第4話 King's Arms(キングス・アームス)
金曜日の午後、田上は博多駅から新幹線で神戸に向かっていた。大村商会のゴルフコンペに参加する為ゴルフコース内のホテルに前泊する予定だ。神戸カントリークラブは新神戸駅からタクシーで30分、六甲山のふもとにある。取り敢えず、ホテルにチェックインしてゴルフクラブ、景品などの荷物を置いてから大学時代の同窓生、小田隆一に久しぶりに連絡を取り、一杯やろうと考えていた。
小田隆一は大学卒業後、本社が東京日本橋にある丸三商事という貿易商社に就職し、直ぐに大阪支店の配属になった。小田とは、大阪へ異動するとき東京駅で見送って以来会っていない。
部屋に荷物を降ろし、丸三商事大阪支店へ電話した。2回目の呼び出し音で「丸三商事です」と女性の声、「小田隆一さんいらっしゃいますか? 大学の時の友人で田上と申します。」「少々お待ちください」といって保留音が流れた。「お待たせいたしました。只今小田は外出しております。戻りましたら、折り返しご連絡させていただきます、ご連絡先を教えていただけますか?」と同じ女性の声。「私もこれから出かけるので又こちらから6時頃に電話します、今出張で神戸に来ていますと伝えて下さい。」といって電話を切った。(予め連絡を入れておくべきだった、三宮に出てからもう一度電話してみよう。)
ホテルからタクシーに乗り三宮に着いたのは6時少し前だった。小雨が降っていた。そういえば、タクシー運転手が今夜は荒れますよと言っていた。
阪急三宮駅前前の電話ボックスに入り丸三商事に電話を入れた。「先程電話をしました、田上と申します。小田隆一さんいらっしゃいますか?」「申し訳ございません。小田は本日は戻りません。ご伝言をお伝えしましたが、小田の方からご電話させていただきますので連絡先をお聞きするようにいわれております。」。とその時、電話ボックスの前を、黒いレースのワンピースを着た女性が、傘もささずに急ぎばやに通り過ぎた。一瞬見えた横顔は、紛れもなくあのF銀の”村田京子”だった。神戸カントリークラブ内のホテルに泊まってます、と告げるなり電話をきり、電話ボックスの外に飛び出した。「村田さん、村田京子さあーん」と叫びながら、後を追ったが、人込みに紛れて見えなくなった。何故神戸なんかにいるんだろう?、田上は思った。そういえば、髪の毛はショートカットじゃなかったなあ・・他人のそら似かあ、と思い直した。
その日小田隆一は、午後から神戸六甲アイランドコンテナーターミナルのNS通運神戸支店を訪問していた。NS通運は、丸三商事からコンテナー船神戸港揚げの全ての輸入荷物に関し、輸入代行業務全般を委託されていた。具体的には、輸入手続き、通関、バン出し(コンテナーボックスから荷物の搬出)、保管管理に加えてユーザーへの配送まで一貫して請け負っていた。小田の訪問目的は、下期の輸入計画の打合せと在庫量の棚卸の為であった。
打合せが終わり、応対にあたった営業課長の山田が「小田さん、ちょっと早いけど、これから三宮で冷たいビールでもどうですか? 今日は事務所に戻らなくていいんでしょ」と誘った。時計を見ると4時を回ったところだった。「いいですねえ、行きましょうか、のども乾いたし・・その前に何かないか事務所に電話してみます。」電話を借りて大阪支店に連絡を入れた。「はい、もしもし丸三商事です」事務職の竹中さんだ。「小田です。打合せ終わりました。これから山田さんと食事することになったので、今日は戻れません、課長に伝えといて下さい。」課長が今日居ないのはわかっていた。「了解しました。あっそれから、少し前に田上さんていう方から電話ありましたよ。大学の時の友人だと言わはりましたが・・外出中だというと、又6時ごろ電話されるそうです。」 田上から電話、珍しいこともあるもんだ、何かあるのかな・・(事務職の竹中は、田上が神戸に来ているということを放念していた)。「今度電話があったら、連絡先を聞いといてください、僕の方から直接電話します、よろしくお願いします。」と云って電話を切った。「お待たせしました、じゃあ行きましょう!」山田課長を促した。
