フィクショナル・エンジン

里場むすび

21度目の自殺

 作家、オサム・アクタガワは自殺を考えていた。

 最寄り駅の改札を抜けて自宅へ向かう徒歩30分の道。そこには3軒のコンビニがあり、その全てに同じ商品が売り出されている。


「物語を生み出す全ての人に!」


 そういう売り文句のつけられた栄養ドリンク、「メイクフィクション・S」は今やすべてのコンビニで売れ筋商品となっており、どこに行っても、


「こちらの商品は一人3個までと決まってるんですが張り紙が見えないのですか作家様?」


 というコンビニバイトのうんざりとした声を聞くことができるだろう。


 オサムはこのドリンクを3軒のコンビニをハシゴして計12個購入した。(うち、3個は変装してから買ったものである)


 そうしてゴミだらけの自宅に帰り、「メイクフィクション・S」の空瓶でできたベッドの上に寝転がる。柔らかなベッドに寝たのがいつだったかんて、オサムはもう考えることすらしない。


 いつもなら少し寝たところで「メイクフィクション・S」を飲み、創作活動への従事を開始するところなのだが、今夜はそうする気にもなれずにいた。


(…………金にならない、か)


 自分の作る小説が、劣悪品だと編集者にけなされたのだ。だが、それは断じて編集者個人の感想などではない。問題は、それが思い込みでも感想でもなく、客観的な事実として提示されてしまったことだ。


 ——21本目の小説を書き上げたその日の昼。

 閑散としたカフェの中で、オサムは編集者に一枚の書類を見せられた。


「これは……?」


 おそるおそるといった様子で尋ねたオサムに、編集者は黙しくたまま、見るよう促した。

 だが、オサムは見ようとしない。再度尋ねる。


「これは? これは、なんのデータなんですか?」


 編集者はため息とともに書類のタイトルを読み上げた。


「…………あなたの物語を食べたfabula comedenti——食虚粘菌の反応度についてのグラフですよ」


 オサムは書類の図像に目を落とす。書類には複数のグラフが掲載されていたが、そのほとんどが横這いだった。


「ご存知の通り、食虚粘菌の反応度はサインカーブや二次関数のように激しく上下することが望ましい状態です。一次関数的グラフの場合は、傾きが急であれば急であるほど良い。しかし、あなたのこれはまるで上下していない。最大値と最小値の差が微々たるもの。……大変申し上げにくいのですが、これではお金になりません」


 編集者はコーヒーを一杯すすり、


「あなたの物語から生成されるエネルギーでは、コーヒーを淹れるのに使うお湯を湧かすことすら、できないのです」


 追い討ちをかけるようにそう言った。


「……ですから、これからなんとか…………」

「失礼します」

「えっちょっ」


 カフェの外ではにわか雨が降り出していた。だが関係ない。オサムはカフェで出されたお冷やをぐいっと飲み干すとそのまま店を飛び出した。

 そうして、雨に濡れるのも気にせず駅へと走っていった。


 ——それが、今日の昼のこと。


「……はあ」


 思い出して、オサムはため息をついた。


 食虚粘菌の気に入らない物語に価値はない。これまで必死に、栄養ドリンク飲んで物語を、文字通り身を削って生み出してきたオサムにとって今日提示されたデータは死刑宣告にも等しいものだった。


 オサムはなんとなしにドリンクの空瓶を手にとり、そこに付いたままのラベルの注意書きを読み上げる。


「……健康のため、一日2本を厳守してください」


 オサムは普段、一日に3本飲んでいる。それでも一応、死んではいない。だが、今日購入した12本。これを一度に飲んだとしたら……?

 オサムは震える右手で、今日購入した12本を机の上に並べた。そして順番にフタを開けて、コップに注いで一気に飲み干す。コップが空になったら次。また次。と空瓶を増やしていって……とうとう12本全てを空にした。


「はぁ、はぁ…………」


 動悸が激しい。オサムは死を覚悟した。

 栄養ドリンクの作用が暴走しているのか、一秒がやけに長く感じる。ありえたかもしれないIFがとめどなく脳内を駆け巡る。


(これが……走馬灯……)


 オサムはベッドの上に倒れこんだ。空瓶でできたベッドはオサムの身体を受け入れはしなかったが、オサムはもう、痛みを感じることもなかった。妄想の世界に、虚構の世界に飲み込まれ、五感の全てが現実世界から乖離する。


