幻のエアメール 🕊️

上月くるを

幻のエアメール 🕊️





 真夏の西日が照り付け、午後の郵便局をサウナ状態にしていますが、職員のだれひとりブラインドをおろそうとせず、汗だくのまま各自の業務に勤しんでいます。


 入口の自動ドアから足を踏み入れたお客さまは いちように眉をひそめますが、わずか数分の我慢だとばかりにそそくさと用事を済ませると足早に出て行きます。


 書留・速達郵便受付の窓口に座っているホノカは、滴る汗で売り物の切手が湿らないように気をつけながら、せいいっぱいの笑顔で、ていねいに応接しています。

 いくら暑くても自分の不快を表に出さない、それがプロというものですから。


 それにしても……。

 せっかくのブラインドをなぜおろさないのでしょう。

 それにはこんな訳がありました。


 民営化される前ですからだいぶ以前のことになりますが、この郵便局では管理職と一般職のあいだで諍い事が絶えず、ことあるごとに角を突き合わせていました。


 いい大人が信じがたいことに、西窓のブラインドをおろすかおろさないかも揉め事のひとつで、ある夏、とうとう、つかみ合いのけんかにまで発展しかけました。


 それ以来、咎め立てを恐れて、だれもブラインドに手を触れなくなりました。 

 一度かたまった職場の空気は、民営化でも変えることはできなかったのです。


      *

 

 ――ああ、まったく息が詰まりそうだわ。

 

 ひたいの汗をハンカチでおさえながらホノカが胸のなかでつぶやいたとき、自動ドアが開いて、ひときわ小柄なおばあさんが入って来ました。きれいな白髪をむかし風に小さなまげに結い、涼しそうなちぢみのサマードレスをまとっています。


 おばあさんは、どこの窓口へ行こうかしら? 迷っているようでしたが、ホノカと目が合うと、とことこやって来て「あのぅ、ちょっとおうかがいいたしますが、あたくしに手紙は届いておりませんでしょうか」申し訳なさそうに訊ねました。


 でも、配達職員が置いて来たはずの黄緑色の不在配達通知を持参していません。

「配達にうかがったのはいつでしょうか? 今日ですか?」ホノカが問い返すと、おばあさんは明るい栗色の瞳をゆらゆらさせつつ、口ごもってしまいました。


 となりの席で欠伸をかみころしていた中年の男性職員が、見るからに投げやりな視線をおばあさんに向けながら「あのばあさん、ちょっとここがアレだから、適当にあしらっておいて」小声でホノカに言うと、自分の頭を指でさして見せました。


 ――なんて失礼な!


 おばあさんが傷つかないか、ホノカはハラハラしていますが、当のおばあさんは気にする様子もなく、相変わらず愛らしい目もとをゆるませニコニコしています。


「あの、あたくしのところにね、外国にいる孫から手紙が届いていないかしら」

 ふたたび訊ねるおばあさんに、となりの同僚が横合いから口を出しました。


「あのね、おばあちゃん。いつも言ってるよね、そんなものは届いてないんだよ。こう何度も来られるとね、こっちだって迷惑なんだよ。いい加減にしてくれよ」


 ホノカはぎょっと固まりましたが、不作法な同僚は聞こえよがしにつづけます。


「移動して来たばかりで、あんた、なにも知らないんだろうけど、そのばあさん、うちの局じゃ、ちょっとした有名人なんだぜ。なにしろ3日にあげずやって来てはあの調子で厚かましく居座るんだから。まったく家族もなにをやっているんだか」


 明らかに聞こえているはずなのに、おばあさんは柔和な表情をくずしません。

 

 ――いいかい? ホノカ。どんな人もお互いに尊重し合うことが大切なんだよ。


 両親とも教師の家庭で、母代わりに育ててくれた祖母の言葉がよみがえります。

 祖母は無学な農婦でしたが、肩書の偉い人たちより清らかな心の持ち主でした。


 生まれつき身体が丈夫でなく、学校も休みがちだったホノカが両親と同じ職業に就かなかったとき、雛鳥を守るようにして庇ってくれたのも祖母でしたし、近くに困っている人がいれば、黙って手を差し伸べていたのもおばあちゃんでした。


 ホノカは教え子の成績をあけすけに批評し合う父母より、まだ平仮名も読めないうちから「高潔」という言葉の意味を教えてくれた祖母を心底尊敬していました。


      *


「お客さま、しばらくお待ちくださいね」

 やわらかく声をかけたホノカは、そっと席を立って奥の控室へ駆けこみました。


 海外に住む娘と孫から手紙が来る……そんな幻想にすがっている老婦人を、どうして邪険になどできるでしょうか。帰国の飛行機が海中に墜落し、それを信じたくないおばあさんが心のバランスをくずしたとしても、心の中で生きつづけている娘と孫から手紙が来ると信じているとしても、いったいだれが責められるでしょう。

 

      *

 

 窓口にもどったホノカは、おばあさんに1通のエアメールを差し出しました。

 赤と青の斜めのストライプで縁取られた、真四角な航空便の封筒のあて名は、

 

 ――ディア 日本のおばあちゃん。

 

 きれいな楷書体で書かれた青いインクを、おばあさんはそっと撫でました。

 可愛らしい目に見る見るしずくが盛り上がり、ぽたりと封筒に落ちました。


「おおおお、いい子だ、いい子だ。さあ、一緒におうちへ帰りましょうね」


 封筒をおしいただいたおばあさんは、まるで夢のなかの人のように、ふうわり、ふうわりと歩き出しました。危ない! 局の前は車の往来が激しいのです。ホノカは外までおばあさんを追いかけました。上司に叱られたってかまうものですか。


 ホノカのすぐ前を、おばあさんは夢のなかの人のように歩いて行きます。

 交差点の歩行者用信号がせわしない点滅を始める前に、おばあさんは無事に渡りきることができました。小柄な背を見送ったホノカは、熱いアスファルトを小走りに駆け出しました。西日に光るなみだを、だれにも見られたくなかったからです。

 

 ――おばあちゃん大好き。きっと会いに行くから、それまで元気でいてね。

 

 ひとり暮らしのおばあさんの胸に、エアメールがリンリンとこだましています。

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