第5話 秘策

「女王」のビル・正面玄関前


ビル群がひしめき合い、竹林のように上は上へと伸びている。

その中央にぽっかりと空いた憩いの空間。

木々は揺れ、暑苦しい都会の喧騒に穏やかな風が流れ込み、ビルの間を吹き抜ける。


広々とした敷地には近くのビルで働く人々が、一時の安らぎを求め集まって来る。

日常の忙しさを忘れるように皆、ベンチに腰を掛け、それぞれの非日常を味わっている。そのため置かれたベンチは常に満席。特にこの時間帯はそうだ。

ある者は読書をし、またある者は他愛もない話しで盛り上がり、笑い声がビルの間をこだまする。

その風景をビルたちがぐるりと囲み、覗き込む。

それはまるで、小さな生き物を観察している巨人のようだった。


もちろん。このも「女王」が考えたものだ。

敢えて正面玄関前に広いスペースを作り、憩いの場所として提供すれば、自ずと人々が集まり、否が応でも「女王」のビルを目にする。しかも、待ち合わせ場所として、「女王」のビルの名前が使われれば、いい宣伝効果になる。

正面玄関の前の敷地をちょっと広げ、ちょっと貸してやるだけで、莫大な利益が見込めるのだから安い買い物だ。


「女王」は手を抜かない。

最後の最後まで「女王」を見せつける。


その安い買い物の上に、一人の中年男性が花壇に腰掛け休んでいる。

歳は50代。ビッシと決めた髪型とロマンスグレーが良く似合う。

細身でスーツを綺麗に着こなし、どこから見ても一流商社マン。ちょっと遅めの昼休みをしているようにも見えた。


しかし、男は注意深く「女王」のビルの正面玄関を見つめている。


男のスマホにメールが届く。


見ると、“今、そちらに向かっています。”の文字と、さっき撮ったのであろう江口の写真が添付されていた。


男は写真を拡大し、玄関から出て来る人物と照らし合わせた。




程なくして、江口が「女王」のビルから出て来た。

男はゆっくりと腰を上げ歩き出す。

江口の姿を目視できる距離を保ちながら後を追う。付かず離れず、あやしまれることなく、一流商社マンとなって、街に同化し、後を追う。




田中が秘書室から現れ、「女王」と遠藤に探偵の尾行が始まったことを報告する。


「ありがとう。随時、報告お願い。」


事務的に遠藤が指示を出し、「畏まりました。」と田中も事務的に答え、秘書室へと戻って行く。


遠藤の秘策。


前回、江口が帰る際に考えついた策だ。


江口が自分の正体を頑なに拒むのであれば、こちらから見つけ出せばいいだけのこと。さすがの江口も、「女王」の秘書が無名の画家、一人のために探偵まで雇い、尾行しているとは夢にも思わないだろう。


そこが素人と遠藤との差。


遠藤は、「女王」の秘書を二十年続けている。二十年だ。そこら辺の秘書と一緒にされては困る。手練手管を知り尽くし、海千山千を相手にしたきた秘書だ。すべてお見通し、隙など見せない。不意も突かせない。


「女王」同様、遠藤も最後の最後まで手を抜かない。


それに、あの憎っくき、江口の鼻の皮を思いっきり明かしてやるチャンスを見す見す逃すわけがない。


今度こそ遠藤の番。

手ぐすねをグイグイ引いて待っている。



新しい屋根と古い屋根が交じり合い、山の裾野のようにどこまでも広がる住宅街。昼時とあって静かだ。


その中を江口は歩いている。

探偵が尾行しているとは気付かずに歩いている。


探偵は注意しながら江口の背中を見つめて歩く。

江口だけでなく、探偵は住宅街の住人にも注意する。目立ってはいけない。不審がられては探偵として失格。廃業しなくてはいけないレベルのミスだ。

しかし、探偵には長年の経験で培った感覚がある。

360度、全方向に神経を尖らせ、張り巡らせ、街に溶け込み、江口に振り返させることもさせず、抜き足、差し足、忍び足で尾行する。

 

突然、江口が止まった。


“見つかったか‼”

探偵の心臓がヒヤリと汗をかく。


しかし、江口は振り向くことなく、スマホを見る。


どうやら後ろに気付いたのではなく、メールが来たので止まったようだ。

スマホをしまい、江口は再び、歩きはじめる。


もう少しで、廃業になるとこだった探偵は凍り付いた心臓をマッサージしながら再び、抜き足、差し足、忍び足で尾行する。


程なくして、住宅街を抜け江口は商店街へと入って行く。

このまま行けば駅に辿り着く。

電車に乗ればしめたもの。江口の居場所が特定できる。


探偵は小さくほくそ笑む。


最寄りの駅まではあと数十分。

駅までまだ少し距離があるが、駅に向かっていることは間違いない。


探偵は長年の感覚で先を読む。


ところが、江口は右手に見える大きな書店へと、スッと吸い込まれ消えて行く。


帰る前に寄ったのだろう。探偵も何食わぬ顔で書店へと入る。商社マンが書店にいても何ら不思議ではない。

だが、探偵は慎重に行動をする必要があった。距離が近くなり、目立ってしまう可能性があるからだ。それは江口だけでなく、他のお客や従業員にも目立ってはいけない。

常に江口が視界に入る場所を確保しつつ、江口から探偵が死角になる位置を探す。

しかし、それだけではダメだ。

江口を必要以上にキョロキョロと見て、不審な動きをすれば、店員に“万引き犯”と思われてしまう。そうなったら元も子もない。他の客と変わりなく、周囲に溶け込み、監視する。

