第14話 従者

殺意を育てている暇はなかった。


突然、降って湧いて来たこの問題を対処しなければいけないことは事実。しかし、悲しいかな、この事実に向き合っているのは新人秘書の田中だけ。


「社長。悔しいですけれど、あの男が言っていたことは正しいです。」


「どういうこと?」


「この件に、室長が関わっているとは思えません。しかし、この記事を根も葉もない噂だと切って捨てておくのは危険です。」


「危険?」


「女王」は写真から目を離し、田中の顔を見る。そのは笑っていた。


田中が放ったその言葉は、「女王」から見れば、突拍子もない言葉に映り、何かの冗談に思えた。

田中も、「女王」が放ったその一言で、「女王」の気持ちは理解できた。しかし、田中は怯むことなく、説得する。


「この志田という記者は、あの日のインタビュー以来、執拗に社長を追いかけています。それは病的と言ってもいいぐらいです。きっと、これからも、それは続くと思います。現に今もこうやって、ありもしない話を記事にしているんですから。」


「女王」は田中の話を半分聞いただけで、再び、写真に視線を戻した。


「んー…。そうねー…。」


どんなに田中が志田の行動を危惧しても、「女王」にとっては、ただのそこら辺にいる顔も名前の知らないその他大勢の記者でしかなく、いざとなれば、いつでもひねり潰せる取るに足らない存在でしかない。


それも田中は理解している。「女王」の芳しくない反応を見れば、一目瞭然。

それでも田中は説得を続ける。暗い洞穴に向かって、大声で叫ぶように、一生懸命、説得をする。


「相手にせず、無視し続けもても、この記者は、これからもあることないこと面白可笑しく書き立てて来る可能性が十分、考えられます。」


「そう?」


「はい。これだけクラウドの人気があるのですから、すぐにマスコミは飛びつきます。そうなれば、もう取集がつかなくなります。」


「まぁ、そうだけどね。」


「女王」は今一つ、状況が飲み込めていない。というより、田中の危惧する問題点がわからず、要点が掴めないでいた。

「女王」にとって、話題は大好物だし、目立てるのなら、いつでも取材を受けたいと思っている。「女王」にとって、何も不都合なことなどない。むしろ大歓迎だ。


しかし、田中の言っていることは、そこではない。

根も葉もない噂が独り歩きして、それに釣られて世の中が騒げば、いくら「女王」と言えども、抑えることは出来ない。それはすなわち、会社の評価が下がるということ。会社の評価が下がるということは「女王」の評価が下がるということ。だから田中は、このまま志田のデタラメな記事を見過ごすわけにはいかないと言っているのだが、「女王」にはまったく伝わらない。届いていない。


どうも「女王」は、自らのことになると先が読めなくなる。何でも出来てしまうせいか油断する。

実際、「女王」より力のある者など、そう多くはないが、それでもゼロの話ではない。田中は遠藤譲りの危機回避能力で「女王」に苦言しているが、如何せん「女王」には届かない。


「社長の評判に傷がつくことになるんですよ。」


田中は説得する角度を変えた。

会社ではなく、直接、「女王」に跳ね返って来るという角度に変えてみた。


「えっ? どういうこと?」


「女王」は田中の顔をグイっと見た。


正解だった。

「女王」が喰いついた。いつもは釣る側の「女王」が、田中のエサに喰いついた。これも遠藤直伝のテクニックの賜物か。


田中は、一気に畳み掛ける。


「それでは社長。新作の絵はどうするのですか?」


「…。」


「女王」は考え出す。

これは田中にとって、いい流れだ。「女王」が考え出したということは、田中の話に耳を傾けているということ。ここは一気に行しかない。


「江口が言っていたように、新作がなければ詐欺同然の行為です。それは、“志田という記者が勝手に書いた記事で、社長には関係ない。” では、世間やマスコミは納得しません。」


「…。」


「もし、仮に今回、上手く対処できたとして、あの記者が諦めるなんて補償どこにありますか? 次も、根も葉もない噂を記事にしたら、どうするんですか? その次も記事を書いたら? その次も書いてきたら。いつ、終わるかわかりません。無視し続けるのは危険です。」


