第2話 フェニックス・バード

 池袋の下宿を払い新幹線で大阪に向かっていた。2週間のオリエンテーリングを終え、大阪支店経理課勤務の辞令を受けた。勤務地は福岡支店を希望していたが、本社人事部長によると福岡支店は今新入社員の受入要望がないとのことで、「要望のある部署の中で比較的福岡に近い大阪支店に配置しました。将来福岡勤務もあるだろうから頑張ってください」と説明された。(何と理不尽な説明!! 大阪と福岡はそんなに近くないですよと返そうと思ったが、その言葉を飲み込んだ。)東京駅には田上誠が見送りに来てくれた。(人の運命とは不思議なものだ・・入りたがっていた田上が落ち、付き合いで応募した私が採用された。しかし田上は最終面接で落ちたあの大村商会の二次募集で採用されたとのこと、ゴルフハンデシングルのK大の奴が入社を辞退したらしい。)


 大阪支店に赴任して5年が経った。当初経理課に配属されたが、1年後に営業に出され、今は化学品課で製紙会社向けにパルプ、古紙、顔料、その他製紙薬品全般の輸入販売の事務処理等の業務に就いている。大阪支店はDKBビルの5階ワンフロアを賃借しており、大阪駅から四ツ橋筋沿いに徒歩10分のところ堂島地区にある。従業員は支店長以下50名、化学品課は課長以下9名の人用であった。支店の裏側は有名な歓楽街「北新地」があり仕事帰りは大阪駅まで徒歩10分ではとても辿り着かなかった。


 6月のある日1泊2日の出張で和歌山から夕方事務所に戻ると、2年後輩で食品課の亀村が帰りがけに私に声をかけた。「出張お疲れ様でーす。先程フェニックス・バードのマスターから電話があって、今日明日の二日間オープン10周年記念のパーティーをやるので小田さんにも来て欲しいって連絡ありましたよ。バーボンは1000円で飲み放題ですって、僕はこれから行ってきまーす。」といって事務所を出て行った。昨夜は上司の高山課長に同行し新規商売の成約のお礼目的で客先を接待、夜中まで飲んでいた為やや疲れていた。飲み放題と聞いて、少し後ろ髪をひかれたが、やはり独身寮へ直帰することにした。

独身寮は阪急梅田駅(大阪駅のすぐ隣、もともとこの地区は梅田と呼ばれていたらしい)から宝塚線に乗り、準急で20分の豊中駅にあった。徒歩5分のグランドハイツというマンションの2階の3DK2室に支店の先輩2人、食品部の亀村と私の計4名が入居していた。寮母さんは通いで、支店総務課の嘱託、食事、洗濯、掃除の面倒を見てくれていた。


 フェニックス・バードはカントリーウエスタンのBARで所謂曽根崎新地にある。曽根崎新地中心部には近松門左衛門の戯曲『曽根崎心中』の舞台で有名な『お初天神』があり、その境内を抜けたすぐのビルの3階に店を構えていた。木製の重いドアを開けるとカランカランとカウベルが鳴り、10坪程の長方形のスペースの右側にカウンター席10席、奥に2坪程のステージ、カウンターの後輩部は木の壁でコート掛け用のフックが設置されている。毎週金曜日にはその狭いステージに生バンドが入る。カウンターの中にはテンガロンハットを被ったマスターが一人で客を応対する。酒はビール、バーボンとカクテルのみ、つまみは馬肉の干し肉、ピスタチオ、チーズ盛り合わせ、チリビーンズとかなりマニアックだ。マスターは元々堂島のサントリーでワイン、カクテルの先生をしていたらしい。しかし、何よりも居心地がいい。