山田課長が案内してくれた店は、三宮フラワーロードにある「キングス・アームス」という名のパブだった。入口の木製の重いドアを開けると、カウベルがカランカランとなった。中に入ると、ひげ面の初老のマスターが、「あっ、山ちゃん・・いらっしゃい!」と声をかけた。「マスター!今日はうちのお得意さん連れて来たんだ、こっちのテーブル席でいい?」と聞いた。’予約席’と書いたプレートを取り下げながら、「どうぞ、どうぞ」といって、奥のカワイのピアノの傍の一番奥の丸テーブルに案内した。小田はカウンターの方を向いて、木製の壁を背に座った。1メートル左にはピアノがある。カウンターの後の棚には、多量のバーボン、スコッチウィスキー、リキュールのボトルが所狭しと並んでいた。マスターがカウンター越しに、「山ちゃん、いつものAAのロックでいい?」と聞いた。「いや、その前に中生2つ下さい。」といった。バイトのハーフぽい女の子が、「いらっしゃいませ」といって、冷たいおしぼりと陶器の灰皿(中に、King's Armsとプリントされた紙製の二つ折りのマッチが入っている)を木のテーブルの上に置いた。そのあと直ぐに、今度は別の女の子が、生ビールと(これサービスですといって)ボイルドピーナッツを置いていった。それじゃあ、と言って乾杯した。「山田さん、常連なんですね」と云うと、「うちの会社でよく使ってるんです。最低でも月一のペースできてます。元々は、外航船のクルーの間で人気で、私も連中に連れてこられたんです。」「食い物も、結構いけるんですよ、私のお薦めを頼みますね」と言って、生ハム、レーズンバター、カニクリームコロッケを酒のアテに注文した。生ビールはキンキンに冷えていて渇いた喉を潤した。セブンスター咥え、灰皿のマッチで火をつけ上着のポケットに仕舞った。
しばらくすると、カウベルがカランとなり、6,7人の若い男女が入って来た。これで、残り二つのテーブルも埋まり、カウンター席には東南アジア系の男二人が座った。(あれは船員かな・)最初におしぼりを持ってきた女の子が、「ハロー!」と声をかけ、何やら英語で話していた。ビールの後は、AA(エンシャント・エイジという名のバーボン)のロックに切り替えた。
時計を見ると、6時半を回っていた。ちょっとトイレにと席を立ったついでに、小田は、店内のピンクの公衆電話から再度大阪支店に電話した。「小田です。お疲れ様です。ところで、田上から電話ありました?」と問うと、「はい、6時過ぎに・・何や急いではるみたいで、宿泊先は神戸カントリークラブ内のホテルとだけ言うてガチャンときらはって・・」竹中さんは不満そうに言った。(何だ・・ゴルフしに来てるのかあ)マスターに電話帳を借りて電話番号を調べそのホテルに電話した。「お電話有難うございます、神戸カントリークラブホテルフロントです。」「其方に、田上誠さんという方泊まってますか?」「オオムラゴルフのタガミ様でしたら・・、しかし只今外出されてます。」あれ!あいつの会社名’大村商会’じゃ無かったっけ?「名前は誠さんですよね?」「はい、タガミマコト様です。何かご伝言ありますか?」間違い無いようだ。「私、友人の小田と申します。田上さんに、戻ったらこちらに電話くれるよう伝えて下さい。」とキングス・アームスの電話番号をマッチを見ながら伝えた。
席に戻ると、山田が「何か問題でもあったんですか?」と聞いてきた。「いやチョッと、大学時代の友人がこっちに来てるらしいんですよ。神戸カントリークラブホテルに泊まるみたいで、今メッセージを残しました。ここに連絡するよう伝えました。」と云った。
カウベルがカランカランとなった。黒いレースのワンピースを着た女性が、ビニール傘をたたみながら入って来た。激しい雨の音が聞こえた。「やあ・・キョウコちゃん、ご苦労さん!」マスターがおしぼりを渡しながら、その女性に声をかけた。「有難う! もう、どしゃ降りやわあ」とおしぼりを手に取った。
山田が小田のグラスに氷を足しながら、「彼女ピアノ弾きなんですよ、中々の美人でしょ。」といつた。目を向けるとこちらに背をむけて、濡れた腕を拭きながら、マスターと話ていた。顔は見えなかったが、セミロングの黒髪と色白の細い足が印象的だ。
