には面白く、談笑の中に軽蔑めいた笑みを含ませながら、男たちのニヤケ顔を鑑賞する。


餓鬼たちとの宴は、何度開いても愉快で、「女王」を飽きさせない。


男たちと別れ、料亭の門を出ると、田中が待っていた。


「社長。会場を押さえました。」


自信あり気に田中は話す。


「どこ?」


「新国立美術館のテラスです。」


「新国立美術館⁉」


これには「女王」も驚いた。てっきり、どこかのホテルの大広間を借りて、記者会見をするものだと思っていた。なぜなら遠藤は常にそうしてきたからだ。その方が確実に会場を押さえられるし、人も大勢呼べる。そして何よりそれが、一番無難なセオリーだ。しかし、どうやら「女王」は知らず知らずのうちに、遠藤の考えに近づき過ぎてしまっていたようで、田中の提案に思わず声が出てしまった。


「はい。やはり、画集を出版するのですから、それに見合った場所でないといけません。芸術性を前面に出した方が、社長の芸術への思いが伝わると思いまして、美術館に致しました。」


「女王」は、ますます田中を気に入る。


遠藤には無い感性を田中は持っている。正反対の感性とも言うべきか。遠藤の考えでは到底、出て来ないアイディアが、次々と現れ「女王」の琴線を強く刺激する。

そして、田中の感性で一番、気に入っているのが、その中心には必ず、「女王」がいるというところだ。


それが、とても心地いい。


しかし、遠藤では、そうはいかない。遠藤は合理的で効率的な考えしか思い浮かばない人間。「女王」を中心に考えるというよりも、会社を中心として考えるのが、遠藤の感性だ。

それはそれでいいのだが、やっぱり、中心を考えたら「女王」以外は考えられず、二十年も「女王」の側に居ればその答えに辿り着きそうなものだが、どうにも遠藤の発想では、そこまで辿り着けない。

しかし、田中の感性は「女王」へと直結する。何の無駄も、何の迷いもなく、最短距離で「女王」を中心とした真っ直ぐな絵を描く。


新人秘書にしては、とてもセンスのいい感性をしている。


「日時は二日後の午後一時です。」


「二日後?」


「はい。急ですが、前もって記者会見をすることは発表していますので、そう大きな混乱はないかと。マスコミからも、いつ記者会見をするのか毎日、問い合わせが来ていますので、準備はできていると判断し、二日後にしました。あとは社長の許可さえ頂ければ、明日の朝一番にマスコミに情報を流したいと考えています。」


完璧だ。

遠藤の合理的で効率的な考えを持ちながら、「女王」の感性をくすぐるセンス

をも持ち合わせている。これ以上、賢い新人秘書がいるだろうか。


灯台下暗し。「女王」は足元で、光る原石を見つけた。


「よくやったわ。それで進めて。」


「女王」は、初めて田中に合格点を上げた。今までの働きと、これからの期待を込めての合格点。

その意味するところは、「女王」のお眼鏡にようやく適うことができ、田中は本日付を持ってに「女王」の秘書として認められたということだ。

いつの間にか本人の知らないところで昇格人事が行われたのだが、それは、「女王」の中で、遠藤と田中は同等ということでもあった。




遠藤 海外視察 十日目


今日も遠藤からの連絡はない。


いつの間にか気が付くと、遠藤のいない日常が常態化しはじめていた。

遠藤が不在でも会社は機能し、滞りなく運営されている。何の問題もなく、日々が積み重さなり、たった十日で、城の雰囲気が変わった。


「女王」が、遠藤のことを口にしないのは当たり前だが、田中も遠藤のことを口にすることがなくなった。それは田中のを見てもわかる。田中は今、秘書として、自信に満ち溢れている。


それもそうだ。


突然、志田の書いた嘘の記事がネットに流れ、それにより江口が烈火の如く怒り、何の落ち度もない「女王」に、その怒りの火の粉が降りかかり、形勢が瞬く間に悪化、負のドミノ倒しがはじまった。