とても骨の折れる至難の技。探偵としてのスキルが試させられる場面。


探偵は今までの経験をフルに活かし、江口をうまく監視する。他の客からも店員からも怪しまれてはいない。もちろん、江口も気付いていない。


探偵は怪しまれないように行動をするのだが、それとは逆に江口の行動は不可解で、よくわからない。


本を手に取ったと思ったらパラパラとめくり、ろくに読まずに元の位置に本を戻し、ちょっと歩いてはまた本を手に取りパラパラとする。

手に取る本も経理の本だったり、美容の本だったりと一貫性がなく、パラパラとめっくている。

パラパラとめくっていると思ったら、今度は本を両手に持ち、目をつむり、本の感触を確かめている。どうやら、本の重さを量っているようだ。一体、なぜ、書店で本の重さを量っているのか探偵には意味がわからなかった。


奇怪な行動。


どう考えても、江口の方が悪目立ちしている。


奇怪な行動を5~6分続けてから、江口は書店を後にする。

本は買っていない。買ってないどころか読んでもいない。何しに書店に行ったのか、探偵には、まったく、さっぱりわからない。


とにかく、こちらには気付いていないようなので、探偵は引き続き尾行する。


数分歩くと街の景色も変わってきた。商店街のアーケードが見えた。駅に通じるアーケードだ。この連なる商店街を真っ直ぐ抜ければ西口に着く。


“間違いなく駅に向かっている。”


探偵は確信した。


ここまで来て尾行がバレては水の泡。

ここからさらに慎重な行動が求められる。油断大敵。勝って兜の緒を締めよ。


探偵が、この尾行が長丁場になると覚悟し、ひとつギアを入れたところで、またも江口は右手に見えるスーパーへと、スッと入り、消えて行く。


探偵もその後を追い、店内へと入る。


スーパーでは、書店とは違うスキルが求められる。

買い物に来ている層は女性が多い。男がスーパーに居ても何らおかしくはない。ないがスーツは目立つ。ちょっと場違い。

しかし、探偵も百戦錬磨。この状況は経験済み。

探偵はカゴを持ち、商品を探しているフリをして、江口の位置を確認する。要領は先ほどの書店と同じ。江口を視界に捉えながらも、死角になる位置を探し、尾行する。

だが、カゴの中に商品は入れない。入れてしまうと出る時、面倒になるからだ。


ルールを守り、マナーも守りながら尾行する。


手慣れたものだ。スーツを着ていても違和感なく、店内に溶け込んでいる。


だがしかし、江口の奇怪な行動はこの店に来ても続く。


リンゴを取ったと思ったらジッと見て、観察し、隣にあるバナナと見比べている。


リンゴとババナ。一体、何を比べているのか?


探偵には、やっぱり、まったく、さっぱりわからなかった。


しかし、あまりキョロキョロ見ては他の人に怪しまれるので、やたら江口を凝視せず、チラリ、チラリと監視する。


しかし、やっぱりわからない。


今度は精肉コーナーへ向かい、豚肉と鶏肉を持ち、目をつむり、さっきと同様、重さを量っている。


その姿を見て探偵は思った。

“比べることが好きなのか。それとも、とてつもなく暇なのヤツなのだろう。”と。


どちらにしても、今までのどの尾行よりも、ハードでヘビーな尾行だ。


これも5~6分して、江口は何も買わずにスーパーを後にし、探偵も後を追う。


いよいよ駅だ。


探偵の読み通り、江口は西口の改札口へと向かう。


ここからが大事。


一体、どこの駅に降りるのか確認しなければならない。

どうやら江口は切符を買うようだ。ということは定期を持っていない。持っていないということは、いつも使う駅・路線ではないということだ。


一つ情報がわかった。

江口はこの辺に住んでいる人間ではない。


次は“どこの切符を買うのか?”だ。

この情報はとても大切で、重要な情報。

これで江口の所在地がわかる。例え自宅に帰らなくても、行動範囲はわかる。行動範囲がわかれば、グッと江口に近づける。

しかし、これは近くで確認しなくてはわからないが、横から覗くわけにもいかない。

そこで、探偵は江口の後ろに並んだ。

探偵は今日一番、江口に接近し、真後ろで尾行する。

幸いにも券売機はどこの列も満杯。混雑していたので、江口の後ろにうまく並べた。江口も気付いていない。


駅でスーツ。何の違和感もない。

違和感がないどころか、水を得た魚である。


それでも探偵は焦らず、付かず離れずの距離を保ち、監視する。


江口の番が来た。

江口は切符を買う。

探偵は衆人環視の中、目を皿にして、江口がどこへ向かうか凝視する。


“240円…三つ先に駅だ!”