「潰してしまえばいいんじゃないの?」


如何にも、解決策だ。


「それでも安心はできません。」


田中は冷静に答え、続けた。


「たとえ、記者を辞めて、雑誌で記事が書けなくなったとしても、今は、個人で発信し、受信できる時代です。ネットを使われたら、厄介です。社長もネットの影響力は御存知だと思います。今ではマスコミよりも、その力は大きい。あっという間に広がります。」


田中の言う通り、ネットの力は「女王」も、よく知っている。確かに、侮れない。使い方を間違えれば、諸刃の剣。切っ先は「女王」の喉元めがけ飛んで来る。


田中の話には説得力があった。

「女王」もいつしか、田中の言葉に耳を傾け、真剣に考えはじめていた。


「じゃあ、どうするの?」


「女王」は田中に答えを求めた。


「ここは打って出た方が得策かと。」


「打って出る?」


「はい。」


「どういう風に?」


「おそらく、あの記者は、こちらが慌てて行動を起こすのを待っているのではないかと思います。こちらが、噂話の火消しに躍起になっているところを狙い、取材を申し込んで来ることが考えられます。以前、室長が彼女のところに行った時、同じことを言われたそうです。」


「なるほど。」


「社長ほどの人が、噂話を焚きつけた記者に足元を見られるなんて、あってはならないことです。」


「女王」は深く頷く。


「一度、上手く行けば、味をしめて、また同じことをして来る可能性があり、そうなれば向こうの思う壺。悪循環に陥る危険性があります。」


「たしかに。」


「ここは、一歩引いて、相手の様子を見るのでなく、こちらから動いて、出し抜くんです。」


「出し抜くって…どうするの?」


「そうですね…。」


田中は考える。

田中も何か策があって、話したわけではない。とにかく、この状況を何とかしなければならない一心で、「女王」を説得していた。

その先は考えていなかった。

だからと言って、“わかりません” では、話しにならない。「女王」をその気にさせたのだから、責任を取らなければならない。


「女王」が見ている。何かいい案があるのだと期待したで、田中を見ている。


田中にかかる無言のプレッシャー。 田中は頭をフル回転させ、知恵を振り絞る。

言葉にならなくてもいいから、思いついたことを、とりあえず言わなければ。何でもいいから話さなければ。


田中は走りながら考える。


考えてみれば可笑しなものだ。

この危機的状況を乗り越えるため粉骨砕身、努力するのは、この会社のトップ「女王」の仕事だ。しかし、「女王」には、その自覚も、責任感もなく、少し、頑張れば解決する話なのだが、そんなことに使う時間もなければ、気持ちもない。

必死に考え、粉骨砕身頑張っているのは、半年前に入社した新人秘書だけ。この理不尽な状況の中、田中は孤軍奮闘、絞り出す。


その時、田中の頭の中が光った。


「記者会見をするというのは、どうでしょか?」


「記者会見?」


「はい。確か、記事に…。」


田中は、江口が「女王」に叩きつけた志田の記事に目をやり、指をさす。


「ここです。“記者会見”って書いてありますよね。」


「うん。あるわね。」


「きっと、記者は私たちが記者会見をやらないと踏んで書いているんだと思うんです。」


「そうなの?」


「えぇ、きっとそうです。」


「ならば、これを逆に利用して、記者会見を開いてしまうんです。」


「記者会見? 開くの?」


「はい。そこまで記者も考えていないと思います。」


「…記者会見、開いて、どうするの? 」


「女王」の言い放った疑問は至極当然。さすがの「女王」でも、そこまでいい加減ではない。いくら人前に出るのが好きだからと言って、理由もなしに出ることは出来ない。

しかし、田中もそれは百も承知。自分でも何を言っているのか、何を言いたいのかわからないが、とにかく考えなければならない。「女王」を説得させ、納得させなければならない。


田中は猛スピードで走りながら考える。


「…んー…そうですね…。例えば…クラウドの画集を出すというのはいかがでしょうか。」


「画集?」


「はい。すべての作品を一冊の本にまとめ出版するんです。そして、その作品すべてに社長のコメントを添えるというのはいかがでしょうか?」


「私の?コメント?」


「そうです。 クラウドの才能を誰よりも先に見つけたのは社長です。その社長が、クラウドの作品一つ一つに画廊としての視点や評価。そして、芸術を愛する者としての想いを言葉にした画集を作るんです!」


