近所の憧れのお姉さんが、十年分の告白に答えにきた件

いち亀

大人の恋、21番目から始めましょう

 物心ついたときから遊んでもらっていた「憧れのお姉さん」がいた。家族ぐるみで付き合っていたクリニックのひとり娘、十歳上の畠乃はたのさんである。

 高校生になった今は「お世話になったな」と懐かしく思い出すくらいだが、小さい頃の俺は彼女のことが好きで好きで仕方なかった。綺麗で面倒見のいいお姉さん、小さな子供が一方的な初恋を抱くのも無理はないだろう……今となっては黒歴史であるが。


 そう、一方的に、である。恋と憧れと感謝の区別もつかない当時の俺の感情を、彼女が対等に扱うはずがなく。それこそ、先生が幼児と接するような、姉から弟へのような態度を返されていたと記憶している。

 いなすような態度の理由は年齢差だけではなく。個人病院に生まれながらも勉強を大の苦手としていた彼女は、「医者を婿として迎えることで病院を継げ」と育てられており、自由に恋愛ができなかったらしい――どう考えても間違った方針だろうと子供ながらに思いつつ、他家の事情に子供が意見できるはずがなく。


 とはいえ。そんな両親がよほど嫌だったのか、彼女は猛勉強の末に見事に医学科進学を果たしたのだ。小学校も終盤になった俺も現実が見え始めていたし、好きだ好きだと言いつのるのが迷惑だろうと理解もできていた。幼馴染みとのラブストーリーではなく、お世話になった人のサクセスストーリー、そこに落ち着くほかないと分かっていた。


 お互いの人生に幸あれ、めでたし、めでたし。



 ……そのはずが。


 十八歳になった俺の部屋に。数年ぶりに会う畠乃さんが、随分と気合いの入った装いで訪れているのは、どういう状況なのだろうか。



「時間作ってもらってありがとうね、とおるくん」

「別に、暇してましたし歓迎ですよ」

 大人びた彼女を前に、思わず敬語になってしまったのだが。

「えっと、敬語は距離を感じ、ますよ?」

「畠乃さんだってなってるじゃん! ……わかった、タメに戻す戻す。それで、どうしたの?」


 遊びに連れていってもらった昔はともかく。親と一緒でなくサシで話がしたいと持ちかけられるのは初めてのはずだ。


「うん、まずはご報告。医師国家試験、無事に合格です」

「おお、おめでとう!」

 思わず拍手すると、彼女は照れたようにピースを返した。合格率がどれほどかは知らないが、大学に通っていれば自動的に受かるような生易しい試験であるはずがない。試験にしろ実習にしろ、相当なハードルなのは間違いない。文句なしの快挙である。


「ありがとう、それでね。透くんに言いたいことがあって……」

 急に赤面してうつむく彼女。オトナ可愛い、という形容がよく似合いそうな姿も相まって心臓が暴れだすが、間違ってもラブコメ展開にはならない相手である、落ち着け。


 よし落ち着いた、のに。


「ずっと、ずっとずっとずっと、透くんへの気持ちに嘘ついてきたから。本当のこと、言いにきたんだ」

「…………はい?」


 俺への気持ち、とは。


「昔の透くん、ずっと私のこと好きだったじゃない?」

 吹き出してしまったのは許してほしい。まさか今になって、そのネタを掘り返されるとは思っていなかった。


「いや、昔の俺が好き好き言ってたことなら、あれはガチじゃなくて」

「嘘だったの!?」

「嘘とかじゃないけど!」

 なぜか彼女が泣きそうな顔をするので、慌てて付け足す。とえりあえず、話を聞いてみよう。


「私が思い出せる限りで。透くんから私に向けて、告白と解釈できそうな――告白と解釈したくなるような言葉が、これまでに十個ほどありました」

「……畠乃さんが言うならそうなんでしょう」

 覚えていてくれなくて大丈夫でしたよ、とはさすがに言えない。


①&⑪


「透くんが喋れるようになった、二歳くらいの頃かな。一緒に遊んでいるときの君の口癖は、『おねえちゃん、だいすき』でした」

「うん、母さんからもそう聞いてる……覚えてないけど」

「当時の透くんの口調を再現すれば思い出すかな」

「ストップストップ」

 年上の女性に幼児言葉を真似させるの、色々と間違っているでしょ。


「君は覚えていなくても。学校にも家にも居場所なかった私にとって、一番安らげるのが君のそばだったよ。元気で可愛くて、けどとびきり頑張り屋だった君のこと、いつも大好きだった」


②&⑫


「その翌年くらいの頃かな。一緒にみてたテレビが、結婚式の特集やってたんだよね。そのとき透くんが、『けっこんするなら、はたのおねえちゃんとがいい!』と言ってました」

