第1話 命の恩人
「うーん、僕、茅原さんに気に入られるようなことしたかな・・・」
茅原さんが僕に「ありがとう」と言ってくれた日から少し経った。彼女は次の日から僕に「お、おは、よう・・・」と、たどたどしくなりながらも僕に挨拶をするようになり、僕がフリーで特に誰かといるわけではないときは、僕の近くに来て「い、いい天気・・・」とか言って、頑張って僕と会話しようとしてくれるようになった。
だが、こうなってしまうと気になる。僕は彼女にここまで気に入られるようなことをしたのだろうか?
クラスメイトたちも、茅原さんが僕に対して挨拶をしたとき
「え、茅原さんが挨拶した!」
「やべぇ、めっちゃレア!」
「青藤のやつ、なんかしたのか?」
とか言って騒ぎ立てていた。全くもってその通りなんだけれども、茅原さんのことを思うとあまり騒ぎ立てないでくれとも思った。
茅原さんは僕と言葉を交わす度に顔を真っ赤にするので、そんなに頑張らなくてもいいのになと僕は思っていた。
僕が自分の机で突っ伏しながら、いろいろ考えていたとき、すぐ目の前に人が現れた。
「よー、青藤くん。聞いたぞー、最近は何やら女の子に気に入られてるみたいじゃないか」
「ん・・・ああ、夏野か」
僕の目の前に現れたのは、
僕はゆっくりと体を起こした。
「語弊のある言い方をしないでくれよ。僕は別に女の子からモテまくってる訳じゃない」
僕のような外見に目立った特徴のない、ただの「いいやつ」が女子たちにモテるわけがないだろう。
「そうかー?青藤くんは、困ってる人を放っとけない素晴らしい性格の持ち主だから、いつかはモテ期が来るんじゃないかと僕は思っていたんだけど?」
「よしてくれよ、そんな言い方は。別に僕は大層な人間じゃない。ただ僕は僕の身近にいる人を助けているだけで、アニメのヒーローのようにそこらじゅうを飛び回って片っ端から困っている人を見つけては助けているって訳じゃない」
アニメや漫画に見るヒーローは大変そうだなと思う。たとえどんな人であろうと困っている人を見つけたら助けずにはいられない性格をしているんだから。
「結局のところ、どういうことになっているんだい、君は?」
夏野は改めて尋ねた。
「いや、それが最近、夏野も知ってる茅原さんがやたらと僕に声をかけてくるんだ。この前、彼女に『ありがとう』って言われてからのことなんだけど。僕、何かしたかなって」
「へぇー、あの茅原さんが。うーん・・・例えば命の危機を救ったとか?」
はっはっは。
「そんな御大層なこと、した覚えが・・・」
僕は笑いながら言ったのだが、次第に心当たりが浮かんできて。
「待てよ・・・」
「お、何々、何か心当たりがおありの様子だが?」
夏野が茶化すように聞いてきた。こういうところが少々、鬱陶しい。
「いや、そういえばこの前の土曜日に家の近くのコンビニに買い物に行ったんだけど、その帰りに横断歩道が赤なのに飛び出そうとしている女の子がいたんだよ。それでその子を助けたんだけど、よーく思い出してみると・・・」
「茅原さんに似てるような気がする、と?」
夏野が僕の言いたいことを先回りした。僕はそれに頷いた。
「フード被ってたし、よく顔が見えなかったんだけど、そういえば頷いたときの仕草が似てたし、髪も茅原さんと同じで綺麗だったなぁって」
「青藤くんって、髪で人を見分けてるの?」
夏野が若干引きながら言った。何でだよ。
「そんなわけないだろ。ただ近くで見た茅原さんの髪は特にさらさらで綺麗だったから印象に残ってたってだけ」
「やっぱり君は女の子の髪に特別な執着を抱いているようだ」
「どうしてそうなる!?」
変な解釈をするなよ、全く。僕は別に女の子の髪をじろじろ見るような変態じゃない。もとより、そんな性癖は持ち合わせてはいない。
「ごめん、ごめん」と夏野は笑いながら謝った。人に謝るときは真剣な顔をしてくれ。
「まぁ、とにかく聞いてみればいいんじゃないのかな?」
夏野は言った。
「まぁ、そうだね。聞いてみるよ」
そこで始業のチャイムが鳴った。
「あ、もうこんな時間か!じゃあね、青藤くん」
夏野はバタバタと自分の教室に戻っていった。
全く、騒がしいやつだ
僕も授業の準備をするのだった。
☆☆☆
その日の昼休み。
僕はいつも使っている外のベンチに茅原さんを連れてきた。もちろん、話をするためである。
茅原さんは小さな手に弁当箱が入っていると思われるバッグを持っていた。
「ごめんね、急に呼び出して。ちょっと、話がしたくて」
茅原さんは「構わない」という風に首を横に振った。
僕は購買で買ったパンを一口かじってからまた口を開いた。
「さっそくなんだけど、茅原さんって、この前の土曜日の夕方、三丁目の交差点の近くを通らなかった?」
僕が尋ねると、彼女はあからさまに肩をビクッと震わせた。お、ビンゴなのか?
