水羊羹

小方 樫

第1話 運命のいたずら

 

 東京にある大学を卒業し、日本橋にある中堅商社に就職した。本社は東京日本橋で大阪、名古屋、福岡に支店、国内数か所に営業所そして香港、台湾、タイにも事務所を展開していた。原材料の輸入販売を生業としていた。

 

 大学4年生の夏、大学の友人達は皆、就職活動に明け暮れていた。一方私はといえば、何ら働く意欲は無く、卒業後は実家のある福岡に帰省し、それから何をやるか考えればいいかと押っ取り刀でいた。実家は、小さな酒屋をやっており、父、母と2つ下の妹3人でほそぼそと営んでいた。卒業したら郷里に帰ろうとは思っていたが、酒屋を継ごうとは思わなかった。最近届いた実家の母親からの手紙にも、オイルショック後の不況で商売は低迷、このままでは、近く店を閉めなければならないかも・・といったようなことが書いてあった。企業の新卒採用も本年度は募集人員を減らしたり、採用見送りなどの方針が出ており芳しくない状況であった。

 そのような状況下にも拘わらず、夏の終わりには、幸運にも友人達の大半は内定を貰っていた。然しながら、ただ一人未だ決まっていなかった同じゼミでゴルフ部の田上誠が、ある日私の下宿をたずねて来た。 

「お前はいいよなあ、実家の酒屋継ぐんだろう? 俺なんか、先週、最後の頼みの大村商会、最終面接で落ちたよ、泣きたいよお・・」 「最終に残った9名の中に、もう一人K大のゴルフ部の奴がいて、そいつのハンディキャップがシングルで、オレが20、適わないよ。結局オレ以外の8名が合格したんだ。」とため息をついた。「それで、これから就職部へ行ってどこか募集残ってないか相談してこようと思ってるんだ。」田上は煙草くわえながら云った。大村商会は当時スポーツ用品の総合メーカーで東証一部上場の優良企業だった。プロゴルフの公式スポンサーをやったり、新進の女優を起用して、学生スキーを題材にした大ヒット映画に衣装提供したりとブームになっていた。「そりゃあ、適わないよな。でも未だ就職部に行ったら何所か募集してるところきっとあるよ」と気休めを云った。

 私の下宿は、池袋駅と大学との間、駅よりにあり木造モルタル二階建てで、部屋は二階の角部屋、6畳一間半畳の台所付き、家賃は月額1万2千円だった。トイレは共同で、フロは銭湯を利用していた。「小田、どうせ暇だろ、就職部へ一緒に付き合えよ?」田上は誘った。いずれにせよ昼飯を学食で食べようと思っていた私は、「いいよ、就職部はどっちでもいいけど、昼飯食いたいから付き合うよ」と応じた。

ボタンダウンの半袖シャツ、バミューダーパンツにサンダルを突っかけ、田上と一緒に大学へ向かった。9月半ばというのに、外は夏真っ盛りといた感じでムシムシして暑かった。

「お前、その恰好、就職部に行くには、ちょっと不謹慎じゃない?」田上が云った。よく見ると田上は紺色の無地のジャケット、白無地のポロシャツ、ベージュの綿パンに茶のローファーを履いている。「そうかなあ・・でも俺関係ないから別に気にしないよ、それに学食に直行するつもりだから・・」田上はやや不満げだった。道すがら田上に貰ったハイライトを吸いながら「俺卒業後九州には帰るつもりだけど、酒屋をやるつもりはないんだ、親父はまだまだ元気だけど商売の方は良くないらしい」「俺の食い扶持なんて無いんだ、向こうで何か探すよ」けむりが目に沁みた。

 大学のキャンパスは通りを挟んで二手に分かれている。就職部は右手2号館1階ロビーに、学食は左手正門を入り突き当たりに第一食堂、2号館地下1階に第二食堂がある。私は正門の前で田上と分かれ第一食堂に向かった。夏休み期間とあってキャンパス内は人影も疎らだった。食堂の前まで来ると観音開きの木製ドアは閉まっており『本日臨時休業、第二は開いてます』と貼り紙がある、仕方なく第二食堂の方へとって返した。

2号館のロビーに入ると、田上が就職部のドアを開け入るとこだった。先に掲示板をチェックしたんだろう。「おい田上、良いとこあった?」声をかけた。「一件良さそうなところがあったんで、これから詳しく聞いてみる、お前こそもう飯くったのか?」「いや、第一休んでたんだ、第二で食べるよ」と人差し指を下に向けて云った。「じゃあ終わったらそっちに行くよ」といって就職部に入っていった。

 食堂は昼過ぎだったせいかガラガラに空いていたいた。お気に入りのカツ丼とみそ汁を注文し十人掛けの長テーブルに一人座った。しばらくすると田上が来て私の左隣に座った。席に着くなり、手に持っていたA4サイズのコピーをテーブルの上に出し、「ここが良いと思うんだけけど・・どう? 東京に本社のある中堅商社で、福岡にも支店がある、お前も一緒に面接に行こうよ」といってもう一枚のコピーを私に押し付けた。「まあ何事も経験かあ、どうせやることもないし応募してみるか」と云うと、田上は私の方に向けて親指を立て、「よし決まり!」と笑った。


 

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