別格過ぎて兄のはずがないと思っていた

新巻へもん

あの頃は

「あまり言いたくないが、酔っぱらったら危ないこともあるんじゃないか」

 久しぶりに聞く兄の生声。低い張りのある声は相変わらず耳に心地よい。ミキは高校時代のことを思い出していた。


 ***


「ほら、次。美紀江の番だよ。一番て誰?」

 同級生と誰が一番好きかという問いに対して、ミキは正直に答えることができなかった。それもそのはず。実の兄が好きだなんて言えるはずもない。小学生ぐらいならギリギリセーフかもしれない。好きの幅が広いからだ。しかし、高校生になっての好きは限りなくラブに近い。私は実はブラコンでと誤魔化す手もあるが、その余裕もなかった。


 ミキにとって兄は憧れの対象だ。ほとんど崇拝に近かった。渋い低音ボイスに痺れていたし、血のつながった兄ということを除いても、好きすぎて好きという感情を認めることもおこがましいという気持ちを抱いている。


 兄に対する感情は上手く説明ができないものだった。仮に法律上、兄妹の婚姻が認められていたとしても、自分がその横に立つというのは想像できない。いつもは厳しい顔を崩さない兄がふとした瞬間に見せる優しい眼差しを見て、何度卒倒しそうになったことか。


 そんな兄に相応しい生身の女性がいるとは思えない。幸いにして兄にそのような存在がいるとは聞いたことが無いが、遠くで一人暮らしをしている兄の私生活を確かめるすべはない。もう26になるのでお付き合いしている人がいてもおかしくはなかった。しかし、この兄が世間並みの恋愛をして彼女を紹介するという行動をすることすら想像しずらい。


 ***


 当時は私も子供だったなあ。ミキは2本目の缶ビールを冷蔵庫から持ってきて自分のグラスに注いだ。その当時の自分の気持ちを思い出して頬が熱を持つのを感じる。まあ、若かったということかしら。チラリと横を見ると父と兄を前にして彼氏のヒロがかっちこちに固まっていた。


 高校時代にはどうしても兄と比較してしまい、同年代の男子には全く興味が持てないでいた。その唯一の例外が、今、兄と父を目の前にして顔色が変わりまくっているヒロだ。幼馴染で気安いというだけと思っていたのが少しずつ変わっていったのはいつのことか。いつもは茫々とした印象のヒロが真剣になると兄に少しだけ似ていると気づいたのは、ゲームをしているときだったと記憶している。


 ヒロは完璧でないというところが良かったのかもしれない。兄に比べれば優柔不断だし、すぐ物事に動じて動揺する。兄が世界の高級食材をふんだんに使った特製のスープとするならば、ヒロはごくごく普通の家庭的な味のお味噌汁。ただ、毎日出て来ても飽きることはないし、むしろほっとする。


 それにヒロは可愛い。先ほどから母の手料理に全く手を付けていないヒロをちょっとからかってみることにしよう。

「ヒロ。なんなら食べさせてあげようか?」

 目の前の大皿から唐揚げをつまんで、ヒロの方に差し出す。


 ヒロは大慌てで自分の取り皿の上の料理を食べ始める。さっき注いでやったビールにも口をつけていた。それにしてもねえ。まさか兄が私のことをこんな風に束縛するようになるとは。もう30を過ぎた男が10も離れた妹にここまで干渉するのはどうかと思う。


 ミキは自分の心の中での神格化された偶像が少し崩れるのを感じていた。

「あのさ。そういう態度だとヒロの居心地が悪いでしょ。もう子供じゃないんだし、私が選んだ相手なんだけど」

 兄にはもうちょっと理解力のあるところを見せて欲しい。ヒロを見れば悪い人ではないことは分かるはずなのだ。


 まあ、いいか。兄も人だということだ。そう考えられるようになった方が、将来変な小姑根性を出さなくても済むかもしれない。子供の頃のミキとヒロのエピソードを紹介する母の言葉を聞きながら、ミキは兄への憧憬の念がほつれていくのを感じていた。

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