光ある場所へ

戸松秋茄子

本編

 横田基地跡はしんと静まり返っていた。


 洗車雨の中にそっとうずくまり、物音一つ立てない。まるで冬眠中の熊だ。眠っているのはわかるが、近づくのにどこか気後れしてしまう。自衛隊や米軍が引き上げて久しいとはいえ、まだどこか厳粛な空気が残っているのだ。


 ありし日の基地は、きっと戦闘機やヘリが絶え間なく飛び交っていたのだろう。八高線の車窓からもその風景が見えたはずだ。


 八高線は基地の中を走っていたこともあるという。その線路はもう残っていない。廃線は横田基地の敷地に沿って南北に伸びている。廃線はやがて拝島駅を経て、多摩川を渡っていく。八高線が渡る六つの一級河川のうちの一つだ。そこから終点の八王子駅を目指して線路はひたすら南に伸びている。


 八王子から高崎までを結ぶ八高線は南北に長く伸びた路線だ。僕の家がある埼玉北部から八王子をほとんど最短距離で結んでくれる。家出すると決めたとき、廃線を利用することにしたのはそのためだった。


 ざっ、ざっ、と音を立てながら雨で濡れた砂利バラストの上を歩く。ぬるく湿った空気の中、ひたすらまっすぐに進む。


 片手は傘でふさがっている。背中には食料と服を詰め込んだリュック。


 長い旅になる。電車を使えば二時間かそこらでも、子供の足で歩いていくとなれば、何日もかかる。


 家を出てもう二日目だ。橋を渡り、駅舎で寝泊まりし、休み休み歩いてようやく東京に入った。


 はじまりは両親のアルバムだった。彼らのアルバムには、ありし日の東京の姿が写っていた。ミッドタウンや六本木ヒルズ、お台場、都庁、スカイツリーから眺めた東京の写真。世界最大と言われた都市の記憶がそこにあった。


 いまはもう失われた光の。


 拝島駅からは青梅線に沿って、西立川駅を目指した。到着したのは夕方で、すでに雨はやんでいた。静まり返ったプラットフォームにリュックを降ろし、大の字に寝そべる。そのまま寝てもよかった。しかし、その前に見ておきたいものがあった。


 駅のすぐ北側には国営昭和記念公園がある。目指すのは、公園内にあるこもれびの丘と呼ばれる高台だ。


 徐々に暗くなってくる。そろそろランタンが必要だろう。そんなことを考えていると丘の頂上に出た。


 ここからならもう見えるだろう。僕は双眼鏡を取り出した。双眼鏡を覗くと、そこに、かつて東京だった景色があった。


 何も残っていない。


 わずかに残った住居やビル、そして張り巡らされたフェンスの向こうに巨大な空間が開けている。都心から郊外にかけて広がった巨大なうろ


 写真で見たビル群は影も形もない。あれだけ光り輝いていた東京が、いまはがれきの山だ。ひび割れたコンクリートの隙間から雑草が繁茂しているのが見える。ネオンのきらめきはどこにもなく、夜になれば真っ暗になるであろうことが容易に察せられた。


 そこで何が起こったのか、人類は未だ知る術を持たない。二一年前、一夜にして東京二三区は壊滅した。いまでは周辺の自治体までが立ち入り禁止区域に指定されている。


 原因を調査するため研究施設が置かれているが、結果は芳しくないと聞く。息を吹き返した終末論者たちの戯言がもてはやされるのもわからない話ではない。

 

 僕は丘の上で座り込んだ。日が沈みつつある。夜のカーテンが東の空から迫りつつあった。


 広場まで戻ってテントを設営する。ランタンを灯し、缶詰で食事を済ませる頃には、空はすっかりカーテンに覆われていた。


 宝石を砕いたような星空だ。新月のせいか、湿度が高いわりにくっきりと光って見える。


 埼玉北部の新首都では決して見られないような、一面の星空。


 この星空と引き換えに、東京は地上のきらめきを失ったのだ。


 見上げるのも疲れて、地面に仰向けになる。


 明日は東京が滅んでから迎える、二一度目の七夕だ。年に一度、恋人たちが再会を果たす日。


 夕焼けはきれいな茜色だった。きっと明日は晴れるだろう。東京に催涙雨は降らない。肉眼でも天の川が見えるはずだ。それに、織姫ベガ彦星アルタイルも。明日、僕は恋人たちの再会を見届けるだろう。


 僕は瞼を閉じ、その情景を思い描こうとする。次第に、疲労感からか、意識がとろんとしはじめた。そのまま、テントまで戻ることなく、僕は眠りについた。


 夢の中はいつも僕が知らない光で満ちている。

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