「え、い、いや・・・通って、ない」
茅原さんは声を少し上ずらせながら答えた。えー?本当かなぁ。
髪の間から覗く目を見てみると、僕ではなくどこか遠くを見ていた。
「それって、本当・・・?」
僕はじーっと彼女の顔を見ながら真偽を確かめようとした。
茅原さんはしばらく無言だったけど、僕も我慢強く彼女の顔を見つめていた。
それにしても、髪だけじゃなく、瞳も綺麗だな。川の上流から流れる自然の水みたいに透き通ってる。もったいないなぁ、こんな綺麗な目をしてるのに、隠してるなんて。
ふと、そんなことを思った。
やがて根負けしたのか、茅原さんがゆっくりと口を開いた。
「通った・・・・・」
小さな声だったけど、確かに肯定した。
「やっぱり?じゃあ、君、信号思いっきり赤だったのに横断歩道を渡ろうとしてたよね?」
「・・・・・」
何て言おうか迷っているのか、茅原さんはしばらく黙りこんでいた。そうかと思うと突然、ポケットからメモ帳を取り出し、胸ポケットに入れてあったボールペンで何かを書き始めた。
あ、そうか。筆談ね。それなら言いたいことをちゃんと伝えられるってことかな。
っていうか、やっぱり何で僕には頑張って話そうとしてくれるのだろうか?僕は別に筆談でも構わないんだけど。
茅原さんはさっと僕に向けて、メモ帳に書いた内容を見せてきた。けれど顔は明後日の方向を向いていた。うーん、恥ずかしいから?それとも言いにくいことだから?
「えーっと・・・・って、そうなんだ」
僕はつい、書いた内容に笑ってしまった。
『私、ときどきボケーっとしてるんです』
こんなことが書いてあった。
なるほど。ボケーっとしてたから、赤信号だったことに気づかなかったと。そういうことね。
でも気をつけて!本当!
茅原さんはしゅん、と項垂れていた。
「あ、ごめんごめん。今のは別にバカにした訳じゃないよ。ただ・・・」
彼女はこてんと首を傾げた。前髪が片方に寄って、片方の目だけ露になった。
うーん、少し照れくさいんだけど。
「何て言うか、可愛らしいとこ、あるなって」
僕は言ってすぐに目を逸らしてしまった。仕方ない!
僕がそんなことを言ったので、茅原さんも顔を真っ赤にしていたようだった。
しばらくの間、沈黙が流れた。
いかんいかん、何か話さないと。このままだと多分、またピューって逃げてっちゃうぞ!
「あ、あのさ。茅原さんは、どうして僕には筆談じゃなくて、普通に話そうとしてくれるの?」
いちばん聞きたかったことを聞いた。
思い返してみれば、茅原さんは誰かと話をする必要があるときはさっきのように筆談をしていたような気がする。ならば僕にも同じようにしてくれていいのに。
苦手なことを無理矢理やらせるのは心苦しい。克服しようと努力することは立派なことだが、人間欠点のひとつやふたつあってしかるべきだから、別に克服しなくてもいいと僕は思う。まぁ、その欠点の種類にも依るのだけれど。
少しの間を置いた後、茅原さんは優しく微笑みながらゆっくりとこう言った。
「青藤くんは・・・命の恩人、だから」
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