こんな絶望とも言える危機的状況を、新人秘書の田中が、一人で立て直したのだから、自信がつくのは当然の帰結。

田中はこの十日で、急成長をした。「女王」の務めのおかげもあり、本来、「女王」がしなくてはいけない仕事を田中が背負い、見事に捌き切った。


「女王」も田中を育てた甲斐があったというものだ。


「女王」は、今日も貴婦人の机から空を眺め、明日のことを想像する。


「女王」が現れると無数のフラッシュが一斉に焚かれ、会場が光の嵐に包まれる。

その嵐の中で、人々の羨望の眼差しと感嘆の溜め息が混じり重なり合う。


「女王」は現実になることしか想像しない。想像した時点で、それは現実となる。

現実にならない想像など無意味。時間の無駄である。

すなわち、今、「女王」は、明日起こる現実を見ている。明日、確実に起こる未来を誰よりも早く見ている。神様さえも見通すことも出来ない力で、明日、確実に成功する記者会見を想像する。


「女王」がすべてを語り尽くし、記者会見が終わる。すると、会場からは誰ともなく自然発生的に拍手が沸き起こり、「女王」の上に時雨となって降り注ぐ。そして、最後に「女王」が、明日の新聞の見出しになる名言を放つ。その言葉で会場が一気に盛り上がり、その拍手がやがて、


「社長。今、宜しいでしょうか?」


一番大切で、一番大事なクライマックスの場面で、田中の声が聴こえて来た。


あってはならない事態だ。


「女王」が気持ちよく、明日の準備をしている時に、そのジャマをすることなどあってはならない。無礼にもほどがある。


しかし、相手は新人の秘書。ここで不機嫌になるのも大人げない。


「何?」


「女王」はイスをクルリと回し、何もなかったように田中の顔を見る。


「明日のことなんですが。」


田中も虎の尾を踏んでいることも気付かず、「女王」に話しかけた。


「明日の記者会見は華美にならないよう、あえて控えめな作りにしようと思っています。」


「そうなの?」


を好む「女王」にとっては、物足りなさが残るの提案だったようで、返事もどことなく不満気だ。


「えぇ。はい。急に記者会見をしなければいけないということもあり、準備が間に合わないという事情もあるのですが、明日はあくまでも画集がメインなので、ここは画廊としての五十嵐美樹を前面に打ち出した方が説得力があると思いまして、派手さではなく、質素の中にある華やかさを演出をしたいと思っています。」


「なるほど。」


気に入った。非の打ち所がないほど気に入った。


一番気に入ったところは “画廊としての五十嵐美樹”だ。常に中心には「女王」が存在し、花を飾る。そこがいい。そこがなければ、ただの記者会見になってしまう。


明日のイメージをジャマされたことは、昨日の彼方に飛ばされ、「女王」の中から消えていた。


「それでいきましょ。」


二人は明日という現実に共に歩き出し、着々と形が創られて行く。


遠藤を置き去りにしたまま。消息不明という現実だけが色褪せていく。




遠藤 海外視察 十一日目


記者会見当日。


マスコミの注目度は高い。朝からずっと「女王」の顔がテレビに映り、冴えない番組に華を添え、世間を賑やかにしていた。




午前十一時二十五分


「女王」は新国立美術館のテラスにいた。


ここは、今日の舞台。中心地。世界中の人々が期待を寄せ、固唾を飲んで注目する場所に主演女優の「女王」が立っている。


まさに、「女王」にとっての晴れ舞台。準備はすでに整っている。


窓ガラスが床から天井へと一面に広がり、すべての太陽がテラスへと降り注がれ、そのガラス窓から庭に視線を向けると、そこには碧く生い茂った大きな森がどこまでも大海原のように続き、そして、耳を澄ませば、森の中を涼やかな風が流れ、木々の葉が揺れ、遠くで聴こえる波音のように、ゆっくりとした早さで、聴こえて来る。


喧騒の日常を忘れさせてくれる空間。ここが都会の真ん中であることを、ついつい忘れてしまう。


壇上は、その景色を背景にして、設置され、目の前にはマスコミ用のイスが整然と並び、その時を待っていた。

壇上と言っても高くはない。イスに座ったマスコミ関係者より少し高いぐらいで、目線はほぼ一緒。あえてマスコミと「女王」の距離を近くするため、計算されて作られており、その上、壇上は真っ白。演台さえも白い。


「女王」に相応しい舞台。


白はすべての日差しを跳ね返し、眩く光らせる力を持っている。

その眩い力を遺憾なく発揮した壇上に降臨し、「女王」が姿を現したとなれば、人々のには、どう映るだろうか?