しばらくすると、室内のライトが落ち、スモールライトが点灯した。「いつも7時過ぎると室内のライトが落ち、ナイトムードになるんです。山田がいった。「今夜は、そろそろ、ピアノの生演奏が始まりますよ・・」「週末はいつも生演奏があるんです。」
先程のセミロングの女性が我々のテーブルの横を通って、ピアノに向かって座った。何か懐かしい甘いコロンの香りがした。
田上は、阪急高架下の”みんみん”という名の中華料理店にはいり餃子と焼きそばと大瓶のキリンビールを注文した。先程のタクシー運転手のお薦めだ。餃子は、福岡の鉄鍋餃子のように小ぶりであるが、一皿に10個のって260円と安い。焼きそばも塩味でうまい。ビールも入れて、お勘定はちょうど千円だった。
外に出ると、雨が激しくなっていた。流しのタクシーを止め、神戸カントリークラブと告げると、2台に乗車拒否され、3台目は乗り込んでから、目的地を告げた。「あっこは戻りがないからねえ・・、割増しにして貰えます?」確かにこの時間じゃあそうだなあと思い「いいですよ」と了解した。
ホテルに戻ると、フロントのスタッフの男が「田上様、メッセージが御座います。」と声を掛けてきた。「小田様というお友達の方から、7時少し前に電話が御座いまして、こちらに連絡いただきたいとのことでした。」といって、メモを差しだした。田上は受け取ったメモを見ながら、「このキングスアームスってどういうところですか?」とそのスタッフに尋ねた。「三宮のフラワー通りにある人気のピアノバーです。」(えー、今まで三宮に居たのに・・)又しても事前に連絡しなかったことを後悔した。部屋に戻るとベッドサイドのランプをつけ、ハイライトに火をつけた。窓のカーテンを開けると、土砂降りの雨だ。遠くに稲光が見え、雷がゴロゴロなっている。(明日のゴルフコンペ出来るんだろうか?)
タバコを消し、メモにある番号にダイアルした。呼び出し音3回目で、「はい、キングスアームスです。」と女性の声、ピアノの音が同時に聴こえた。「其方に、お客さんで小田隆一という人が来てるはずなんですが、呼んで貰えます?」「小田さんですか?少々お待ち下さい」といって、受話器がゴトンとテーブルの上に置かれる音がした。小さくピアノの音が聴こえている。窓の外では、雷が近づいてきている。
キングス・アームスでは、毎週末金曜、土曜の夜に地元のミュージシャンがボランティアで生演奏する。ジャズ系の音楽が多いらしい。山田の話によると、今演奏している彼女は、神戸音大ピアノ科卒で、現在音楽教室で働いている。大学時代この店でアルバイトしていた関係で、今でも、月に一度演奏しているらしい。演奏は、ジャズのスタンダード”Misty”に変わった。(良い曲だ!)小田は、タバコに火を付け、グラスを口に運び飲み干した。
その時、入口横のピンク電話がリリーン、リリーンとなった。すかさず、店の女の子が電話に出た。受話口を手で塞いで、「マスター、小田さんいう人来てます?」「山ちゃんと一緒にいる人やないかな・・」といって、マスターが山田の方に合図した。その店の女の子がテーブルに来て、「小田さんですか? 電話です。」とピンク電話を指した。「ええ、小田です。今行きます!」と立ち上がった時、ピアノ演奏が突然止み、一瞬静寂に包まれた。
入口のカウンターテーブル上の受話器を手にとり、耳にあてた。「プープープー」という音だけ鳴っていた。「ねえ、これ切れてるよ」と云うと、「名前は言われませんでしたけど、男の方でした。」と女の子。(田上に違いない、どうしたんだろう?そんなに、待たせた訳じゃ無いのに・・)その後、神戸カントリーのホテルに何度かダイヤルしたが通じなかった。何となく、ピアノの方を振り向くと、ピアノ弾きの女性がジッとこちらを見ていた。目元まで下ろした髪、赤いルージュの彼女が少し微笑んだ様に見えた。胸がドキドキした。
何処からか「ずっと一緒にいるよ!!」と、囁きが聴こえた。
水羊羹 小方 樫 @tkg0310
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。水羊羹の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます