スナップショット

深川夏眠

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 連絡スペース・シップが宇宙空港に着陸し、乗客は搭乗ボーディング・ブリッジを歩いて重力調整棟へ移動した。毎年恒例、月から地球への帰省だが、文字通り。心が。

、こっち向いて、ほら、笑って」

 しかし、はいつもどおり単純に観光気分を満喫する構え。僕に向かってリズミカルにシャッターを切り続ける。

「どれだけ撮れば気が済むんだよ」

「無際限。ゆーくんに関しては無制限」

 生まれて21回目の里帰り。僕は21歳、養母は50歳になった(51歳の養父おやじは今回、仕事の都合で月に留まった)。一、二歳のときはスリングで抱っこされ、三歳以降は自力で床に足を着け、地球の重さを体感した。正体不明の圧倒的な違和感に怯えて泣き喚いたものだ。覚えているのではない。後でその映像を見て知っているに過ぎない。

 調整棟は上から下の階へ行くほど身体からだに負荷がかかるようにできている。少しずつ慣らしてからでないと外には出られない。

「毎回思うけど、この重さって歯科医院でレントゲン撮るときのに似てるわ」

「ズッシリのしかかってくる感じだよね」

 軽い運動、水浴、仮眠を繰り返して健康診断。問題がなければ外に出られる。これが単なる孝行の旅なら、どんなに気楽で愉快だろう。我々は〈一卵性双生児隔離観察計画〉に参加しており、年に一度、生き別れの家族と対面する必要がある。一、二歳時は何も考えずバブバブ言っていただけ、三歳からしばらくは遠く離れて暮らす親類の家を訪問している感覚、十歳ぐらいで事の意味を理解し始め、十二歳の誕生日に養父母が本格的に事情を説明してくれた。双子の一方が実の親と地球で暮らし、他方が養親に月コロニーで育てられているのだと。ちなみに養父は実父の弟だから、赤の他人ではない。

 一般的に学力にも身体的能力にも大きな差が出ないとされる双生児だが、極端に異なる環境で育てたらどうなるか――。平たく言えば、そういう実験だ。何の役に立つのかサッパリわからない。昔、月で伝染病が蔓延して大勢が亡くなり、無事だった人たちが辟易して地球に帰還し、閑古鳥が鳴いたため、呼び戻し政策として発案されたと聞いた。月暮らしを志願すれば様々な優遇措置を受けられるとか何とか。満更、嘘でもないのか、養親は僕の将来に備えてせっせと貯蓄する傍ら、地球に残った実の父母と兄に多額の金を送っている模様。向こうは財政が逼迫しているらしいのだ。

 上陸から48時間後――これはかなりスムーズと言えるが、の問題だ――僕と養母は調整棟を出てチャーターした車に乗り込み、海辺の温泉旅館にチェックインした。大昔と違って月でも様々な栽培や養殖が可能になったので、地球ならではという、わざわざここまで来なければ味わえない食材は、ほとんどなくなった。したがって、供される料理はさほど珍しくもないのだが、それなりに値が張るだけあって、やはり豪華。ただ、僕らの楽しみは天然温泉の露天風呂と、そこでの月見であり、自然のBGMたる波音なのだった。

「満月よ。きれいねぇ」

に出ないと、それがどんなに素晴らしいか、わからないからね」

 いかな名車を購入しても、乗り込んでしまえば外観の美しさを堪能できないので、人を雇ってそれを走らせ、自身はすぐ後ろを別の車で追いかけるという、金満家の冗談を思い出した。

「海、源泉掛け流し、月の満ち欠け――。魅力的なのは、それくらいかな」

「肉親との再会っていう大事なイベントがあるじゃないの」

「僕の家族は養父おやじですよ」

 養母は嬉しさ半分、僕らが血の繋がった母子でないことから来る寂しさや後ろめたさに似た心持ち半分といった、控えめな苦笑いを浮かべた。

 僕は畳の上で仰向けになり、極めて何気ない風を装って、

「ぼちぼち終わりにしませんか、

「こっちの一存じゃどうにもならないって、知ってるでしょ?」

 養母がお茶を淹れてくれたので起き上がった。菓子を摘む。

「餡の中に入ってるムニムニしたヤツ、何てったっけ?」

ぎゅう。で、条件はわかってる?」

「三択ね。①もはや他人と割り切って縁を断つ、②絶縁しないが送金をやめる、③ポジションチェンジ」

 コーディネーターは月からの帰省客の健康データを採取したいが、見返りに様々な世話を焼かねばならず、そろそろ煩わしくなってきているそうだ。予算の問題もあり、プロジェクトは近いうちに終了するとの噂。その前に参加者から離脱を申し出て構わないけれども、地球でスタンバイしている側には補助金が打ち切られるというデメリットしかないから、あちこちで不満の声が上がっているよし。我が実家も多分に漏れず。

にしてみれば希望が持てるのは③しかないのよね」

 双子の交換だ。実現すれば、成人を迎えるまで月で育った者が地球で、逆に地球で育った者が月で、いかに新生活に順応するかを追うオプショナルプランに入り、カネの流れも止まらずに済む。

「でも、由樹人の好きにしなさい。したって、単に帰郷が逆方向になるだけなんだから」

「……」


 翌日、実の両親と双子の兄が待つ家へ向かった。彼らは二、三年おきに引っ越しを繰り返し、そのたびに住居が質素になっていた。パンデミックを乗り越えて復興を遂げた月と反比例するように、経済的にも文化的にもシュリンクし、かつての繁栄ぶりは見る影もなく地球の縮図を見る思いがした。兄のの顔や体格は僕とほとんど同じなのだが、陰鬱ですさんだ雰囲気を湛え、去年に輪をかけてけんのある面差しになっていた。進路や金銭面に悩みを抱えているのが透けて見えた。

 養母は手土産を差し出し、実母が恐縮した面持ちで受け取った。月コロニー農場の特産品で作られた焼き菓子の詰め合わせ、強化シルクのスカーフとハンカチのセット、それらの箱の間にギフトカードを忍ばせた封筒……。

 肝心の件については二人で話し合えと言われ、僕らは街へ出た。だが、特に見るべきものはなかった。所詮はコピーと笑わば笑え、今や地球にあって月にないものなど存在しないのだ。

 薄汚れた雑居ビルの喫茶店に入った。澱んだ空気の中、亜樹人はコーラフロート、僕はメロンソーダフロートを注文した。ややあって、おずおずと亜樹人が切り出した。

「例の話、考えてくれた?」

「断る」

 青褪めた頬から更に血の気が引くかのようだった。残酷だが、僕はそんな兄の表情を、やや面白がって眺めていた。

「月で暮らしたいなら入れ替わりなんて考え持たないで自力でどうにかしなよ」

 亜樹人は生まれたての時点でたまたま虚弱だったために地球に留め置かれた自分が、これまでいかに不利益を蒙ってきたかを滔々と述べ立てた。しかし、それについて僕に非はない。

上に気持ちが重たい男なんてさ、月の女の子には好かれないよ、鬱陶しくって」

 僕は緑色の炭酸飲料をストローで吸い込み、喉を湿らせた。月のファストフード店で出てくるソーダの方が美味い。

 亜樹人は月コロニーの女子学生と古風な音声レターのやり取りをしており、彼女に会いたい一心で月移住を思い立ったらしいのだが、そうは問屋が卸さない。何故なら彼女は僕のガールフレンドの一人だから。彼女が前時代的な趣味の持ち主だと聞いて探りを入れたら、よりによって文通相手が実兄だった次第。苗字が同じで名前も似ているから、もしかしたらと思っていた……と。

「軽やかに、ついさっき閃いた勢いで飛んできた――ぐらいのノリで会いにくれば、そこそこの手ごたえがあるかもよ」

 これが月の流儀。ついて来られないなら諦めた方がいい。僕は伝票を握って席を立ち、兄を置いて店を出た。ビルの入口で立ち話していた人たちがエキサイトして喧嘩腰になり、年嵩の男が「おまえに罪悪感はないのか」と息まいたとき、自分への当てつけに聞こえたものの、すぐ受け流した。

 彼女に連絡しなくては。純情で繊細で、いつもX線防護服をまとっているみたいに鈍重な地球人の亜樹人には、もう構わないでやってくれ――と。


 亜樹人は用ができたので後から戻ると偽って、実の両親にいとまいをした。母は目を潤ませてカメラを掴み、時間ギリギリまで僕の姿を写していた。


 宇宙空港に着いたときは月が出ていた。既に満月ではなく、縁が欠けていた。養母はそれすらも貴重な視覚体験だと、夢中で連写していたが、不意に振り返って僕にフラッシュを浴びせた。諸々の面で懸け離れてしまった地球人と月コロニー人だが、親が年賀グリーティング・カードに子供の近影を載せるべく、無闇に写真を撮りまくる傾向だけは、いまだに合致しているのだな……と、少々呆れた。



               snapshot【END】




*縦書き版はRomancer『月と吸血鬼の遁走曲フーガ』にて

 無料でお読みいただけます。

**初出:同上2021年3月(書き下ろし)

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116522&post_type=rmcposts

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