第6話 三枚の絵

翌日。午後一時二十七分。


会議室。


遠藤は明日の商談のため、各部署の社員と話しを詰めていた。


そこに田中が現れ、遠藤の耳の元に顔を近づけ報告する。


「室長。先ほど、江口様から連絡がありまして、明日の午後二時に絵を届けに来るとのことです。」


「そう。それじゃ、田中さん。対応お願いね。」


「畏まりました。」


一礼して、帰ろうとする田中を遠藤は呼び止め「彼、他に何か言ってなかった?」と他に報告がないか探りを入れる。


しかし、遠藤の質問の意図がわからず、田中は少し不思議な顔をして「いえ。何も。」と答える。


「…何も。…そう。ありがとう。じゃあ、明日、お願い。」


何もなかったように装ったが、遠藤には、どうしても引っかかることがあった。


それは “江口は尾行に気付いていたのか?”


昨日の尾行がバレたのならば、江口のことだエライ剣幕で怒ってくるに違いない。遠藤はそう考えていた。そのため田中に江口から連絡が来た場合は、すぐに報告するよう頼んであった。


田中が会議室に現れた時、遠藤は最悪の結末を覚悟した。


尾行を考えたのは遠藤だ。

その尾行がバレるなんて、夢にも思っていなかった。


完全に遠藤の失態だ。


これでもし、絵の商談が上手くいかなかったらクビどころの話しではない。

「女王」が心酔し、気に入っている絵が手に入らないとわかった時の怒り。考えただけでもゾッとする。


この事実が眠って見る悪夢なら、どれほどよかったことだろう。


だから、遠藤はまだ「女王」に尾行の失敗を報告していない。

恐ろしくて出来ないのだ。

二十年近く「女王」の右腕として手腕を発揮してきた遠藤でさえ躊躇するほどの怒り。

“絵が買えなかったが、その代わり秘書が「女王」の怒りを買った。”なんて冗談にもならない冗談。笑って許されない悪夢だ。


眠らずに悪夢を見る勇気など遠藤にはなかった。


「女王」に知らせる前に軌道修正をして、何とか失敗をなかったことにしようと考えていた。

何としてでも商談を成立させなければならない。遠藤はそう決めていた。憎い江口に罵倒されようと唾を吐かれようとこの際、我慢するしかない。背に腹は代えられない。


「女王」の機嫌を損ねるよりも、江口から屈辱を味わう方が容易く、生ぬるい。

地獄としては極楽だ。


そこまで覚悟を決めて待っていたのに、まさか何も言って来ないとは、遠藤にとっては予想外。嬉しい誤算ではあるが、江口の考えがまったく読めない。相手が江口だけに油断も安心も出来ず、遠藤は心が晴れることはなかった。


“一体、あの男。尾行に気付いているのか?いないのか?”


遠藤の喉に大きな骨が突き刺さり、わずらわしい。

会っている時だけでも煩わしい男なのに、会ってない時間にもニュッと現れ、特大の煩わしさをプレゼントして来る。


迷惑で邪魔なサンタクロース。


煩わしさが遠藤の頭の上に重しとなって、気もそぞろ。明日は大事な商談があるというのに業務が一向にはかどらない。


しかし、嘆いていても仕方がない。

遠藤は明日、江口がどんな行動に出るのか見てみることにした。




翌日。

午後一時五十分。裏口通用口前。


ここは正面玄関の裏手にあり、主に荷物や社員が出入りする場所。関係者以外、立ち入り禁止。


そこで田中は待っている。

おそらく遠藤の指示で手伝いを頼まれたのだろ。田中の後ろに若い男性社員三人、同じように待っている。


数分前、江口から連絡があり、裏口へ来るよう指示をした。


田中の一行が裏口に到着。

間もなくして、車のエンジン音が聞こえて来た。

左側を見ると白いバンが、田中の方に向かってやって来る。

運転している江口の姿を目視で確認。

どうやら一人のようだ。


田中が軽く手を上げ、場所を知らせと、江口は田中の側に車を停めた。


「いつもと違う場所なんで焦りましたよ。」


車から降りて来るなり、江口はいつものように喋り出す。エレベーターでも裏口でのお構いなしに喋り出す。

慣れたものだ。田中はいつものように心の中で耳を塞ぎ対応する。


「裏門の警備員の人に話しかける時、ドキドキしましたよ。不審者と思われたらどうしょうかって。もう、心臓バクバクで。」


江口はいつものように勝手に話し出し、無駄な時間を浪費する。


しかし、田中は江口の完全情報漏洩対策に気付く。


運搬するのだから、もっとラフな格好で来るかと思いきや、今日もスーツを上手に着こなし現れた。絶対に隙を見せない構えのようだ。チラッと見たナンバープレートはレンタカーだった。

