尊い私の神様
九十九
尊い私の神様
湿った音を上げて、首が落ちた。
清廉だった筈の社は朽ち、やがては黒い靄で覆われた。
その行為が何を示すのか、私は知っていた。知っていて尚、私は私のために行った。私は私自身のために、かの首を落したのだ。
私は神の子であるらしい。
神に愛され生まれた子供であるのだと私を囲う村人たちは言っていた。幼い頃はどう言う事か分からなかったが、物心ついた頃にそれが信仰だと知った。
私は大事に、大事に、育てられた。それは貴重な物を仕舞うように、岩を神として祀り上げるように、降り注ぐ雨を尊ぶように。私は尊ばれ育てられた。いつの日か祀られるために育てられた。
村を流行り病が襲ったのは、私が七つの頃だった。流行り病は瞬く間に村全体を呑み込んだ。
村人たちは皆、我先にとに私に縋りつくと、奇跡を願った。大きな奇跡だ。ただの子供には遠い奇跡を大人達は願った。神の子である私が奇跡を成さないとは露程も思わずに、村人たちは願い続けた。
けれども奇跡は起こらない。どれだけ願っても、祈っても、奇跡なんてものは起こらなかった。
遂には祈りなのだと嘯いて、大人達は大きな手を私に伸ばした。
だが結局、誰一人として私に触れることは叶わなかった。触れようとした者から流行り病で死んでいったからだ。
多くが流行り病で逝った。動けず飢餓で逝った者達も多い。誰も彼もが流行り病で横たわる中で、私一人が望まれるままに神の子の座に座っていた。
皆、私に呪いの言葉を吐いて逝った。
大人が逝けば、子供も逝く。私とてそれは例外ではなく、例え流行り病に罹らずとも飢餓には陥った。
村人たちが骸となった後、私は神の子の座から立ち上がる事さえ出来ずに、ただ供えられた腐った野菜や、野ざらし状態になって柔らかくなった床の木を齧る事で生き繋いでいた。
やがて、秋が過ぎ、冬が来た。食べる物はもうどこにも残っていなかった。床の木を齧るために動く気力もどこにもない。数歩先の床までですら歩くことなんて出来なかった。
食べる物が無くなると、私は神の子の座で淡々と座る日々を過ごした。それ以外に私に出来ることは無く、物心ついた時からそうだったように、神の子として祈り過ごす他、私にできる事など無かった。
たった一度だけ、夢想したのは優しい神様が助けてくれる、そんな夢だ。
ある日、不意にふつりと何かが切れた。それが何だったのか私には今でも分からない。
座り続ける私の元にある日訪れたのは、黒い靄の塊だった。靄はどこまでも暗く、大きく、そうして辺りの木を腐らせた。濡れた土の匂いを辺りへと漂わせながら、靄の塊は彷徨うように歩いていた。
黒い靄の塊は私の元までやって来ると、暫くの間、恐らく顔を、じっと見詰めていたが、やがて恐る恐る手を伸ばして来た。
頬に靄の指先が触れたが、靄は霧散せず、私の頬も腐ることは無かった。黒い靄の塊がどこか安心したような気配を見せ、大きな手の平で私の頬を包んだ。
頬を撫でる優しい感触に、私は心が満たされる感覚を初めて知った。
「神様」
不意に言葉が口を突いて出た。
呟き手を伸ばす私に、黒い靄の塊は、私の神様は、伸ばした手を取ると、壊れ物を扱うかの如き仕草で私を抱き上げた。
私に縋りつくことも呪う事もしない神様に、私は安堵し、神様のぼろぼろになった布をぎゅうと掴んだ。神様は私の背を優しく叩いた。
それから神様は野ざらしの座では無く、温かい洞窟の中に私を連れて行ってくれた。不思議と、神様といると空腹も無くなった。神様も私といるとどうしてか周囲を腐らせることが少なくなった。どうしてか尋ねても喋れぬ神様は、ただ私の頭を撫でるだけだった。
神様は優しかった。私の頭を良く撫でてくれたし、一緒に寝てもくれた。少し腐ってしまったけれど、美味しい木の実や焼いた魚もくれた。
神様が私にしてくれるどれもこれもに、私は心が満たされて、村人たちが言っていた尊ぶと言う言葉をどこか遠くで思い出していた。
神様は尊い。私の頭を撫でてくれるから。
神様は尊い。私と一緒に寝てくれるから。
神様は尊い。私に生き方を教えてくれるから。
だから私は尊い神様のために何でもするのだと決めたのだ。だって私は神の子だ。神に愛されて生まれた神の子なのだ。その神の子が尊ぶのならば、それが本当の神様に違いないのだ。
湿った音を立てて、首が飛ぶ。
ゆるく伸ばされた腕を私は一度手に取ろうとして、けれどそれが許されないと知って、踏みにじった。
「助けてくれなかったでしょう」
神だったものに私は笑いかけた。
身勝手な言葉だと知っている。言い訳の言葉だと言う事も分かっている。私は何も悪くないものに手を掛けた。
私も結局は村人たちと同じ人間なのだ。余りにも身勝手だ。身勝手に求めて、授けられた幸福すら踏みにじっている。
けれども私の尊ぶべきものは決まってしまった。ずっと昔に決まってしまった。
それに義務は無かった。あくまでも人間の都合だったのだから、干渉する必要も無かった。それらにはそれらの在り方があるのだから、偶々そうなっただけだ。
それでも、私は私の神様を見つけてしまった。
私は私の神様を尊いと思ってしまった。そうして私はこの地の神の子だった。
私は身勝手に尊ぶ意外のやり方を知らない。神の子だった私には、他には何も無いのだ。だから、私は私のためにかの首を落した。
朽ちた社の中に神様が入って来ると、社はたちまち黒い靄に覆われた。それが酷く居心地が良くて、私は神様の腕に飛び込んだ。
神様はやはり言葉を発せなかったけれど、代わりに何時ものように私の頭を優しく撫でた。
神様は神様だけでいいのだ。
尊い私の神様 九十九 @chimaira
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