記憶保険

厠谷化月

記憶保険

〈残されたご家族の喪失感を和らげます!〉

 男が玄関先で渡したチラシにはその文言が大きく書かれていた。

「夫はまだ亡くなると決まったわけではありません。お引き取りください。」

 カーペンター夫人はあからさまに嫌な顔をして言い切った。人の不幸を商売の糧にする保険屋に強い不快感を抱いていた。

夫人は、癌を患う夫のトーマス・カーペンターが助かる見込みがないことはわかっていた。事実、数日前に夫の主治医から覚悟しておくようにと言われたばかりなのだ。だが、夫の死まで商売の道具に利用しようとする営業マンを追い返すためにはこういう言い方をするしかなかった。

「いえいえ、奥さん、誤解しないでください。この契約期間は五十年です。何も奥さんにだけ紹介しているわけじゃないんですよ。私どもは記憶保険をこの街に住むご夫婦の皆さんに紹介しているのです。」

 ほとんどの人が被ばくを恐れてドーム都市に引っ越すか、国外に移住したため、核攻撃でまき散らされた放射性物質が残るこの街に残っている人はほとんどいなかった。一体誰の家を回ってきたのだろうかと夫人は疑問に思った。男は不信感をあらわにするカーペンター夫人に臆せずに、笑顔を保ったまま説明を続けた。

「いかなる神を信じようと死はすべての人にやってきます。そして死は本人だけでなく、そのご家族にも深い悲しみをもたらします。記憶保険はそういうご遺族の方々の悲しみを低減するものなのです。」

「講釈はもういいですから、その保険の内容を教えてください。」

 夫人はつい聞いてしまった。男は待ってましたとばかりに、目を見開いた。

「チラシの裏をご覧ください。こちらの商品はですね、最新の電脳技術を使用した、わが社独自の商品なんですよ。契約者様の脳に蓄積された記憶情報を、磁気記憶媒体に複写しておくことで、生前のご様子をいつでも再現できるようになるのです。記憶情報複写サービスはご契約期間であれば一か月に一回までご利用いただけます。複写した磁気記憶媒体はご契約者様がお亡くなりになった日の翌週に郵送いたします。ところで、旦那様は電脳プラグを移植されていますか?」

「首に埋めるやつですか。うちはそういうのをやってないんですよ。ほら、この辺り電話線くらいしか通っていないでしょう。あっても使わないのよ。記憶を複写するにはプラグが必要なの?」

 夫人は保険の話を聞き入っていて、入院しているトーマスが契約することで話が進んでいることを特に気にしていないようだった。

「必要になりますが、ご安心ください。来月までにご契約いただくと、ご契約者様とそのご家族には提携先の病院で無料のプラグ移植手術を提供いたします。さらに提携先のアンドロイド製造会社での購入の際には購入額の半分を割り引かせていただきます。」

「アンドロイドと記憶保険の間に関係があるの?」

「旦那様の記憶情報をアンドロイドに移植することで、旦那様の様子をありありと再現することが可能になるのです。」

 ここまで夢中になっていた夫人だったが、チラシ載っていた保険料の高さで冷静さを取り戻した。

「ところで、記憶複写は契約してからどのくらいでできるようになるのかしら。」

「契約していただいたその日から可能になります。しかし旦那様の場合ですと、プラグの移植の必要がありますから、2週間後くらいからになりますかね。」

「まあ、高い買い物になりますし、もう少し考えさせていただいていいかしら?」

「結構でございます。それから記憶保険の資料はこちらになります。それからこれはつまらないものですが、お納めください。」

 男は鞄から取り出した資料の入った分厚い封筒とボールペンを夫人に渡した。記憶保険の勧誘で初めて好感触を得られた男は舞い上がりそうになるのをこらえながら帰っていった。




「で、チューリング試験にも落ちるような低能アンドロイドをもらっちゃったってわけだ。」

 部屋には白衣を着た男と、カーペンター夫人の二人と、そしてトーマス・カーペンターにそっくりなアンドロイド一体が座っていた。夫人は憔悴しているようで髪が乱れていた。白衣の男はピラピラとアンドロイドのカルテを読んでいた。

「アトランタ生命の記憶保険なんて、周りじゃはなから眉唾だって話題になってたんだ。ベス叔母さん、どうして僕に相談してくれなかったの。」

「ビルに相談したところで、小難しい言葉で否定されるだけなのはわかってたからよ。」

 カーペンター夫妻の甥にあたるビル・カーペンターは否定できなかった。普段は夫妻と親しい関係にあるのだが、こと電脳工学となると専門知識をひけらかしてしまうきらいがあるのはビル自身も自覚していた。