言わずもがな、今まで以上に「女王」の存在に神々しさが増し、強いカリスマ性を感じずにはいられくなり、人々の記憶に消えない印となって、永遠に残る。


それに今日、着るドレスは真っ赤なドレス。「女王」を象徴する色。


それはまるで、雪原に咲いた赤い薔薇。


これもまた無意識のうちに人々のに焼き付き、永遠に消えることはない。


これはすべて、田中の演出。「女王」を神格化させるための計画的犯行。


そして、白銀のような壇上の両脇には、生け花が飾られてあるだけで、あとは何もない。

田中の言った通り、質素ではあるが、気品と厳格さが漂う舞台。


「女王」の「女王」による「女王」のための劇場。


「女王」は、ますます田中を気に入る。


「女王」は真っ白な世界に、一人立ち、想像する。これから必ず、起こる現実を想像する。


マスコミで埋め尽くされた空間に「女王」が現れるや否や、人々は「女王」から目が離せなくなり、釘付けになる。


「女王」の一言一句。一挙手一投足。そのすべてが注目の的になる。


世界の中心を感じる瞬間。


その中で、「女王」が画集の出版を高らかに発表すると、どこからともなく拍手が巻き起こり、その話題は一瞬のうちに世界を駆け巡り、明日になれば、ありとあらゆる分野で、「女王」の顔が紙面・画面を賑わい、ありとあらゆるところで、「女王」の話が取り上げられる。

すると、クラウドの新作の話に気を止める者はいなくなり、やがて、社会の片隅へと運ばれ、いつの間にか消えてなくなっている。


人間なんて、そんなもの。

新しい刺激があれば、そっちに心変わりをする。人は常に新しい刺激を求めている。


それを「女王」は知っている。


そして、「女王」が言えば、取るに足らない画集の発表記者会見でも大事のように聞こえ、人々は右往左往し、心の奥底にしまい込んで飼っていた餓鬼たちが解き放たれ、喉が渇いたと言っては暴れ出し、腹が減ったと言っては泣きわめく。


