第3話 みずようかん

 田上誠はR大経済学部を3年前に卒業、大手総合スポーツ用品メーカーの大村商会に入社した。大学時代ゴルフ部に所属していた関係で、本社企画部でゴルフウエア、ゴルフシューズの新商品開発を担当していた。業務内容は、販売代理店及びゴルフショップを訪問し市場動向及び消費者ニーズの調査が主体で、その一環として自社主催のゴルフコンペのプロデュース、取引先との接待ゴルフなどがあった。

仕事にも慣れてきて、自分自身で発案し企画に持ち込むこともあったが、土日の接待ゴルフでは休み返上で客の送り迎え、コースではキャディー補佐みたいなことを上司に強要され、もう心からウンザリしていた。(大学時代はプレー前日眠れない程楽しみにしてたのに・・)

 大村商会本社は山手線五反田にある。通常本社へ出社するのは毎週月曜、金曜の2日だけで火、水、木は自宅から直行直帰の客先周りか土日出勤の代休となる。3月下旬の月曜日に出社すると企画部長から、次の水曜日は役員会の報告があるので出社するよう指示された。

指示通り出社すると、部長から、第2会議室に来るようにいわれた。部屋に入ると先に上司の浜本企画室担当課長が来ていた。田上もその隣に座った。

「俺たちどうも転勤らしい」浜本が小声で云った。「ゴルフ関連の企画担当が2人同時に転勤なんてあるんですか?」と田上が囁くと同時に、部長の原が入って来た。

「やあ、ご苦労さんです」と言って、2人の向かいに座った。

「お疲れ様です」2人の声が揃った。原部長は年齢48歳で末席の取締役ではあるが、現社長の長男で将来の社長が約束されている。

「これからの話は来月9日付けでプレスリリースされるので、それまではマル秘扱いだが、」と前置きして、「5月1日付で福岡市の小売店4社を同時買収して販売店オオムラゴルフを新設することが昨日の役員会で決定、承認されました。」「君たち2人にはその運営をお願いしたい。辞令は4月1日付で発令します。現地での住居、その他諸々については、全て管理部と相談してください。以上です。」と言って席を立ち出て行った。2人とも唐突で一方的な内示に唖然として、しばらく立ち上がれなかった。


 福岡に来て3ヶ月が過ぎた。新会社オオムラゴルフは天神の新天町に店を構え、6月1日にオープンした。1階フロアーはゴルフ用品及びウエアーなどの関連商品のショップそして2階が事務所で、浜本が店長、田上が副店長その下に吸収合併した4小売店の従業員を販売員として採用した。浜本が販売を、田上は経理を管轄した。

 ある日、田上は天神のメイン通りにあるF銀行に向かっていた。法人口座の開設手続きのためだ。本来大村商会のメインバンクはミツワ銀行であったが、地元の取引先の多くがF銀行に口座を持っており商売上何かと便利であろうと考えたのだ。銀行に入って社名をつげると、すぐに2階の応接室に案内された。予めアポイントをとっていたので待つことは無かった。ソファーに座ると直ぐに紺色のスーツを着た女性行員がお茶とお茶受けをお盆に乗せて入ってきた。「いらっしゃいませ」と一礼して、お茶と茶菓子をテーブルに置いた。「ただ今支店長代理の石崎が参りますので少々お待ち下さい。」といって、又一礼して出て行った。お茶を出すとき、胸のネームプレートに”村田”の文字がチラッと見えた。なかなかの美人だ・・黒目がちのつぶらな瞳、ショートヘアーで清楚な感じだ。これからこの銀行に来る楽しみが出来たと田上は思った。しばらくすると、バーコード頭の中年男が、先程の女性行員を伴って入って来て田上の正面に座った。

「初めまして、支店長代理の石崎です。法人顧客の担当をしています。」といって名刺を差し出した。「この度は当行をご利用いただき有難う御座います。これからは誠心誠意オオムラゴルフ様のお手伝いさせていただきます。よろしくお願い致します。」それから、女性行員に座るよう促した。女性行員は「失礼します」といって支店長代理の隣、田上の斜向かいに座った。「こちらは御社を担当させて頂きます村田と申します。口座開設の詳細その他何でもご相談下さい。」と石崎は云った。(やはりすごい美人だ、年は自分より少し上か・・)「顧客係の村田です。よろしくお願いします。」といって一礼した。その後、F銀行の概要、口座開設の手続きなど詳細に説明を受けた。面談が終わり、立ち上がろうとすると、石崎が「是非お茶とお茶請けを召上ってください。八女の上撰茶と福岡老舗の和菓子店鈴懸の水羊羹です。」と薦めた。「すみません、では頂きます」と座り直した。お茶は冷めていたのでそれなりの味であったが、水羊羹はほんのりと甘く、美味しかった。帰り際に、「実は、和菓子店鈴懸は、この村田の実家なんです」と教えてくれた。