無駄な時間を浪費するくせに、無駄な情報は一切、明かさない完璧なまでの用心深さ。

遠藤に伝えるものは時間の浪費以外、ないもない。


「それで江口様。絵の方は。」


これ以上、情報がないとわかれば、これもまた慣れたもの。江口の話しを遮り、田中も勝手に話し出す。


「あー、そうでした。スイマセン。後ろに。」


後ろのドアを開けると大中小、三種類の絵が梱包され、立てかけてあった。


「いやー、これ梱包するの大変でしたよ。」


サラリと江口が言った。


「えっ、ご自身でされたのですか?」


「そうです。」


サラリと江口は答えた。


「なんせ初めてなもので、今日の朝方までかかっちゃいましたよ。いやー、眠い。眠い。」


サラリと話す江口に、田中は素朴でありきたりな問いを投げかける。


「業者の方に任せてもよかったのでは?」


「いやいや。ダメです。アイツが、クラウドが怒りますから。」


江口は当たり前に答え、サラリと田中に返す。


「そうですか?」


「ホント、芸術家は変わり者が多くていけませんね。」


十分、江口も変わり者だが、その言葉は田中の胸に納めておくことにした。


「私たちが運んでもよろしいのでしょうか?」


田中は恐る恐る聞いてみた。


ここまで人の介在を許さないのなら、田中たちが持って行くことも許さないのではないか?そんなことがバレて、機嫌でも損ねたら厄介だ。


「あっ、大丈夫ですよ。アイツ見てないですから。」


至極ごもっとな言葉が返って来た。


「…そうですか。それでは運ばせて頂きます。」


「どうぞ。」


軽くOKを出す江口を見ていると、色々考えている自分が、とてもバカみたく思えてしまう。結局、無駄な時間を浪費しているのは田中の方だ。


そのことも田中の胸に納め、早速、後ろで待機している社員に軽く頷き合図を送る。すると、男性社員はテキパキと絵を運び出し、ビルの中へと消えて行った。


三枚なのであっという間だ。


これだけのことなのに田中はヒドク疲れた。遠藤の気持ちが、ちょっとだけわかったような気がした。


「それじゃ、私、帰ります。」


「いえ。そんな。よかったらお茶でも、どうぞ。」


遠藤から抜かりなく江口を接待するように言われていたが、正直なところそのまま帰ってほしかった。しかし、そうもいかないので、一応、アリバイ作りの社交辞令を挟んでみた。


「いえいえ。お構いなく。それより、社長に絵の売却の方、くれぐれもよろしくお願いしますとお伝え下さい。必ず、一週間以内に連絡しますから。あと、遠藤さんにもよろしくと言っといてください。それでは失礼します。」


はじまり方も一方的なら、終わり方も一方的。

言いたいことだけ言って、江口は颯爽と帰って行った。


“遠藤さんにもよろしく” の言葉は遠藤には伝えず、田中の胸に納めておくことにした。




翌日。


「えっ⁉ 自分で梱包したの‼」


遠藤は驚き田中を見る。


「はい。そのようです。」


「とことん他人が嫌いなのね…。」


クラウドの潔癖過ぎる人嫌いに最早、言葉すら出なかった。


「それで…他に何か言っていなかった?」


ふと、田中の脳裏に“遠藤さんによろしく”と言っている江口の顔がよぎるが、これは言わなくていいことだと判断し、「いいえ。特に何も。絵を渡して、すぐ帰られました。」と答えた。


「そう…。」


尾行がバレたと遠藤は観念していたが、どうやら江口は気づいていないようだ。

尾行が失敗しても音沙汰がなかったし、しかも、昨日は直接、会っている。

その時にも文句ひとつ言わず、そんな素振りも見せず、何もなかったように帰って行った。

例え「女王」や遠藤が不在だったからと言って、気付いていたなら何かしらの行動を起こすはず。何せしていたのだから、黙って見過ごす人間はいない。

いくら無神経で軽薄な江口でもきっと怒るだろう。


それがないということは、尾行に気付いていなかったということ。

探偵の報告通り、偶然、電車を間違えただけ。

遠藤はホッとする。首の皮一枚のところで生き延びた。


しかし、それでもやっぱり、ややこしい行動をした江口に腹が立つ。

よりによって、あの状況で電車を間違えるなんてあり得ない。江口のせいで、遠藤は使わなくてもいい神経を使い、すり減らしてしまった。

実際、尾行の策を考えたのは遠藤で、失敗したのも遠藤の責任。一切、江口には関係のない話なのだが、すべて江口に責任転嫁してもお釣りが来るほど、遠藤は江口が嫌いでキライで仕方がなかった。