「まず言えるのはアトランタ生命を訴えても無駄だということだね。あそこはこういうグレーな保険を売るのに長けている分、裁判にも強いんだ。」

「別に訴えようって気はないのよ。」

「じゃあ、ベス叔母さんはどうしたいの?」

「アンドロイドをもっと人間らしくできないかしら?ビルならそういうことに詳しいからわかると思って。」

「無理だね。」

 ビルがきっぱりと否定すると、夫人はあからさまにうなだれた。

「人間の人格ってのは記憶情報だけじゃ再現できないんだよ。人格は記憶情報の他に何かしらの情報で構成されていると言われているん。」

「じゃあ、もっと詳しい情報をコピーできればいいのね。」

「トム叔父さんの墓を掘り起こそうっていうのかい。そんな無茶しても無理だよ。今の電脳技術だと、記憶情報を複写するのがやっとなんだ。」

「じゃあ、このアンドロイドはトムそっくりにはならないってこと?」

「残念ながら記憶情報だけじゃ無理だね。考えてみてよ。機械学習だって、同じデータを与えたところで、情報の扱い方が違えば結果も違ってくるんだ。人間も同じだよ。」

 夫人はにわかに涙を流しだした。夫が死んだとしても、コピーが手に入ると思っていた夫人は、ビルにそれが無理だと伝えられてようやく夫の死を身近に感じることができたのだった。

「でも彼がトム叔父さんであることが、ベス叔母さんにとっていいことだとしたら、彼はトム叔父さんだと考えるべきだよ。デューイか誰かが言ってただろう。」

 泣き出した叔母をなだめようと咄嗟に言ったものの、果たしてそう言うことが正しいのか、ビルにはわかなかった。

「ベス、泣かないでおくれ。君の泣いている姿を見ているのは悲しいことだ。そうだ君はこの歌が好きだったね。」

 黙って座っていたアンドロイドが突然そう言ってデイジーベルを歌いだした。このアンドロイドの努力むなしく、夫の生前の様子を思い出した夫人は余計に泣き出してしまった。




 アンドロイドにも、人間の記憶情報を移植したら人格が形成されるらしい。ニュースでそう聞いた夫人は、亡きトーマスの記憶を移植したアンドロイドとの生活に希望を見出した。彼の生き写しとは言わないまでも、時たま夫の癖を再現することがあり、廃棄処分にするのは夫を殺すようで気が進まなかった。

 アンドロイドと言っても生体組織で構成されているので、電気ではなく食糧を動力源としていた。アンドロイドの料理の好みは生前のトーマスと同じで、食事の時間は特に夫といるような感じがしていた。

 トーマスは20年前の内戦以来西軍に属しており、癌の原因が内戦でニューヨークにいるときに被爆したとこと認められたため、アンドロイドと二人で生活するには十分な遺族年金が発行された

 この日の夕食はトーマスの好物のジャーマンポテトだった。

「ねえ、トム。新婚旅行でグアムに行った時のことを覚えてる?」

「もちろんさ、ベス。あの時君がパスポートを失くしたから大変だったね。西アメリカの領事館での手続きはもうこりごりだね。」

「どこで失くしたことに気づいたんだっけ?」

「二日目の夜だよ。ホテルのレストランでフレンチのフルコースを食べた後に部屋で気づいたんだ。」

 アンドロイドは昔のことでもよく覚えていた。人が思い出せないことでも、完全に記憶情報が失われているというわけではなく、きちんとコピーされるらしかった。

 夫人にとって思い出の隅々まで思い出させてくれるのはありがたいことでもあったが、同時に物足りなさも感じていた。昔の思い出話を話すときは、二人の記憶違いがあることや、どうしても思い出せないことがあって、二人でああでもない、こうでもないと話しあうのが楽しかったのだ。アンドロイドとの会話は事実確認のようで、夫人には退屈だった。

