拝啓 貴女へ

常盤しのぶ

第1話

「あのねシン、買い出しに行ってきてほしいんだ」

 太陽が真上を通り過ぎようとした頃、冷めきった朝食プレートの向こうで寝起きの師匠せんせいは言った。

「買い出し、ですか」

 そ、と言うと師匠せんせいはスクランブルエッグ(じゃこ入り)をもそもそと食べ始める。今日の朝食は自信作だったのにな。

 私と師匠せんせいが住んでいる小屋は山の中腹にある。基本的には広い土地と師匠せんせいの魔法を駆使した自給自足で最低限の生活は保証されている。しかし、それらではどうしても賄えない代物も当然出てくる。例えば肉。牛や羊を飼うこともできなくはないが、師匠せんせいも私も屠殺はしたくない。そういう時は基本的に私が麓の市街地まで出向いて買い出しをすることになっている。

「でも師匠せんせい、買い出しはこの前行ってきましたよ」

「あれは食料の買い出し。今回は服とか、木板とか、なんかそのへん」

 なんとなく言葉の歯切れが悪い。この前の買い出しだって食料以外にも色々買っている。歯ブラシとか。

「服って言っても普段からその真っ黒いローブしか着ていないですよね」

 真っ黒いローブを着ながら小さい口いっぱいに食パンを頬張る師匠せんせいは、なんとなく気まずそうに私から目を逸らす。

「そ、そんなことないもん」

「他にあるんですか? 服」

「あるよ! いっぱいあるもん! これだけじゃないよ!」

 猛抗議の意思を示すためにフォークを持った右手を振り上げ、椅子の上に立った。それでも私の身長には届かないが。お行儀が悪いからやめてほしい。

「黒以外で」

 威勢よくフォークを持ち上げたまま固まってしまった。なにか言葉を発しようとしているみたいだが出てこないようだ。このままでは埒が明かない。

「とりあえず出発の準備をしてきます。買ってきてほしい物をリストにまとめて机に置いておいてください。食べ終わった食器はシンクに入れて水に漬けておいてくださいね」

「シンは生活力が高くて助かるよほんと」

「こんな生活を20年もしていれば嫌でもこれくらいはできるようになります」

 師匠せんせいは頬杖をついてこちらを見ながらニヤついている。お行儀が悪いからやめてほしい。


 ◆◆◆


師匠せんせいは嘘が下手だ」

 外套を羽織り、買い物リストと財布を持って麓まで向かう。基本的な移動手段は箒だが、買い出しともなると過積載となってしまう。こういう時は彼を呼ぶ。

「そう思うだろう、ジャックナイフ」

『でも肝心な何考えてるかってのはわからねんだろ?』

 レッドドラゴン。竜種の中でも高位であるそれは、何年か前に師匠せんせいがどこからか連れてきた。師匠せんせいが彼をジャックナイフと命名し、彼もそれを受け入れている。レッドドラゴンは人語を理解し、しゃべる。そしてよく買い出しに協力してくれる。帰りにキツネの屍肉を与えると喜ぶ。

「今度は何を企んでいるのか……」

『前は畑の半分が焼けたんだったか』

 新しい野菜を発明してみる! と私がいない間に勝手に画策し、勝手に爆発事故を起こし、畑の半分が焼け野原になった。師匠せんせいの行動は私の理解では到底追いつけない。

『あれは傑作だったぜ。真っ黒のチビスケにそれを見て途方に暮れるオマエ! いやぁ最高だったな』

「笑い事ではないんだけどなぁ」

 結局畑を元に戻すのに1年以上を要した。あんな苦労はもう懲り懲りだ。

『ま、今回は大丈夫じゃねぇか』

「なんでそう言い切れるんだよ」

『だって……ほら、もう街に着いたぞ』

 変なところで話を切られてしまった。気になるが、とりあえずさっさと買い物を済ませてしまおう。


 ◆◆◆


 ジャックナイフを外の森で待たせ、私は市街地の門をくぐった。

 買い物リストに書かれた品は替えのローブやノートなど、どれもすぐに必要になるとは思えない物ばかりだった。日が傾く前にキツネの屍肉含め買い物を済ませられたが、リストの最後には


