あなたと過ごした21年

@owlet4242

あなたと過ごした21年

「おとうさん、今までありがとうございました。私はお父さんとお母さんの娘で幸せでした」


 その言葉を聞いた瞬間、決して涙は見せまいと誓った私の頬を、一筋の熱いものが走るのを感じた。


 娘がこの世に生を受けて、21回目の誕生日を迎える今日、彼女は私の手元を巣立って生涯を伴にする連れ合いの元へ向かう。


 その胸中は、思ったよりも寂しさ以上に晴れがましさが勝っていた。


 それは、男手一つで娘をここまで育てられた達成感からか。或いは。


(……思えば遠くまで来たものだなぁ)


 目尻に涙を浮かべて、多くの関係者からの祝福に応える娘を眺めて、私は娘と歩んできた今までの時間を振り返る。



◇◇◇



 娘は1800gという、極めて未熟な体躯でこの世に生を受けた。妻のお腹の中にいるときから、早産の危険性を指摘されていた彼女は、予定通りの早さでこの世生まれ落ちたのだ。


「きっと、早く私たちの顔が見たいのね」


 そう言った妻と笑いあったことは、今でも昨日のことのように覚えている。


 娘はその後、予定通り保育器の中に入れられてしばらくの時を過ごすことになった。無数の管を体に刺された娘は、「きっと、まだ母さんと繋がっていたかったんだなぁ。甘えん坊だな、我が娘は」と思わせるような切ない表情をしていたように思う。

 それでも、事前のエコー検査などから予定通り特に障害もなく生まれてくれたことが私にはありがたかった。母と繋がる時間は、これからいくらでもある。


 そう思っていた。


 私が病院に呼び出されたのは出産から5日後。タクシーから転げ出るように病院の扉を潜り抜け、ICU入門向かった私を待っていたのは娘ではなく、愛する妻だった。

 産後、体調が思わしくなかった妻は、そのまま病院で経過観察を受けていたのだが、ここに及んで容態が急変したのだった。


 何事も予定通りに進んでいた妻の出産は、ただ一つ妻の死という予定外の出来事で幕を下ろしたのだ。


 それから、しばらくの間の記憶は定かではない。次に覚えているのは火葬場で、妻が煙になって天に昇っていくのを見た記憶だ。

 外の空気を吸いたいと、たまたま火葬場の外に出てあの煙を見たお陰で、「ああ、妻はもうこの世にはいないんだな」と、全ての踏ん切りがついたように思う。


 とにかくこの瞬間、私は娘と二人、共にこの世を生きていく覚悟を決めたのだ。


 とは言うものの、「男手一つで娘をここまで育てられた」というのは嘘っぱちだ。彼女をここまで育てるのには本当に多くの人の手を借りた。


 まずは祖父母。

 私の祖父母と亡き妻の祖父母は、どちらも娘に大変よくしてくれた。私がどうしても仕事で家を空けなければならないとき、必ずどちらか一方が面倒を見てくれた。

 特に、妻の祖父母は本当に私によくしてくれた。実の娘である妻を失って一番辛いのは血を分けたお二人だろうに、いつも私の心を気遣ってくださった。

 彼らの支えなくして、乳幼児期の娘を健やかに育てることはできなかっただろう。


 次に、会社の同僚と上司の方々。

 娘の面倒を見られるのは私だけだと、笑って仕事を助けてくれた同期。

 「今度は私が先輩を支える番ですから」と胸を叩いて少しむせていた後輩。

 シフトや有給はいくらでも相談に乗ろう、と力強く頷いてくれた部長。

 色々な便宜を図ってくれた彼らには、今でも本物の家族のような強い絆を感じている。


 そして、学校関係者の皆さん。

 片親で遅くまで働く自分のために、自分の勤務時間外の夜遅くまで待ってから、学校であったことを電話してくれたこと。

 三者懇談のときには、決まって娘の優しさと賢さを褒め称えてくれたこと。

 進路などの相談にきめ細かく乗って、娘の夢を実現させてくれたこと。

 娘が真っ直ぐに育ってこれたのは皆さんのおかげだ。


 最後に、私の息子になる彼。

 高校から娘を支えてくれて、彼女が看護学校に進学してはなればなれになってからも、こまめに連絡を取り合い、心の支えとなってくれた。

 私の気づかぬところで娘を支えてくれた彼は、今日皆の目の前で今にも泣き崩れそうな娘を支えてくれている。

 そして、それはきっとこれからも。

 それは何とか素敵なことだろうか。


(……ああ、そういうことなんだな)


 そこまで考えて気づいた。


 私が今こんなに晴れがましい気持ちでいるのは、男手一つで娘を育てたからなんかじゃない。


 生まれた時から甘えん坊だった娘が、こんなにも多くの人に見守られ、支えられ、今ここに生きていることが嬉しかったのだ。


 私は、隣に立っている写真立てに目を落とす。そこでは21年前の姿のまま、私の妻が微笑んでいる。それはまるで「貴方の考えていることなんてお見通しですよ」とでも言わんばかりの、満足気な微笑みだった。


 気がつけば式はもうほとんど最後になり、みんなが新郎新婦を囲んで写真撮影に入ろうとしている。


「お父さん、早く早く!」


 もう目尻に涙を浮かべていない娘が、満面の笑顔で私を呼ぶ。

 私たちを見守り、支えてくれた全ての人たちが生んでくれたその笑顔で。


「ああ、今行くよ」


 写真立てを胸に抱えて、私は娘の元へと駆け寄り、そして思う。


 ーー○○、21回目の誕生日おめでとう。そして、ありがとう。


 そんな私の思いは、焚かれるフラッシュの白い光の中に融けて。


 ここに集う人々の想いと渾然となって、空に昇っていった。

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