第2話 抱えているもの
「え、あ、ああ・・・」
僕はつい、うろたえてしまった。
参ったなぁ。
僕がそんな様子でいるのも構わず、茅原さんは続けた。
「だから・・・その、お礼、は・・ちゃんと、口で言いたかった・・・」
「茅原さん・・・」
茅原さんは僕に命を助けてもらった。それはとても大きな恩であり、そんな人に対してはお礼をちゃんと口で言いたかった。
そういうことだと思う。
「ありがとう。感謝の言葉を口で伝えるのって大事だよね。・・・けど、僕はもう感謝の言葉をもらったし、無理して口で喋ろうとしてくれなくてもいいんだよ?」
僕の言葉に茅原さんはふるふると首を横に振った。無理してない、ってことかな?
僕は優しい笑顔を作りながら「ん?」と意図を聞いてみると、彼女は少し考えたような間を置いた後、ゆっくり、丁寧に言葉を紡ぎだした。
「青藤、くんは・・・命の、恩人。だから、特別・・・」
「・・・・・」
僕は少しばかり驚いてしまったので、少しの間何も言えなかった。
茅原さんは意外とストレートに物を言う人なのかもしれない・・・
けれどね、僕はいつものように人助けをしただけなんだよ。
「そっか、ありがとう。・・・でもね、僕は君に特別視されたいから助けた訳じゃないよ。ただ、僕の近くにいる人が危険な目に遭いそうになってた。だから助けたってだけなんだよ」
こんなことを言われても困るかもしれない。茅原さんは何も言わずに黙っていた。
髪の間から覗く彼女の目を見ながら、僕は続けた。
「だから、僕だけ特別扱いしてくれなくて、いいから」
なぜだろうか。さっきまで彼女は目線をしっかりと僕に合わせてはいなかったのに、僕が言い終わった途端にピタッと合わせてきた。
僕が言い終わって少しした後、彼女は口を開いた。
「すごい・・・ですね。・・そんな風に、人を、助けられる・・なんて・・・」
そしてそんなことを言ったのだった。
僕は思わず苦笑してしまった。
「いや、すごくなんかないよ。むしろ、たまに嫌がられることもある。『誰も助けなんて求めてない』って。僕はただのお節介焼きなのかもしれない」
今話したのは僕の経験だった。小学生くらいのときだっただろうか。算数の問題で悩んでいる女の子に解き方を教えてあげたら「自分でやりたかった!」と言われたことがある。
それだけじゃない。中学生のとき、喧嘩をしている生徒たちがいて、そこに割って入ったら、ぼこぼこにされた挙げ句、「邪魔すんなよ」と心底嫌そうな顔をされながら言われたこともある。
茅原さんは何を思ったのだろうか。しばらく考えているような間を置いた後、口元に不器用な笑みを浮かべてゆっくりと言った。
「でも・・・青藤くんに、助けられて、感謝している、人も・・・たくさん、いると、思い、ます・・・」
「・・・そうかな」
僕が言うと、彼女はゆっくりと首を縦に振った。
「ありがとう」
と僕が言うと、茅原さんは視線を空の方に向け
「青藤くんは、人を・・・幸せに、できる。・・・それに比べて、私は・・・」
「茅原さん・・・?」
彼女の口調がさっきまでと少し違ったので、僕は少し気になって尋ねた。けれど茅原さんは突然立って
「ごめん・・・」
とだけ言って校舎の方に走っていってしまった。
僕は時間いっぱいまでベンチで時間を過ごした。
彼女は一体、何を抱えているのだろうか。
☆☆☆
掃除の時間。
僕は同じ場所の当番になっている
ちなみに如月さんはフルネームは
「ねぇ、如月さん。如月さんって、茅原さんのこと何か知ってる?」
すると如月さんは、ほうきを動かす手を止めずに口を開いた。
「何、急に?・・・って、ああ。そうか、青藤、最近茅原さんと仲良いもんね」
如月さんは僕の方にニヤニヤと嫌な笑みを向けてきた。何だよ?別に何もないぞ?