 突然、夫人がフォークを置き、咳き込みだした。アンドロイドは心配そうに夫人を見つめていた。咳が収まらない夫人の口から血が噴き出し、白いテーブルクロスを赤く染めた。

「ベス、大丈夫か?苦しいか?いま救急車を呼ぶからな。」

 ただ事じゃないと判断したアンドロイドが立ち上がって、夫人の背中をさすった。咳は一向に止まる気配がなかった。




 夫人が住んでいた地域は放射能汚染がひどく、直ちに命にかかわる線量ではないとはいえ、二十年近く被爆し続けていたらそれが原因で病気を患っても不思議ではなかった。

 夫人は肺がんを患っていた。発見されたときにはもう手遅れで、夫人の主治医はもってあと半年だと言った。夫人は直ちにドーム都市内の病院に入院することになった。

 夫人が入院して以来、アンドロイドは毎日ドーム外の家から病院までお見舞いに来ていた。

「皮肉なものね。癌になってから被爆の恐れがない所に住めるようになるなんて。」

 アンドロイドにはまだ夫人の皮肉を理解する能力はなかった。

「今の西の制度だと新たにドーム都市の居住権を得るには病気になるか妊娠するかしかないからね。」

 その日アンドロイドは小脇に花束を抱えていた。

「ベスはスズランが好きだろう。きれいなスズランが売っていたから買ってきたんだ。花瓶に挿しておくよ。」

 花瓶に挿してあったのは、被ばくの影響で花が異常に密集している、とてもきれいとは思えないスズランだった。もし持ってきたのがアンドロイドではなかったら、自分への当てつけかと憤慨するところだった。しかし、夫人はアンドロイドがそこまで気遣いできるほど能がないことを知っていた。むしろスズランを買ってきてくれる愛情がうれしかった。

「じゃあ、体に気を付けて。ベス、愛しているよ。」

 そう言うとアンドロイドは夫人の額にキスをした。

 アンドロイドが帰り、独りになった病室で、夫人は奇妙なスズランを見つめていた。夫人が入院してから、アンドロイドからの愛情を感じることが多くなった。毎日来てくれるし、愛していると言ってくれるし、今日なんかスズランも買ってきてくれた。だが、夫人にはアンドロイドが語る「愛」を素直に受け取れないでいた。

一度甥のビルが見舞いに来てくれた時、夫人はアンドロイドが彼女を「愛する」ようになった理由を聞いてみた。ビルは二つの仮説を唱えた。一つはアンドロイドに人格が形成され、トーマスのようになったこと。もう一つは、生前のトーマスの夫人を愛していた記憶をもとに機械的に「愛」を語っているということ。

アンドロイドが人間ではないという先入観からか、アンドロイドからの愛情はトーマスからの愛情を劣るような気がしていた。夫人はアンドロイドの愛情が機械的なものではないかと疑っていた。

それからもアンドロイドは毎日見舞いにやってきた。スズランが枯れるころ合いを見計らって、また新しいスズランを買ってきていた。新しいスズランもまた奇妙なもので、花が通常の十倍近く大きなものだった。

「じゃあ、ベス、愛しているよ。」

 帰り際にはいつも通りの言葉を言った。

「ねえ、トム。私を愛してる?」

 ドアに手を掛けたアンドロイドの背中がビクッと震えた。

「君が辛い時に僕が浮気をするわけないじゃないか。僕にはベスしかいないよ。」

「違うの。アンドロイドのあなたが、本当に私を愛しているの?トムの記憶をもとに機械的に判断してそう言っているだけじゃないの?」

 アンドロイドは、冗談はよしてくれとでも言うように、微笑んだ。

「心から愛しているよ。ずっと一緒にいたじゃないか。」

「一緒にいたのはあなたじゃないわ。トムよ、トーマス・カーペンターよ。」

「僕がトーマスだよ。ベス、どうしたんだ。ずっと入院しているから疲れているんじゃないか?」

 アンドロイドは夫人をいたわるように頭を撫でた。夫人はアンドロイドの手を払いのけた。

「あなたはトーマスじゃないわ。あなたはトムの猿真似をする機械に過ぎないのよ。機械が気安く愛を語らないで。」

 アンドロイドは何も言い返さなかった。ただ彼は夫人に払われた右手を見つめていた。

「もう帰って。帰ってちょうだい。」

 アンドロイドは肩をガックリと落として病室を出て行った。あまりの重さにスズランの花が一つ床に落ちた。

 ベスはその日以来アンドロイドとは口を利かなかった。散々な言われようだったアンドロイドは、そんなことを気に留めていないように、毎日病室に来ては「愛している」と言って帰っていった。

 変わらないアンドロイドの態度とは対照的に、夫人の容体はその日以来日増しに悪くなっていった。




 一人の男が墓の前で祈りを捧げていた。墓石には「エリザベス・カーペンター、ここに眠る」と彫ってあった。墓前には今時この辺りでは珍しい、放射線の影響のないきれいなスズランの花が供えられていた。

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