My Preciousss

澤田啓

第1話 愛しい人

 私はこの世に産まれ落ちてからずっと、男たちの欲望に晒されて生きてきた。


 熱い……息苦しい程に熱い場所で産まれた私は、誰にも何にも傷付けられることなく、内面から滲み出るような輝く姿を保持し、永劫の時間ときを若く美しい姿のままずっと……ずうっと生きて過ごして来た。

 もし私を今生より解き放つには……私を産まれた場所に還すしか方法がないらしいのだ。


 私の精神こころ肉体からだを支配する男は『この世を統べる王』となる宿命を背負い、私の能力ちからを貪り尽くすが如くに引き出せるらしいのだが……この永い年月の間に、そのような真似を為せるような力ある男が現れることは皆無であった。


 さて……数多の男たちが私の躰を弄び、私の胎内にそのむくつけき指を挿入し、傷付かぬ私の肉体を蹂躙し続けて来た訳だが……私の経験した生の中でも私を最も愛し……そして無私の愛情を注いでくれた男の話を、この無為に流れ続ける時間の中で、その無聊を慰めるための思い出語りとして告白しよう。


 あの男との出逢いは、秘境とも形容できるような深い森の深奥を流れる川のほとりであった。

 直前に私を占有していた男は、仲間内の裏切りに端を発した抗争の最中……かつては仲間であった別の男が無慈悲に振るった凶刃に斃れ、末期の水を求めてその川のほとりで力尽きていた。

 私はそれから暫くの間、この場を動くことも叶わず……凝と次の男が私を保護してくれることを待ち続けていた。

 そう……単なる偶然の為せる運命の悪戯か、あの男とその友人が私の居場所を通りかかった時に陽の光が差し込み、私の姿を浮かび上がらせた。

 最初に私の所有権を得たのはあの男ではなく、隣を歩く友人の方だった。

 キラリと光った私の躰を目敏く発見したあの男の友人は、あの男の目を盗んでこっそりと私を胸に抱くように隠したのだ。


 最初は私の存在を秘したまま……知らぬふりで生活をするつもりであったのであろうあの男の友人は、私の美しき姿と形を、どうしても終生の友人であると信じていたあの男に自慢したい欲求に駆られてしまったのであろう……おずおずとあの男に私を提示し、その眩いばかりの美しさをひけらかしてしまった。

 あの男の眼がギラリと輝いた瞬間を、私は今でも忘れられないでいる。

 数多の男たちの欲望に塗れた目に視姦され慣れた私ではあったが、あの男が私を見る眼は……一種異様で、そして狂おしい程の欲望の焔を宿していた。


 友の自慢げな話を上の空で聞いていたあの男は、二人で暮らす家に帰る道中で……脚元に転がる大きな石を、自身が捧げ持てる限りの大きな石を振り上げ……あの男の人生において唯一無二の親友とも呼べる友の頭へ振り下ろしたのだった。

 頭蓋骨と脳髄を一撃で叩き潰されたあの男の友は、その場に倒れ伏して断末魔の痙攣と共に即死した。

 あの男は友の死に何の感情も引き起こされることなく、冷徹な表情と私だけを求める情欲の焔をその眼に宿して……友の血に塗れたその指で私を奪い去った。


 それからの年月は、私とあの男にとって歪んだ蜜月とも云うべき濃厚な情愛の時間だった。

 あの男は私の能力ちからなどまるで興味がない様子で、私の姿形に魅了されていたようだった。

 元より矮小で貧相なあの男の躰は、それからの永い月日で痩せ細り……暗い洞窟に潜み棲むことによって青白くなり、体毛も抜け落ちて……眼ばかりがギョロギョロと大きく見えるように不健康な姿へと変異して行った。

 私の能力ちからの一端で、私の所有者たるあの男は……その姿のまま不老不死に近しい存在の怪物へと転じた。

 それでもあの男の無私の愛は私に注がれ続け、あの男は私の能力ちからではなく……ただ単に私自身の存在を愛してくれていたようだ。


 しかしそれから数百年の後に、あの男は私を喪った。

 ひょんなことから別たれた私とあの男のえにしは、それからまた交わるようでいて二度と交わることはなかった。

 私を偶然の産物で拾い上げた、こちらも矮小な男から……更にその男の甥へと所有権を委譲された私は、今まさに永きに渡る生の終焉を迎えつつある。

 私が鍛造され、この世に産まれ落ちた火の山の火口へと……この身を破棄されてしまったからだ。


 最期の瞬間ときを迎えた私は思う、私の生において最も尊き真実の愛とは……あの呑み込むような喉の音を鳴らす癖を持った、あの男と共に生きた時間だけであったと。


 あのおぞましき醜悪な姿の小さな怪物が、私に優しく語りかけるあの声が……今でも忘れられぬ記憶として私の耳朶をくすぐるのだ。



『いとしいしと……わしらの……いとしいしと……………』




【指輪の回想:完】


この物語を、敬愛するジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン氏と瀬田 貞二氏へ捧ぐ。


 

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