支店からは北新地を抜け御堂筋を渡った当り、徒歩20分とちょっと遠いが、行くときは北新地でまず一杯やって2件目か3件目なのでそんなに気にならなかった。


 翌朝寮のキッチンに行くと亀村がテーブルでテレビのニュースを見ながらコーヒーを飲んでいた。「おはよう!」声を掛けると、明らかに二日酔いの顔で「おはよう御座います」だるそうに返事した。テーブルの上のポットからコーヒーをマグカップに注ぎながら「昨晩はどうだった? 盛況だった?」と問うと「いやー最悪でした、客は自分以外はイッちゃんと常連が2、3人それと初顔の男が1人で、後からその男の連れらしい女が来ただけで、10時過ぎには皆んな帰ってしまい最終イッちゃんと2人だけで12時まで飲んでました。」 イッちゃんとはマスターの奥さんで、マスターが休みの時カウンターに入りフォローしている。「おかげでイッちゃんに散々飲まされました、今も頭がガンガンしてます。」どうりで朝食のサンドイッチは手付かずに残っている。「そう言えば、小田ちゃんどうしてる、近頃顔みないけどってマスター言ってましたよ。客が少ないんで暇そうにしてましたよ。」「今夜は週末でバンドも入るから賑やかになるんじゃないですか、顔を出してあげるとマスター喜びますよ。」と云って自室に戻っていった。

それから私は、朝食のサンドイッチを食べ、コーヒーをもう一杯飲んで豊中駅に向かった。いつもの準急にギリギリ間に合った。前から3両目の左側ドアの傍に陣取った。亀村も乗ってるかなと周りを見回したがわからなかった。車内はいつもギュウギュウ詰で揺れるとドアの窓に身体が押し付けられる。電車は豊中を出ると途中十三に停車するだけで次は終点の梅田(大阪)だ。十三駅は反対側のドアが開くので煩わしさは無い。

支店には始業5分前に出社した。化学品課には事務職の女性2人だけ席についており男性社員は課長も含め全員席にいない。「皆さんは打合せか何かですか?」と問うと「いいえ、全員もう出かけました、今日は皆さん直帰するとのことで事務所には戻りません」と他人行儀にいって鳴っている電話をとった。一人取り残され淋しい気もしたが、今日一日は上司の目を気にすることもなく自分のペースで仕事ができると気をとり直した。そして今夜は久しぶりに、亀村を誘って、フェニックス・バードに顔を出そう。大阪に来た当初は最低週2回は行ってたけど、最近はある理由で行けなかった。

終日、報告書の作成と伝票処理で社内で過ごした。不思議と電話も少なく、女性事務員の応対のみで事足りた。定時の5時を過ぎたので帰り支度で食品課に立ち寄り「亀村君いつ戻るの?」と問うと、「本日は風邪でお休みです」と応えた。あいつ二日酔いで休んでたのかあ・・、そろそろ復活してるころだろうから電話して呼び出そう。食品課の電話を借り独身寮を何度も呼び出したが、応答はなかった。仕方ない、一人で行くことにした。

 支店を出て腕時計を見ると5時25分を指していた。フェニックスのオープン7時までまだ時間があるので、いつも通りどこかでまず一杯やって、と考え北新地の方向に足を向けた。どこに行こうかと店を物色しているうちに結局曽根崎新地まで来てしまった。

お初天神の境内は、古くから不謹慎にも、拝殿を数件の飲み屋が囲んでいる。その中で最も古いおでん屋は、喜劇俳優の森繁久弥さんのお気に入りの店ということで有名だ。おでんの価格の常識をはるかに超えていると聞いているので、私は別のもっとマイナーな境内のおでん屋で時間待ちすることにした。店に入ると、藍色の手ぬぐいを頭に巻いた初老の大将が「お飲み物は何にします?」とおしぼりを手渡しながらいった。「とりあえず生ビールください、それと牛すじ、たまご、こんにゃくと大根」と貰ったおしぼりで手を拭くながら頼んだ。「はい、お待ち!」私は、中ジョッキを右手で受け取り、口へ運んだ。その瞬間私の意識がシャットダウンした。

気が付くと、お初天神を背中に朦朧として立っていた。時計を見ると8時半を回っていた。早くフェニックスに行かないと思い気が急いたが、以前同様、何度境内の周りを探し廻ってもフェニックスの或るビルを見つけ出せない。

実はあの時からずっとこうだったんだ。


「マスター、わざとご無沙汰してるんじゃないんだ、行きたいけど行けないんだよお!!」

涙が出て止まらなかった。若いカップルが怪訝そうに私を見、急ぎ足で去っていった。

 

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