「芸術を愛する者ね…。」


どうやら、「女王」は、その言葉がお気に召したようだ。


田中は言葉にならない考えを、走りながら形にして行く。


「ただでさえ、クラウドの絵は難解です。わかっている人は、そう多くありません。だからこそ、ナビゲートしてくれる人が必要なんです。クラウドの絵の意味を、クラウドの画家としての才能を理解し、分かり易く伝えてくれる人が必要なんです。」


「それが私。」


「はい。社長が記者会見を開き、マスコミに画集の出版を発表すれば、それだけでニュースなります。そうなれば、こんな小さな記事は吹き飛んでしまいます。あの記者の思い通りには行くこともないはずです。ですから、そのためにも、どうしてもここは社長のお力が必要なんです。どうか考えて頂けないでしょうか。社長を置いて、他に出来る人はいません。お願いします。社長!」


田中の言葉が、「女王」の耳の中で、心地よく響く。なんて、いい響きなのか。

「女王」の躰の中で、春のそよ風のように軽やかに、朗らかに駆け巡る。


この感覚は遠藤では味わえない感覚。


遠藤ならば、時間の無駄とばかりに誤報のコメントを出して終わる話しなのだが、それを新人の秘書が、遠藤のマネをせず、独自の目線で考え、アイディアを出す。

この刺激は、遠藤からでは受けられない。事務的な人間とは正反対の刺激。田中と「女王」の波長がピッタリと重なり合い共鳴する。

そして、何より気に入ったところは、「女王」が主役であること。

これは田中が常に「女王」のことを考えている証。遠藤のように機械的に割り切ることはせず、どうしたら「女王」にとってプラスになるかを考えている証左。

何と「女王」思いの秘書なのだろうか。こんな忠実な従者を「女王」はずっと待っていた。遠藤より仕事が出来なくても、「女王」には絶対、必要な人材。


「女王」は田中を見て、ニコリと笑う。

田中も「女王」とは違う意味で、ニコリと笑い返し、話しを続けた。


「ここは誤報と言って切り捨てるよりも、逆手に取ってチャンスにしてしまった方がいいと思うんです。マスコミは下手に逃げると追ってきます。それならば、いっそのこと、こちらから打って出て、裏をかいてやりましょう!」


「そうね。」


「画集の話をぶつけて、マスコミの注意が逸れた隙に、この記事は間違えだと社長が記者会見で一言、言えば、疑う者は誰もいません。みんな信じます。」


「面白い。それでいきましょ。」


「女王」からの許可が下りた。

はじめて田中のアイディアが採用された。ついこの間まで「女王」に存在どころか、名前すら覚えてもらえてなかった者が、今、ようやくとして認識してもらったのだ。


「有難う御座います!」


田中は頭を深々と下げる。

何と健気な秘書なのだろうか。「女王」に甲斐甲斐しく使え、喜んでいる。「女王」の本当の気持ちも知らずに。もちろん「女王」も田中の気持ちなど知らないし、興味もない。


使える従者は一人でも多い方がいい。


「だからと言って、室長の帰りを待っていては遅いと思うんです。ここはすぐにでも動いた方がいいと思うのですが。」


「あなたに、任せるわ。」


従順な従者を使いこなすも、「女王」の務め。


「きっと、室長も事情を話せばわかってくれると思います。それでは早速、会見場を探しておきます。」


「お願い。」


「あっ、あと、出版社も探しておきます。」


「わかったわ。」


従順な従者は、「女王」に認められ、秘書として自信がつき、まさに天にも昇る気持ちと言ったところか。

はじめて、秘書として与えられた仕事。遣り甲斐をヒシヒシと感じているだろう。


勘違いさせるのも「女王」としての務め。

気持ちよく、従者として働いてもらわないと「女王」が困る。


それにしても、忠実ないい従者を見つけたものだ。しかも、こんな近くにいるとは。

この降って湧いた危機的災難を、新人の従者の機転により、何とか回避することができた。

しかも、その方法が、「女王」を輝かせるための方法というのだから文句のつけようがない。


「女王」にとって、それが何より痺れて、気持ちいい。


田中という従者は「女王」の喜ばせ方を知っている。


どうやら「女王」とは、馬が合うようだ。








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