遠藤と田中が秘書室のドアを開け、社長室に入ると「女王」が立っていた。

三枚の絵をガラス窓に立てかけ、いつになく真剣なで見ている。


どこまでも続く青空とクラウドの絵がまったくといっていいほど重なり合ず、調和しない。それがとても美しく、「女王」の感性を揺さぶる。


何にものにも染まろうとしない協調性のない独創性。

毒々しいまでの禍々しさ。

負の感情を吐き出し、叩きつけただけの芸術。


輝く空さえも霞んで見える唯一無二の存在感。


本心を言えば誰にも渡したくはなかった。

すべて「女王」のコレクションとして手元に置いておきたかった。しかし、絵を売らなければ他の作品は手に入らない。入らなければ「女王」の価値が上がらない。「女王」の価値を今以上に上げるには他の作品も人の手に渡さなければ意味がない。でも、手放したくはない。


「女王」の中でどうしようもないジレンマが、グルグルと音を立て、カラカラと空回りする。


そんな「女王」の気持ちが、遠藤には不思議でならなかった。


その理由が、貴婦人の机から見える正面の壁にあった。


この前、入手した400万の絵が立派な額に入れられ掛けられている。

こんなこと今までなかった。

絵とは「女王」にとって、「女王」の価値を上げるための安価な投資でしかなく、無機質なモノであり、決して血の通った芸術作品ではなかった。そんな「女王」が絵を飾り、絵画として楽しんでいる。遠藤には信じられない光景だった。


“素人にはわからない秘密が、あの絵の中に隠されている。”

“遠藤には見つけられない魅力が、あの絵の中でうごめいている。”


遠藤はそう感じ、そう理解した。




題名「生命誕生」 (6号 Fサイズ 410mm×318mm)

白く塗られたキャンバス中央に、どす黒い渦が上に二つ。下に一つ。

下の黒い渦の横には、血のように赤い渦一つ。

計四つの大きな気味の悪い渦が、キャンバス全体に殴り書きに描かれている作品。

300万円で売却。


題名「モラトリアム」 (10号 Fサイズ 530mm×455mm)

キャンバス全体が赤色。

しかもその赤は幾重にも幾重にも塗られ、キャンバスに層となり、厚みが出ている。

その赤を削りながら幾何学模様を描いた作品。

560万円で売却。


題名「最期の日」 (30号 Fサイズ 910mm×727mm)

紫色の三角形がキャンバス全体に手を使い描かれ、その三角形の中央に筆で描かれたた口のような形をした赤い楕円が乱暴なタッチで何重にも描かれた作品。

890万円で売却。


四日後、「女王」は宣言通りクラウドの絵を三時間以内にすべて売却した。


題名と金額は「女王」が付けた。しかし、芸術に付ける金額はあってないようなもの。誰がそれを評価するかによる。

「女王」が認め、絶賛し、尚且つ「女王」自身で題名を付けたとなれば、この金額でも安い。

すぐに買い手は付く。

買う側も好き好んで、こんな気味の悪い絵に大金を出さない。しかも、無名の画家に。

この金額はクラウドの絵の価値というよりも、「女王」の画廊としての確かな目利き料。「女王」の価値を反映しての額。


そして、本来ならば絵が届いたその日に売ることも出来た。しかし、すぐに手放すには口惜しく、「女王」はギリギリまで持っていたかった。眺めていたかった。

また拷問のような時間を待たなくてはいけないのだから、その拷問の日々を耐えるためにもが必要だった。


クラウドの絵を見ている間は地獄よりも苦しい拷問も、遠藤の小言も我慢できた。


しかし、クラウドの絵をすべて手に入れるためには、そんな悠長なことは言ってられない。


「女王」は仕方なく、泣く泣く、渋々、売却した。


あとは三日、江口から連絡が来るのを待てばいい。

その間は「女王」はカタログを眺めて耐えることにした。




そして、翌日の朝、事態が急変する。




























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