帰宅したらうちの娘が「やばい」「神」「尊い」しか言わなくなっていた件

星来 香文子

うちの娘


「やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい……」


 うちの娘が、完全に語彙力を失った。


「神なの? 神なのかな? 尊い……」



 うちの娘はめちゃくちゃ可愛い。

 親の目から見て可愛いのは当たり前かもしれないが、世間一般から見ても、可愛いのだ。

 その証拠に、小さいころから、娘を連れて歩いていると親戚でもなんでもない老若男女問わずがみな、口を揃えて可愛いというのだ。

 もうあまりの可愛さに、芸能界に入れたらどうだと言われるくらいだ。

 小学生の時には、実際に芸能事務所にスカウトされたことが何度もある。


 だが、うちの可愛い可愛い娘を、そんな大人たちの欲望渦巻く世界に入れるなんてまっぴらだった俺は、そんなことは断固拒否して、現在、娘は中学2年生になった。

 まぁ、思春期真っ只中だし、そういうお年頃だし、俺に似て成績優秀だし、生徒会長もやっているし、何より可愛いので、彼氏なんてものができても、おかしくはないと覚悟はしていた。

 認めるかどうかは別として。

 いや、絶対に認めないけど。


 それにしても、ずーっと、目がハートだ。

 さらにリビングのソファーの上で、スマホの画面をじーっと見つめながら、成績優秀だったはずの娘は、ぶつぶつと同じことばかりを繰り返し言っていた。


「やばい……尊い……神」


 言っていることは殆どこの3つだ。

 いつもと違う娘の様子に、俺は驚いて、仕事終わりに飲むために買って来た缶チューハイの入ったコンビニの袋を盛大に床に落とし、キッチンでカレーの入った鍋をかき混ぜていた妻の元へ駆け寄った。


「おい、一体あれはなんだ!? 何があったんだ!?」

「あら、あなたお帰りなさい。どうかしたの?」

「どうかしてるだろう!! 雪乃ゆきのに一体何があったんだ!?」


 いつもなら、俺が帰宅したら、可愛い可愛い娘は「パパ、おかえり!」と笑顔で出迎えてくれるのだ。

 それが今日はずーっと、俺が話しかけても何も聞こえないようで、スマホから目を離さない。


「あぁ、なんでも、好きな子ができたみたいで……」

「好きな子!? 好きな子ってなんだ!? 男か!? 男か!?」

「そうねぇ……まぁ、多分?」

「多分!!?」


 妻の曖昧な言葉に、俺は憤りを感じ、今までに出したことのないような大声をあげてしまった。


「あれ? パパおかえり。いつ帰って来たの?」


 その声でやっと俺の帰宅に気がついたのか、娘はスマホからキッチンにいる俺へと視線を移してくれた。


「ゆ、雪乃!! お前、好きな子ができたって本当なのか!?」

「えっ!?」


 もう動揺しまくっていた俺は、冷静にはなれず、そのままの大声で、娘にデリカシーもなく聞いてしまった。


 聞きたくない、本当は知りたくない。

 いや、でも、相手がどんな男かわからなければ、俺には……娘を嫁にやるつもりは————


「パパも見たい?」

「えっ? 見せてくれるのか?」


 娘がスマホを画面をこちらに向けながら、俺の方へ歩いてくる。

 一体どんな男なんだと、ドキドキしながら、手渡されたスマホの画面には……


「可愛いでしょ!? めちゃくちゃ可愛いでしょ!?」


 ピンク色の髪、大きな目、アニメのキャラクターのような衣装を着た、女の子の写真だった。


「こんなに可愛い人初めて見たの!! これでコスプレ始めてまだ1年も経ってないんだって!! すごくない!?」


 娘にできたのは彼氏ではなく、だった。


 やっと語彙力をいくつか取り戻した娘の話によると、偶然見つけたそのコスプレイヤーとやらがあまりにも可愛すぎて、ファンになってしまったというのだ。

 どんな衣装を着ても可愛いのだと、興奮しながら娘は次々とスマホに保存したその子の写真を俺に見せてきた。


「そ、そうか、確かに可愛いな……」


 俺からしたら、娘が一番可愛いのに変わりはないのだが、確かにその子はとても可愛らしい顔をしていた。

 テレビでよく見るアイドルなんかよりよっぽど可愛い。


 なんだ、好きな子って、こういう芸能人とか有名人のファンになったってことか……

 女の子だったか。

 なんだ、そうかそうか……これなら、当分彼氏ができるなんて心配はないな。


「それにね、ゲーム配信もやってて……」


 娘が画面を動画サイトに切り替える。


 こんなに可愛いなら、俺も娘と一緒に応援しようかな……なんて思いながら、再生ボタンを押した。


 ところが————


『今日は、このゲームの……』



「ん!?」


 俺はその動画の音声を聞いて、固まった。


「声もいいでしょ? 聞きやすくて……はぁ尊い」


 画面に映し出されているのは、ゲーム画面。

 その下の方にワイプでくり抜かれて、配信者であるコスプレイヤーの顔が映っている。

 だが、その声が、顔と全然合っていない。


 確かに、声だけ聞けば、聞きやすい良い声だろう。

 だが、明らかにそれは、この顔から発せられてるとは思えなかった。


「男……!?」



 コスプレイヤーの声は、男の声だった。


「そうなの!! 全然見えないでしょ!? やばすぎない!? 神なのかな!?」


 嬉しそうに、この推しについて語る娘。

 こんなに楽しそうにしている娘の考えを否定することもできず……俺は、娘を傷つけないように、とりあえず頷いた。


「そうだな、確かに、これじゃぁ、男だなんてわからないな」


 くそ……確かに可愛い!!

 だが、男だ!!

 これは男だ!!

 でも、女装をしているわけだから、心は女なのか!?

 いや、でも、しゃべっている感じは普通に男だ!!

 どっちだ!?

 これはどっちなんだ!!!?


 どこにどうぶつけたらいいかわからない複雑な感情のまま、無理やり笑顔を作り、スマホを娘に返して、俺は妻に視線を向けた。

 すると、妻はそんな俺の心情を察したのか、ポンと俺の方に手を置いた。


「まぁ、芸能人を好きなのと同じだから。そんなに気にすることないわよ……落ち着いて。実際にお付き合いするとか、そういいことはないのだから……」

「そ、そうだな……」


 妻の言葉に納得して、俺は楽しそうに推しについて語る娘に、これ以上なにも言わなかった。

 そのうち、本当に好きな男ができて、娘を嫁にください……なんて、言いにくる日が来るだろと、考えているうちに、寂しくなってくる。


 もう、考えるのをやめよう。

 絶対に来て欲しくはないけど、その日が来たら、娘に嫌われないように、彼氏に接しなければと決意した。



 そうして、2年後。

 娘が家に連れて来たのが、その時のコスプレイヤーだなんて、俺は想像もしていなかったわけで……


「彼氏なのか!! 付き合っているのか!!?」



 娘に嫌われるような接し方を、彼にしてしまったことは、言うまでもない————

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帰宅したらうちの娘が「やばい」「神」「尊い」しか言わなくなっていた件 星来 香文子 @eru_melon

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