大きな情報が手に入った。

江口は三つ先に駅が行動範囲ということがわかった。


江口が買ったあと、探偵も後をつける。

探偵は常にカードを持っているので切符はいらない。後ろの人に少々、怪しまれるが、そこは仕方がない。今は江口の姿を見失わないことが最優先だ。


改札を抜けると人が溢れるように湧いて出て来る。

ここからが本番。

この人混みの中、如何に尾行を続けるか。ここが探偵としての腕の見せ所。クライマックスだ。

人の間をくぐり抜け、江口の後ろ姿を追いかける。波に揺れる木の葉のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ江口の後ろ姿を探偵は必死で追いかける。


江口は2番線のホームに向かっている。


だいぶ人も減り、どうやら大きな波を無事くぐり抜けたようだ。

探偵は大きな息を吐き、よれたスーツを直す。

あまりにも不格好なスーツでは目立ってしまう。せっかく、ここまで馴染んで尾行して来たのだから、気を抜かず、最後までその他大勢の人混みで、息を潜めて尾行しなくては意味がない。

探偵は飛び出たネクタイをスーツの中に入れようと視線を落とした途端、江口が急に止まり、時計を見て、走り出した。


探偵は不意を突かれ、動揺する。


“しまった!バレたか!”


そう思い、心臓に再びヒヤリと汗をかいた瞬間、探偵の耳に発車ベルの音が聴こえて来た。


“発車時間を確認していなかった!”


江口がどこの駅で降りるのか?そればかり集中し、そのあと襲って来た人の波に捕らわれ、発車時間まで気が回らなかった。


三度目のヒヤリ。


しかし、尾行がバレたわけではないので、まずは一安心。

探偵も江口の後を追い、走る。


スーツを来た男が発車ベルを聴き、走り出しても、それはよくある日常の一コマ。

だから、探偵は思いっきり走る。

これで、ほんの一瞬だが、開いた距離を一気に縮められた。


階段を軽やかに降り、2番ホームへと辿り着く。


運良く、電車が今、ホームに滑り込んで来た。少し先に江口の姿も確認できた。ギリギリセーフ。三度もヒヤリと心臓に汗をかいたが、どうにか間に合った。


探偵は江口の少し後ろに立つ。


電車のドアが開くと江口が乗車し、そのあとすぐに探偵も乗車する。


江口はドアのすぐ横、右側に立つ。


探偵もドアの横に立ちたかったが、さすがに江口の正面に立つのは不自然なので、そのまま通り過ぎ、一番近いつり革に立ち、外の景色を見ているようにみせて、右目の端で、しっかりと江口の姿を捉え、視線が合わないように注意しながら、江口の行動をチェックする。


発車ベルが鳴り終わろうとした時、探偵の右目の端から江口が消えた。


“⁉”


探偵は何が起きたかわからず、視線を動かし、江口を探す。

次に江口を見つけた時、探偵は愕然とする。


江口が急にホームへと降りたのだ。


これは動けない。


なぜなら、一緒にホームに降りることなんて、どう考えても、日常の一コマではあり得ないからだ。

走って一緒に電車に乗ることはあっても、一緒に降りる事なんてことはない。しかも、急にだ。急に一緒に降りたら完全にバレる。怪しまれることは目に見えている。

降りたくても降りれない。

どうすることも出来ず、手をこまねいている間に無情にも探偵の目の前でドアが静かに閉まる。


“尾行がバレていたか!”


江口はそんな素振りを少しも見せていなかった。バレているなら探偵にもわかったはずだ。


いつから、気が付いたのだろうか?

どの時点でバレていたのか?


グルグルと走馬灯のように探偵の記憶がフラッシュバックする。


しかし、それは後の祭り。

今更、どうすることもできない。

今更、考えても覆水盆に返らずだ。


探偵はプロとしての未熟さを痛感した。

探偵の目を持ってしても、江口が尾行に気が付いていたことを見破ることが出来なかった。


“敵ながらあっぱれ!”


電車がゆっくりと探偵を載せて動き出す。

最後にもう一度、江口を見ようとホームに目をやると、探偵はまたも愕然とした。


周りをキョロキョロと見て、江口は頭を搔いていた。


“ホームを間違えた?”


そう思っても、すべてはあとの祭り。

今更、どうするこもできない。

今更、わかってもゲームセットだ。


そのあとすぐ、田中のパソコンに“尾行失敗”のメールが届く。


“さっき殺しておけばよかった” と、遠藤は先に立たない後悔を感じながら強く臍を嚙み、死ぬほど江口が嫌いになった。































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