僕は窓を雑巾で拭きながら口を開いた。
「いや、ちょっといろいろあって」
如月さんは「ふーん?」と興味なさげに言って
「まぁ、お節介焼きもほどほどにしといた方が身のためだと私は思うけど。あくまでも聞いた話よ。茅原さん、小学生のときに両親が離婚してるんだって」
何だかんだ教えてくれた。
「へぇ・・・そっか」
重い話だったけれど、彼女が何かを抱えているのだとすればそれが関係しているのかもしれない。まぁ、真偽のところは分からないんだけど。
「私はね、こう思ってるの」
まさか話が続くとは思っていなかったので、驚いて彼女の方を見た。
一体、何の話だろうか。
僕が訝しんでいると、如月さんはこんなことを言った。
「茅原さんの両親が離婚したのは、彼女が何か両親に対して余計なことを言ってしまったから」
「・・・・・」
僕は何も言えなかった。
けれど、ありえる話ではあると思った。
「だって、それなら説明がつくじゃない?茅原さんがあまり人と喋らない理由」
「そう思わない?」という意図を込めて如月さんは僕の方を見てきた。
僕は頷いた。
「・・・うん、確かにその話が本当なら、十分ありえると思う」
あくまでも本当なら、の話だけど。
昼休みのとき、彼女が何を言おうとしたのか。それは恐らく
「それに比べて私は人を不幸にする」
って言おうとしてたんじゃないかと思う。
そして自分の口が余計なことを喋ったせいで両親が離婚した。まだ小学生だった茅原さんは自分を酷く責めた。そして、多分、親からもキツい言葉をかけられたんじゃないかと思う。そしてその影響で余計なことを喋らないように自らの口で話すことを極力避けるようになった。その結果、どんどんコミュニケーションができなくなっていった。
ざっとこれらのことが考えられる。
如月さんは窓の外を見た。
「ま、私は首を突っ込まない方がいいと思うけどね。忠告よ」
この人、僕のこと心配してくれてるんだろうな。
口調はいたって冷静な感じだったけれど、そう思った。
だから僕はそれに「ありがとう」と言葉を返すのだった。
☆☆☆
放課後。
僕はクラスメイトの
「なぁ、青藤。お前ってさ、茅原さんのこと、どう思ってるんだよ?」
不意にそんなことを聞かれた。まぁ、ここ最近僕は彼女と一緒にいることが多かったから仕方がないかもしれない。
「えー、んー・・・結構可愛らしいところがある子、ってところかなぁ」
「おー!なかなか好印象持ってるってことだよな?」
川島が近寄ってきて、肩を組んできた。これだから体育会系は。距離感が近すぎて若干鬱陶しい。
「まぁ、そうだけど。別に好きって言った訳じゃないぞ」
「またまた~ご冗談を」
「冗談なんかじゃない。手を動かせ」
川島は僕の言葉に「ははは」と笑うのだった。
何で僕ばっか必死に黒板の文字を消してるんだよ。まぁ、押し付けられるのには慣れてるけど。
そうだ。こいつにも聞いてみるか。
「川島。君は茅原さんについて、何か知っているか?例えば、過去とか」
僕が尋ねると、川島は「うーん」と唸りながらしばらく考えていた。
僕は黒板消しクリーナーのスイッチを押した。ウィーン、と音が教室に鳴り響く。今、教室にいる生徒の数はまばらだった。主にいつまでも帰らず駄弁っている生徒たちが残っていた。
「あ、そういえば」
不意に川島が口を開いた。
「茅原さん、昔はもうちょっと明るかったし、よく喋る子だったらしいぞ?俺の友達が昔から茅原さんと知り合いらしくて」
「・・・ん?ごめん、もう少し大きな声で頼む」
黒板消しクリーナーの音がうるさいもんで。
川島は僕のすぐ隣まで近寄って・・・
「いや、そこまで近づかなくてもいい!」
吐息がかかりそうなくらいの距離まで近づいてきやがったので、言ってやった。
すると川島は「悪い悪い」と言いながら、僕から少し距離をとった。
「それで、茅原さん、昔はよく話す子だったんだって?」
「お前聞こえてたんじゃねぇか!」
僕は「はっはっは」と笑ってやった。そうです、ほとんど聞こえてました。
「お前、いつもそんな感じでいればいいのに。俺、お前のこと気に入ったわ」
「そ、そう・・・」
こいつに気に入られてもあまり嬉しくはない。まぁ、でも有難いとは思う。
「何があったんだろうな、茅原さん。ま、俺はあまり話さない女の子ってのもクールでミステリアスな感じがしてありだなって思うけどな」
ああ、そういえば聞いたことがある。寡黙な女の子に対して男はミステリアスだとか、クールだとか、上品とかいうイメージを持つらしい。
「はは、そうだね。ありがとう、教えてくれて」
ふむ。さて、どうしたものやら。
☆☆☆
僕が土間で靴を履き替え、外に出ると外は夜の闇が侵食し始めていた。
「さて、帰るか」と思って外に出ると、すぐ近くに人影があってびっくりした。
「あ、茅原さん。どうしたの?」
てっきりもう帰ってしまったのかと思った。
「待って・・・ました・・・」
うーん、特別扱いしてくれなくていいよって言ったのになぁ。
まぁ、でもいいか。僕の方もちょっと聞きたいことがあるし。
茅原さんと帰ろうとしていたその時だった。
「だから、やめてくださいって行ってるじゃないですか!」
どこかから、女の子の声がした。誰かと揉めているのだろうか。
「ごめん、茅原さん。ちょっと待ってて」
僕はそう言って、声の方に向かおうとしたのだが、制服の袖の辺りを掴まれた。
「・・・どうしたの?」
すると茅原さんはこんなことを言った。
「私も・・・行く。・・・青藤くんの、手伝い・・・」
しょうがないなぁ。
「分かった。行こう」
僕は茅原さんと一緒に現場へ向かうのだった。
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