 その後、田上がF銀行女子行員の村田と顔を合わせたのは、口座開設の申請書を銀行に持ち込んだ時一回だけで、それも提出した書類を受け取ると直ぐに支店長代理の石崎と交代した。電話では何度も話したが、全て事務的な会話であった。ある時の電話で「この間石崎支店長代理から聞いたんですが、鈴懸って村田さんの実家なんですって? あの水羊羹美味しかったんで、今度買いにいこうかな・・」と云ってみた。「えっ! 石崎はおしゃべりですねえ・・でも気に入って戴いたなら、是非いらして下さい。」と言ってくれた。「村田さん、銀行休みの時は店手伝うことあるの?」と聞くと「日曜日は、パートの人が休みなので、用の無いときは店に出てます。」と云った。

 

 オームラゴルフは、オープン以来順調に売り上げを伸ばしていた。1階フロアーの販売員は、シフト制で完全週休2日の休みをとっていたが、2階事務所の管理部門はこの1か月休み返上で働いていた。浜本も独身で、店長という責任感もあってか休みが取れないことに特に不満はなかった。しかし、田上の方は出来れば早い内に日曜日に休みをとり、鈴懸に行ってF銀の村田に会いたいと思っていたが、自分だけ休みをくれとは、なかなか言い出せないでいた。

 そんな時、浜本が田上のデスクにきて、ちょっと相談なんだけどと前置きしてから「先程本社の原部長から電話があったんだ、来週の土曜日社内のゴルフコンペを神戸カントリークラブで開催するんで、当店を代表して1名参加するよう言われたんだけど・・、オレは客先と約束があるんで、田上、お前代わりに行ってくれない?」といった。神戸カントリークラブは昨年オープンしたばかりで、大村商会が法人会員権を買う見返りにクラブハウス内に大村商会直営のゴルフショップを開店したと聞いていた。プロトーナメントもできる評判のコースと聞いて、田上は前々から一度プレーしたいと思っていた。「承知しました!」即座に返事した。「やあー助かった、ありがとう! あ、それから、オームラゴルフ賞として、何か景品も用意するよう言ってた、費用はすべて企画部が持つらしい。」と付け加えた。

早速、企画部に電話し、景品の予算を確認したところ、一つ3千円程度の物を5つ提供して欲しい、又、内容は任せるが’福岡らしい物を’との条件が付いた。頭に鈴懸の水羊羹が浮かんだ。


 次の日曜日、店長の浜本に理って、田上は昼過ぎに鈴懸に向かった。鈴懸は上川端商店街の一角に店を構えていた。風格のある木造建築の店舗だ。中に入ると、着物姿の上品な中年女性が「いらっしゃいませ!」といって奥から出てきた。

彼女の母親かなと考えながら、「F銀行の石崎さんに紹介されて来ました。水羊羹が評判との事で一箱3千円位のセットを5つ欲しいんですが・・」「それは有難う御座います、F銀さんにはいつもご贔屓にしていただいてます。」「それから、ゴルフコンペの景品にするんで、それぞれ’のし’を付けて、’オオムラゴルフ賞’と入れて欲しいんですが・・」といって名刺を渡した。「かしこまりました。只今ご用意いたしますので其方で少々お待ちください。」といって、奥に消えた。

しばらくすると、奥からお盆にお茶をもって出てきた。「お待ちの間いかがですか?」と云いながらお茶を差し出した。「どうもすみません」とお茶を受け取りながら、「ところで、こちらのお嬢さんもF銀にお勤めですよね。実は、お嬢さんには、うちの会社を担当して頂いてます。」「今日はいらっしゃらないんですか?」と尋ねた。

「あら、そうでしたか・・京子さんのことご存じでしたかあ」(名前、京子っていうんだあ)やや怪訝そうな顔で「残念ながら、京子さん、今朝早くから何かお友達と会うとかで出かけまして、帰りは遅くなるとのことでした。」と応えた。(久しぶりに、顔見れると思ったのに、残念!)それから、あの女性、村田京子の実の母親じゃあないなと田上は直感した。

 翌月曜日、朝一でF銀へ電話を入れたが、村田京子は休暇をとっていた。

翌々日の火曜日にも午前中に二度電話を入れたが、「只今接客中です。折り返しご連絡させていただきます。」とのことだった。(何だか避けられてるのかもしれない)午後になって、支店長代理の石崎が電話してきた。「村田の方に何度もお電話頂いたようで、申し訳ありません、何かございましたか?」といった。「特に、これといったことはないんですが、先日の日曜日に鈴懸で、ご紹介いただいた水羊羹を買ったので、そのことを伝えたかっただけです。」と云った。「あっ、そういうことでしたかあ・・承知しました、伝えておきます。では、失礼します。」と愛想なしに電話を切った。何故か胸騒ぎがした。



 


 









 

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