それも「女王」は知っている。醜い欲の引き出し方を知っている。


それは「女王」の持って生まれた才能なのか? それとも「女王」自身、奥底にしまい込んだ餓鬼を自覚しているからなのか? それはわからない。

しかし、だからといって「女王」は、そんな餓鬼たちを軽蔑なで見ることはない。むしろ、喜んでする。


ただそれだけ。「女王」にとって、餓鬼は善でも悪でもなく、必要な道具というただそれだけの存在。


また餓鬼に群れを見れるのかと思うと、「女王」の胸は高鳴る。

そのことを想像するだけで、鳥肌が立つ。


今、目の前で起こっているか出来事のようにヒシヒシと「女王」の感覚に脈を打つ。


テラス中に響き渡る拍手が、ハッキリと「女王」には聴こえている。

鳴りやまない嵐のような拍手と共に激しい瞬く、カメラのフラッシュ。これもまた「女王」にはハッキリと見えている。


これから、確実に起こる現実を今、「女王」は想像している。

鮮明にハッキリと聴こえ、見えている。


「女王」は実現することしか想像しない。現実にならない想像など無意味。


「女王」はすべてを現実のこととして捉え、想像する。

見えてくるのは愚かなほど純粋で、期待で溢れる哀れなだ。このを「女王」は幾度となく、見て来た。

その眼差しが、「女王」に確信と優越感をもたらしてくれる。

「女王」にとっては、麻薬のように中毒性のある刺激。その麻薬が明日も見れるのだと思うと、心が弾む。


だから、想像せずにはいられない。想像すればするほど、気持ちがハイになる。


何かを言えば驚き、何かをすれば喜び、有難がって、信じ込む。無数のが、「女王」に向けられる中、「女王」が、


「社長。宜しいですか?」


まただ。また田中の声が、絶頂にいる「女王」に水を差す。


一度ならず、二度もジャマをした。秘書としてあってはならない所業。遠藤から聞いているはずの注意事項。

しかし、せかっくの晴れ舞台を前に気分を害するのもイヤだったので、「女王」は何もなかったように左に顔を向け、笑顔で田中を見る。


「どうしたの?」


田中は虎の尾を二回踏んだことも知らずに、話し出す。


「考えたんですが。映画を作るというのは、いかがでしょうか?」


「映画?」


突拍子もない田中の提案に、虎も尾を踏まれていることも忘れしまう。


「はい。どうせ記者会見をするのでしたら画集だけではなく、もっとインパクトのあることをした方が、より話題性が増すのではないかと思いまして。」


「映画…ね。」


新たな刺激が「女王」の躰を激しく流れて行く。感覚という感覚にドクドクと流れ込み、気持ちがいい。


「女王」は常に新しい刺激を求めている。


しかし、ここですぐに飛びついては、はしたない。刺激を感じながらも「女王」は冷静に答える。


「映画と言っても、クラウドやあの男は出てくれないでしょ?」


「いえ。クラウドやあの男はいりません。社長を主役とした映画を作るんです。」


またも「女王」の躰に、稲妻にも似た刺激が走り抜ける。


“主役” なんていい響きなのだろう。

田中は「女王」の想像を盗み見たのではなかと思うぐらい、今の「女王」の気持ちをくすぐり、悦にさせる。

しかし、ここで感じていてはみっともない。「女王」は悦がバレないように落ち着いた口調で話を返す。


「私が、主役?」


嘘臭くならないように、驚き過ぎないように。


舞台はもう始まっている。


「はい。おそらく、あの男に頼んでもいい答えは返っては来ないと思います。ならば、ここは社長に出て頂いて、クラウドの作品に対しての熱い想いを語って頂く映画を作ってはいかがと。今度は写真ではなく、映像で記録を残す。というのはどうでしょう?」


何も知らない観客の田中は、主演女優の「女王」に提案をする。


遠藤にはないアイディアが、田中には溢れるほどあった。そのアイディアはことごとく、「女王」の感覚を刺激し、虜にさせる。この刺激、当分「女王」にはやめられそうもない。

観客でありながら、名脇役でもある田中に、「女王」は拍手を送りたい気分だった。


「ん~…、映画ね…。」


すぐにOKを出してもいいのだが、それでは浅ましい部分が見えてしまう可能性があったので、「女王」は、もったいぶった演技を見せながら、田中をじらす。

その演技に釣られたのか、田中も「女王」の顔を心配そうに窺う。


「いいんじゃない。」


「女王」はサラリとした演技を見せ、許可を出す。


「ありがとうございます!」


「女王」の迫真の演技に田中も引き込まれたようで、喜びながら頭を下げた。


「それで、撮影してくれる会社は考えてあるの?」


「はい。以前、社長のドキュメント番組を撮ってくれた会社に依頼しようかと考えています。」


「そう。そこは映画も撮っているの?」


「いえ、映画は撮っていません。今回はネットで流そうかと思っています。」


「⁉」


ネットは最近、「女王」が覚えた味。まさか、こんなところで味わえるとは思ってもいなかった。

ネットという甘美な味を思い出した途端、喉の奥から「女王」の欲深い手が飛び出し

て来そうになる。その欲深い手を吐き出さないよう、「女王」は必死になって、飲み込もうとする。


ここで吐いたら、一生の恥。


田中にバレないように、「女王」は飛び出して来た手をゴクリと飲んで、喉の奥に押し返す。

田中は、そんな「女王」に気付かずこともなく、説明をはじめた。


「映画館で上映となりますと、どうしても時間や場所が限定されてしまいます。しかし、ネットであれば、時間も場所も制約されません。いつでもどこでも視聴が出来、料金も映画ほど掛からない。それでいて、世界中で視聴が可能。ここが今回のポイントなんです。」


「ポイント?」


「そうです。ネットならではの利点を活かし、色んな言語の字幕を付けて配信すれば、社長の芸術に対する想いが世界の隅々まで効果的に伝わり、その上、映画を一本作るよりも安く製作費を抑えられますし、配信なので、すぐに流せます。」


「そうね。」


「女王」の先ほどまでの怒りは、会場の隅に追いやられ、いつの間にか消えていた。


「今、クラウドのブームを逃してはいけないと思うんです。悠長に映画を作っていては遅過ぎます。“鉄は熱いうちに打て” の言葉通り、ここはネットの特徴を最大限活かしてたことをしてみたいと思うのですが。いかがでしょうか?社長。」