「……うん」

 プロポーズには早すぎんぞ、当時の俺。

「私もね。大きくなった透くんと結婚できたらいいな、こっそりそう思ってたよ。あの頃は選べると思ってなかったけど」

 自分が医師になり、選べるようになった今なら――とでもいうのだろうか。


③&⑬


「年少さんくらいかな、透くんは日曜のヒーロー番組に夢中でね」

「だね、おもちゃとか残ってるし覚えてる」

「私がお医者さん目指してるって言ったらね、『しょうらいのゆめ? はたのおねえちゃんのヒーロー!』と決めポーズしてくれていました」

「意味は分からないけど気持ちは分かる」

「気持ちが何より嬉しかったんだよ。私じゃ医学科は無理そうって感覚が強くなってきた頃だったから。前向きな話ばかりしてくれる君に、ずっと元気もらってた」


④&⑭


「透くんのヒーロー熱はしばらく続いたままでね。学校で成績のことバカにされて落ち込んでたら、『おおきくなったら、はたのお姉ちゃんこまらせる人のことみんなやっつけるもん!』と励ましたくれたの」

「言った気がちょっとする、励ましになってるかは微妙だけど」

「大きくなった今も、そう思ってくれる?」

「やっつける、は法的に難しいけど。できる限りはするよ、畠乃さんのためなら」

 そっか、と安心したように頷いた彼女に。いよいよ、予感が濃くなっていく。


⑤&⑮


「小学校に上がった透くんが、風邪をひいたときにね。おじさんもおばさんも帰りが遅かったから、私の部屋で看病したことあったじゃない」

「うん、覚えてる」

 何度も訪れて自室のように居心地の良かった彼女の部屋が、いつもより息苦しいような気がしたのは。少しずつ大人の女性になっていくことが、幼いなりに分かっていたからだろう。


「そのときね。君は『おれが苦しいとき、ずっと助けにきてくれる?』と言ったんだよ」

「……あの頃、実の親より懐いてたんだよ。畠乃さん、小さい子にすごく優しかったじゃん」

 自分は彼女の特別だから、だと当時は思っていた。男として特別に思われていた訳ではないと、その後になって考え直してきた、のだが。

「頼ってくれる人がいる、人を助けられる、その喜びを知れたおかげで医者になる決意が芽生えたんだよ。今だって、君が苦しいとき、私が必ずそばで支えたいって思う」


⑥&⑯


「私が最初の大学受験を前にして、どう考えても医学科は無理ゲーだなって自棄になりそうだったときね。透くんは『おれも勉強がんばるから、ずっとお姉ちゃんと一緒にがんばるから!』と励ましてくれたんだよ」

「覚えてるし、実際に俺はそうしてきたよ。畠乃さんがあんなに頑張って理想を叶えたんだから俺だって出来る、みたいに」

「ありがとう。これからも私はずっと、君とそんな関係でいたい」


⑦&⑰


「初めての受験の直前。透くんが『大丈夫、どこにいても畠乃さんには俺がついてる!』って背中を押してくれたから、焦らないで試験に臨めたよ。そのときは落ちちゃったけど、この場所でちゃんと戦えるんだって気づいた」

「畠乃さんの口癖だったじゃん、その言葉。たまには俺から言ってみたかっただけ」

「だからね、愛は返ってくるんだって証明なの、私にとって」


⑧&⑱


「一浪しても医学科には行けなくて、投げ出しちゃおうかと思いかけていた私のことを。『誰より格好いい畠乃さんのこと、ずっと俺は信じてるから』と言ってくれた、だから私も立ち直れた。私を信じてくれる君は、いつだって誰より眩しい」


⑨&⑲


「二浪してやっと合格したとき。人生で一番嬉しいって言ってくれたよね。大げさだよなんて答えちゃったけど、君のエールに応えられたことが一番嬉しかったよ」


⑩&⑳


「医学科の授業がキツすぎて、電話で泣き言いったとき。『いつでも帰ってきなよ。そっちの家族はともかく、俺はずっと待ってるから』と君が言ったこと、私はずっと支えにしていた。家じゃなくて、地元じゃなくて、君のいるところに帰りたい、君を帰る場所にしたい、そう思ってきた。医師になって、親をねじ伏せられる立場になって、本当を伝えられる自分になって、やっとここに帰ってこられた」


 一気に喋ってから、彼女は息を整えて。


「透くん。今の君にとって、私は誰かな」



 ほとんど一生ぶんの、世界の見え方の転換に直面しながら。

 戸惑いと不安と喜びに、整理をつけていく。


「……正直、なんで今更って思ってる。物心ついたときから憧れて、やっと諦めついた人に今更本気って言われて」

「ごめんね。医師に受かったと分かるまで、自分のこと信じ切れなかったから。君の人生を巻き込む覚悟ができなかった」

「俺だって覚悟ないよ、だってこれから大学なんだよ?」

「私、自分のことなら自分で何とかできるから。あるのは、君にそばにいてほしいってエゴだけだよ」


 後ろ向きな逃げ道は塞がれ、邪魔するものがなく正面で向き合って。


「……畠乃さん」

「うん」

「俺は、あなたに比べて何一つ優れていないし、あなたほど社会に必要とされる人間でもない。どう考えたって、あなたには釣り合わない。

 それでも。どうしても、俺はあなたが好きだから。あなたが必要としてくれる俺が誇らしいから。


 あなたの人生の一番大事な場所、俺にいさせてください」


 その瞬間、胸に飛び込んできた彼女を抱きとめる。あの頃の大きな温もりとは違う、自分より少し小柄で、ずっと大きな心に触れて、何もかもが始まっていく匂いがした。


「喜んで。よろしくね、透」


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