 ・お茶でも飲んで、できるだけゆっくり帰ってきてね


 と書かれていた。私を長時間小屋から離したい意図だけは伝わってくる。本当に何を企んでいるのか。畑半焼事件は師匠せんせいも懲りに懲りたはずなので再犯することはないと思うが、やはり心配だ。

「……帰るか」

 そう思った矢先であった。

『おや、おやおやおや! そこにおるのは見習いの嬢ちゃんではないか!』

「ウミウシさん。お久しぶりです」

 道路脇に無造作に置かれた樽の上にウミウシさんがいた。本名はヘンリー・カノープスというらしいが、見た目がウミウシそのものなので私はウミウシさんと呼んでいる。

 ウミウシさんは私を見ながら嬉しそうに身体をウネウネさせている。

「嬢ちゃんが元気そうで儂も嬉しいわい。終焉の魔女も息災かな?」

「えぇ、いつもどおりですよ」

 師匠せんせいはウミウシさんから終焉の魔女と呼ばれている。その名の通り世界を終わらせた魔女張本人らしいのだが、世界の終焉なんて何万年も前の古代文明でしか聞いたことがない。おそらくウミウシさんのいつもの与太話だろうとスルーしている。

『それは僥倖。久々に会えたことじゃしゆっくり話でもと思うたんじゃが』

「どうかしたんです?」

 いやな、とウミウシさんは口を濁らせる。

『嬢ちゃんら、フーガ山に居を構えておったな。最近あの辺りで山賊が出没しておるらしいのじゃ。まぁ山賊程度であればそう珍しいもんでもないし終焉の魔女であれば問題はないじゃろうが、ちと不安になっての』

 確かに師匠せんせいであれば山賊程度に負けることはない。しかし、なんとなくまとわりつく嫌な予感は拭いきれずにいた。

「……ありがとうございます、ウミウシさん。すぐ帰ります」

『そうするがええ。お茶は次の機会に』


 ジャックナイフに駄賃を食わせ、師匠せんせいが待つ小屋まで飛ばした。

 大丈夫、師匠せんせいなら大丈夫、自分にそう言い聞かせた。

 どれくらい飛んだだろう。まだ着かないのかな。

 否応なしに心臓が早鐘を打つ。

 段々と小屋が見えてきた。

 黒い煙が登っていた。


 ◆◆◆


 逸る気持ちを抑えきれないまま私は小屋へと飛び込んだ。

師匠せんせい!!」

「あれ、もう帰ってきたの? はやいよぉ……どうしたの?」

 目の前に師匠せんせいがいた。エプロンを装備し、両手で黒い物体をトレーに載せて運んでいる最中だった。

「あれ、だって、小屋、黒い、煙」

 頭の中で整理がつかないまま混乱する私をよそに、師匠せんせいは恥ずかしそうに身体をクネクネさせている。

「多分これのせいだね。シンを驚かせようとしたんだけど、失敗しちゃった」

「山賊は?」

「山賊?」

 私も師匠せんせいも互いに互いがわからなくなっていた。

「街で何を聞いてきたのかわからんが、小屋の周りは隠匿インビジブルがかかっているから部外者は入るどころか認識すらできないでしょ」

「……そうでした」

 師匠せんせいは両手に持っていた黒いなにかをテーブルに置き、扉の前で立ち尽くす私の側まで寄ってきた。

「すっかり忘れているみたいだから言うけども、今日は君の誕生日だ」

「……あ」

 自分で自分の誕生日をすっかり忘れていた。次第に呼吸も意識も落ち着いてきた。

「嵐の夜、私が小屋の前で君が捨てられているのを見つけて今日で21年目だ。普段から世話になりっぱなしだからね、今年は自分でケーキを作ってみようと思ったんだが」

 私を驚かせたくて買い出しに行かせ、その隙にケーキを作ってしまおうという算段だったらしい。そういえばこの前の買い出しにケーキの材料らしき項目があったような。

「食べちゃいましょう。勿体ないですよ」

「え、でも、マルコゲだよ?」

「いいんですよ、だって」

「だって?」

「……内緒です」

 私は外套をハンガーに吊るし、テーブルについた。師匠せんせいが何か異議申し立てをしているが、聞かないふりをする。この些細な時間が何よりも愛おしいから。

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