 生まれてから死ぬまでの全て、そのあらゆるルートを観測して、オサムは思う。


(まあ、こんなのも悪くはないのかもな……)


 新種の粘菌によって捻じ曲げられた不条理な世界に別れを告げるのが、能動的なかたちであったことを救いとして、彼は眠りに落ちた。


 オサム・アクタガワの、1年2ヶ月ぶり21回目の自殺であった。


 ◆


 ——オサム・アクタガワは死んだ、はずだった。


「わっ。すっごい傷。え。なにこれリスカ跡? 何回やったんだか……二の腕も手首もボロボロ。すっごいなあ……」


 ドン引きするような美少女の声が聞こえて、彼は目を覚ます。


「……? あ、あれ?」

「あ、目が覚めた? おはよー」

「その、君は……? どこかで……」


 そう言いかけて、気付く。彼女の姿は、オサムが初めて書いた小説のヒロインにそっくりだったのだ。


「んー、察しはついてるんじゃない? だってその顔、『僕がはじめて書いた小説のヒロインだ』って顔だし」


 そうだ。彼女は顔色からなんでも思考を読み取る設定のキャラだった。


「い、いや……なんで君が、僕の部屋……に。まさか、ここが死後の世界!?」

「違うよ。君が私のいるところに来たんじゃなくて、私が君のいるとこに来たんだから。ここは、この世界は君がいたところと何も変わってない。つまり君は死んでない」

「はあ!? 栄養ドリンクをあんなにガブ飲みしたのに、後遺症が幻覚だけなんてそんな……」

「ちょっと君。幻覚扱いはないんじゃないの幻覚扱いは。仮にも君の処女もらったヒロインですよー?」

「しょ……っ! そういう言い方はないだろ!!」

「だって、私のが処女作なんでしょ」

「そうだけど!!」


 彼女はセーラー服をおもむろに脱ぎ出した。そうして、下着姿をあらわにする。ぐいっと近寄ってきて、


「君は……ただの幻覚にここまで顔を赤くできるの?」

「メ……メイクフィクション使ってればどんな虚構も現実のように感じられるんだ。だから……」

「オーケー。それならちょっと待ってて。顔隠すもの……この紙袋もらっていい?」

「……は? いや、まあ構わないけど」

「ん。じゃあちょっくら行ってくる」


 オサムが承諾すると、彼女は下着姿のまま、紙袋片手にベランダの窓を開けて颯爽と外へ出た。時刻は夜。その姿は現代伝奇ノベルゲームのイベントCGのように幻想的に感じられた。


「…………はっ!? いやいや待て待て! ここ3階だぞ!?」


 我に返ると、オサムは窓の外を覗き込んだ。だが、そこにもう彼女の姿はなく————3時間後、彼女はなにごともなかったかのように帰ってきた。下着姿のまま。


「ツイッターで『東京駅』って画像検索してみ」


 言われるがまま検索してみる。すると、


【東京駅の前で裸で踊ってる女の子いたんだけどwwwww あんなことしといて顔出しNGとかwwwww】


【東京駅前に露出狂JKおったから写真撮ってきた。これは補導しに来た警察をシバいてるところ】


【東京駅前で下着姿のまま、扇情的なダンスをする少女がいた。警察に補導される様子もない。まったく嘆かわしい。これも現与党がロクでもないからで、原発全撤廃、オール虚発化を推進する「虚構が人類を救う党」が与党になるべき理由がまた一つ増えた。 #貧困 #虚構が人類を救う党 #宇野やめろ】


 ……などなど。数々の「目撃証言」が上がった。


 そして目の前には、ツイッターにアップされてる写真そのまんまの姿の女の子がいる。唯一違うのは、写真の中では顔を隠しているが、オサムの目の前にいる彼女は顔を見せているということだ。


「これで、ただの幻覚じゃないことは証明できたと思うけど?」

「……どうして、そこまで」

「なんでって……そういう風にしたのは自分でしょ?」


 そうだ。オサムは頷くしかなかった。


「……ま、私にもなにがどうなって自分がここにいるのかよくわかんないんだけどさ、とりあえず、私はここにいるってことで……これからよろしく頼むよ」


 彼女の笑みは裏表のないもので、オサムはそれに見惚れるばかりであった。


 三日月の夜。21回目の自殺に失敗したオサムの目の前に初めて思い描いたヒロインが現れた。


 それが一体、なにを意味するのか。この時のオサムはまだ知らない。


(了)

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