星屑とサイダーと、小さな恋

桜 透空

星屑とサイダーと、小さな恋

 うっすらと立ち込める雲と濃紺な夜空。

 今、瞳のスクリーンに映っている。

 それはすぐに見つけた。

 ひと際輝く一等星のデネブ。

 そのデネブと共に光る五つの星が十字架のように羽を広げている、はくちょう座があった。 


line

今日は星がよく見えるなー。

何それ、誘ってるの?

麦穂むぎほ、星見るの好きじゃん。夏休みのやってもやらなくてもいい課題、星座でもやろっかなって言ってたよな? 今から外出ん? 

そーだけどさあ。でも夜に出れるかなあ。

中学最後の課題だもんとか。星の観測したいからーとか何とか言っとけよ。

んー、そだね。まあ佑星ゆうせいと一緒ならお母さん許してくれそうだし。

そそ。近所の友達って便利だろ。大体、麦穂のマンションの前の公園でするんだから問題ないし。

わかったー。じゃあまた連絡するー。

おけ。


 僕は夜風にあたりたくてベランダにいる。

 高層階から眺める夏の夜空。 

 この無数に散らばる星屑のセカイが無条件に好きだ。

 もしも。

 もしも星屑と同じくらい、僕にも好きな人ができたらどうなるんだろう。

 年に一度、七夕に逢えるアルタイルとベガのように大恋愛をするんだろうか。恋愛経験が浅すぎる僕には全く想像もつかない。

 ピュウッ、と吹く風によって反射的に目を閉じる。

 何となく五ヶ月前の二月十四日をぼんやりと瞼の裏に映した。


 忘れもしない。

 中学二年生の思春期真っ只中の僕。ま、現在進行形だけど。

「ただいまー。疲れたー」

 スニーカーは脱ぎっぱなしでも、トランペットが入ったケースは慎重に置く。

佑星ゆうせい、おかえり。今日の部活、いつもより早く終わったね」

「そっかあ? いつも通りじゃん」

 早く着替えたいのに話好きな母が離してくれない。息継ぎを忘れたみたいに、僕の背中に向けてガンガン言葉を投げ込んでくる。

「今日バレンタインでしょう。可愛い女の子達が家にチョコ持ってきてくれたわよ。モテるねえ」

「あー、母さん。待って待って。着替えたいから後にしてー」

 何かと女子の話を振ってくる。

 僕、一応多感な中学二年生なんだけども。

「その中に麦穂むぎほちゃんもいたんだけど」

「だから何」

 察しろよと訴えかけるように母に背を向け、階段を一段飛ばしで駆け上がった──そんなあの日の出来事。




「佑星ー、ご飯できたよー」 

 そういえば、と室内へ戻るや否やサイダーが冷えているか冷蔵庫の中を確認する。

 吹奏楽部に入部して今年で三年目。来年高校に行ったとして、正直、吹部続けるかなんてわからない。

 でも嫌じゃない。

 嫌じゃないから小五の時からトランペットを吹いてこれたんだって思う。

 それにバレンタインなんて浮かれた言葉、すっかり忘れてた。それだけ部活一筋のつまんない奴なのかもしれない。

 でも僕だって中三だし気になる子くらい、いる。

 テレビをながら見していると、母の好きな旅番組が始まったので十九時と知る。麦穂との待ち合わせまで一時間はある。

 僕は晩御飯に出された熱々の唐揚げを一口で頬張った。はちけた衣からは肉汁が溢れだし、冷たかった舌の温度は徐々に上がった。

 

line

今、着いたぞ。

りょーかい。今から行くー。


「おまたせー。佑星ゆうせいも双眼鏡持ってきた?」 

「ほら」

 お小遣いを溜めて買った、でっかい双眼鏡を首から引っ提げる。麦穂は僕の隣にドスンッ、と男前に座った。

「もお、こんな時間に呼び出さないでくれる?」

「ああ、ごめん」

「でも何でよ?」

 今にも消え入りそうな公園灯の灯りがパチパチッと点滅する。

「その前に、とっとと観測終わらせようよ。ん、これ貸してやる」

「いいの? じゃあ借りるよ。これ大きいからよく見えるんだよねー。ひゃー」


 自分の持ってきた小さな双眼鏡をベンチに置き、僕の渡した双眼鏡から夜空をのぞき込む。

 ひゃー綺麗、と麦穂は声を上げた。

 双眼鏡を称える数々の褒め言葉を並べる、のかと思ったらそうじゃない。貸した双眼鏡を褒めているのではなく、夜空に散らばる星屑を称えている。

 さっき偶然アンタレス見つけたんだよ、と麦穂が言う。デネブは僕が先に見つけたんだからな、と僕も意地を張る。

 結論どっちでもいいんだ。幾多の星は誰にでも平等に見えるように存在しているのだから。


「ねえ、さっきの続き。何でよ、何で私?」

 双眼鏡ではなく僕の目を見る。

 僕に何で自分を誘ったのか、と聞いてくる。

 彼女の瞳がガラス細工のように煌めいていた。

「バレンタインの日。お前さあ、家にチョコ持ってきただろ?」

「そうそう、手づくりチョコ持って行ったねー。でもそれ随分前じゃん」

 麦穂はゲラゲラと笑う。

「渡したい男子にチョコ渡そうってことになってさ、前の日に友達の家で手づくりしたんだよね」

 双眼鏡ではなく、まだ僕に視線を向ける。

「だから今日誘った。そのお返しだよ」

「それってホワイトデーのお返しってやつ?」

「まあ、そんなとこじゃね?」

「ねえ······佑星のだけ、ハートのチョコこっそり入れた。覚えてる?」

「そーだっけか? もう覚えてねーや」

 ああ、だめだ。目が泳ぐ。 

「そっかあ。あはは、だよねー。そんな前のこと覚えてるわけないかあ。でもさ、このお返しって私だけにくれたの?」

 

 がやたら強調されてるなと思った。

 喉が渇いたので持ってきたサイダーを飲もうとキャップをひねる。

 プシューッ、と炭酸が勢いよく抜ける音を待ってから口に含んだ。

 彼女はポカンと口を開けて、面白みのない無言の動作を見守った。


「麦穂も飲むか?」

「はぐらかさないで、佑星! この意味わかってんの? もおっ! それ飲むからちょうだい」

 ツンッ、と唇を尖らせ伏し目がちに視線を落とす麦穂。右手を真っ直ぐに伸ばし引き寄せるように僕からサイダーを奪った。

「このお返しは麦穂だけだから······」

「佑星のばか」

 数秒の沈黙。 

「そだ、線香花火やろうぜー」

「うそ、あんたって、そんなに気が利くやつだったっけ。でも好き、佑星」

 お前さ、ストレート過ぎるよ。

 鳴るな、鳴るな。

 僕だって麦穂のこと、ずっとずっと──


 パチパチ パチパチ パチパチ


「きれー······」

「うん、きれい」

「またこうして線香花火しようよ、佑星」

「だな」

「や・く・そ・く」


 僕の花火は、ぽとりと落ちた。

 落ちた後の焦げた匂いが鼻をつく。

 麦穂の線香花火、現在の咲き加減は牡丹といったところか。力強く飛び出している。

 今は彼女から一瞬たりとも目が離せない。後れ毛がつたう首筋と、丸みを帯びた輪郭がくっきりと僕の瞳に映り込む。

 花火ごしに、その刹那を焼き付ける。

 恋に朦朧もうろうとする意識があの星屑へと飛んでいった。



 








  





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