田中の言葉には色があった。

田中のイメージしている未来が、言葉に乗せられ色鮮やかに咲き乱れる。そのイメージは「女王」にも伝わり、心躍れされる。


申し分のないプレゼンだ。喉の奥の欲深い「女王」の手が、今にでも田中を掴み、丸呑みしたい気分だったが、そこはグッと堪えて我慢する。


従順な従者の言葉に簡単に乗っては「女王」の名が廃る。



「…ん~…ネットね…。」


思いがけず、主演女優の再演がはじまった。


「女王」は先ほどよりも長く、熟考している迫真の演技を田中に見せた。

あやうく、欲深い手を田中に見せてしまうところだったので、余計、それを隠すように「女王」は考える。考えるフリをする。


考えなくても答えは出ている。

答えは出ているが、ここは出さない演技をして、田中の表情をチラリと見て、確認すると、田中は熟考する「女王」の演技を、真剣なでジッと見ている。


どうやら、「女王」の欲深き手は見えていなかったようだ。

それを確認してから、「女王」は重い口を開いた。欲深い手を吐き出しそうになったその口で、田中の案にGOサインを出す。


「ありがとうございます!」


またも「女王」の演技に魅せられて、田中は喜び、頭を下げた。


「まだ、製作会社からOKは貰っていませんが、記者会見で発表しても、問題はないと思います。これが話題になれば、逆にオファーも受けやすくなると思いますので。」


田中は、そつなく、この危機的状況を乗り越えようとしている。いや、乗り越えたと言っていいだろう。

あとは「女王」に任せておけばいい。「女王」に任せれば、100%上手く行く。


遠藤不在の中、田中は「女王」の秘書としての力をつけ、「女王」もまた、その力を認めた。


二人の間で、遠藤の存在が、ドンドンと薄く、遠くなる。




午後十二時二十九分


神聖で、静かだった会場が、今は、俗世間の泥にまみれたマスコミによって蹂躙され、騒がしい。


「女王」は後ろの控室から、その汚らわしい獣たちの声を聞きながら想像する。


数時間後に起こる万雷の拍手。「女王」の耳元で、すでに聴こえている。うるさいほど鳴り響いている。


白い舞台に立ち、「女王」が話しをするだけで、たちまちすべての人が、「女王」の魅了に惹きつけられ、洗脳されるて行く。それが手に取るようにわかる。

数時間後に約束された感触。その時が、早く来ないかと「女王」は、手ぐすねを引いて待っている。


万雷の拍手が、「女王」の耳元で、さらに大きく鳴り響く。薄汚れたマスコミの声さえも聴こえないほど、万雷の拍手が大きく、大きく鳴り響き、「女王」の躰の中を駿馬の如く、駆け巡る。

すると、それと同調するかのように「女王」の熱も早くなり、暴れ馬のように脈を打つ。もう誰も止められない。「女王」でさえも、この馬を抑えることが出来ないし、抑えようとはしない。


“もっと早く!” “もっと早く!” 


「女王」の想像が加速する。


歩みの遅い秒針を置き去りにして、「女王」の感触が数時間後の未来へと誘う。


“もっと強く!” “もっと強く!” 


「女王」が躰の中で駆け巡る馬にムチを入れると、馬は狂ったように暴れ出す。


その感触が心地いい。


“もっと激しく!” “もっと激しく!”


最高潮の興奮が「女王」の躰を痺れさせ、これから起こる歓喜の声が「女王」の耳元で、


「社長。お願いがあるのですが。」


二度あることは、三度ある。


また、田中が「女王」の世界に土足で入って、ジャマをする。しかし、本番まで、あと数十分。ここで腹を立てては台無しだ。約束された未来が、「女王」の元に訪れなくなる可能性がある。


「女王」は、ドス黒く濁った感情を追い出すかのように、ひとつ大きく息を吐き、「何?」とおくびにも出さない顔で、田中を見る。


もちろん、田中は “そんなこととは露知らず” の顔で、「女王」を見ながら話し出す。


「実は、急な要件が出来まして、会見の間、席を外したいのですが、宜しいでしょうか?」


何かと思えば、そんな小さな、どうでもいいことでジャマをされたのかと思うと「女王」は腹が立つのも忘れ、呆れた。


「いいわよ。」


「有難うございます。終わり次第、すぐ戻って来ますので。」


そう言って、田中は腰が曲がるほど、「女王」に頭を下げ、感謝と謝罪をするが、「女王」は見ていない。見ていないどころか、席を外す理由も聞こうとしない。

それもそのはず、「女王」さえ居ればいい話であって、端役の人間が、一人いなくなろうが、増えようが関係ない。


必要なのは主演女優と、それに見合った晴れ舞台。


それだけあれば、あとはいらない。


だから「女王」は許可を出した。 それは、必要のないものを排除したまでのこと。




そして、いよいよ幕が上がる。


約束された世界の中心に、今、「女王」が舞い降りる。




















































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