21度目の正直
ふうか
21度目の正直
手を繋ぐ。腕を組む。ハグをする。キスをする。
恋人らしいスキンシップを私は何一つ経験していない。
生憎好きでない人とならした事があるけれど。
「じゃ、じゃあ、いくね」
「うん」
公園のベンチに腰掛け、隣にいる彼の手を握ろうとする。
触れ合うまで残り数センチ。あと少し、あと少しだ。
そう思うと、急激に指先が震えてきた。
駄目だ。前に進まない。
身体が言う事を聞かず、金縛りでもあったかのように固まって動かなくなる。
「……ストップ!」
彼が両手を構え、制止する。
もう触れなくていい。その許しに安堵したのか一気に脱力し、だらんと肩を落とす。
いや、何をほっとしているのだ。一瞬でもよぎった思考に愕然とする。
「ご、ごめん……」
後ろめたさから目を合わせられずにいると、彼は笑い飛ばした。
「何で?止めたのオレじゃん」
「だ、だって……私が限界だって思ったから、止めてくれたんでしょ」
これで20回目だ。幾度となくこの弱々しい姿を晒してきた。本当に情けなくて、穴があったら入りたい。
「オレは南那に無理してほしくないからさ。ホントだったら、別にこんな特訓みたいな事しなくていいんだよ。こうして側にいて、話せるだけで十分ハッピーなんだからさ」
「浩人……」
白い歯を見せ、無邪気な笑顔を向ける。
私の彼氏は本当に優しい。思春期真っ盛りの高校生男子なのに、男性に触れられない――男性恐怖症の私を気遣って一つも触れてこないのだから。
私が男性恐怖症になったのは、高校2年の春。
春になると変な人が増えると聞くが、まさにその通りだと痛感した日がある。
浩人と両想いになり、晴れて恋人になった帰り。
弾んだ気持ちで、いつも通りイヤホンで音楽を聴きながら歩いていたら、突如後ろから何者かに抱き着かれた。
身体中を服の上から隈なく弄られ、唇まで奪われ、屈辱を味わった。
危機感がなかったと指摘されれば、そうだとしか言いようがない。とは言え、どうしてただ帰宅していた私がこんな目に遭わなければならないのだとショックでいっぱいだった。
以来私は男性に触れられる事を拒むようになった。
せっかくできた恋人とももうおしまいだと思った。申し訳ないけれど、別れるしかないと思った。
しかし彼は、ただ側にいられればそれでいいと言って、面倒な私を振る事なく、交際を続けてくれた。
あと一日早かったら何か変わっていたかもしれない。あの日手くらい繋げば良かった。そんなたらればを繰り返し考え、虚しい思いをしていた。後悔先に立たずである。
でも彼の方がずっと後悔していた。どうしてあの日一緒に下校しなかったのだろうと。私を守れなかった事を心の底から悔やんでいた。
だからこそ家が反対方向にあるにも関わらず、毎日送り迎えしてくれる。勿論一定の距離は保った上で、季節が秋になった今でもだ。
ナーバスになっている私をリラックスさせようとたわいもない話で笑わせてくれた。
「でさ、その時あいつがさ……どした?」
下校中の住宅街。浩人の顔を凝視していたら、違和感を覚えたのか不思議そうに尋ねられた。
「いや……なんか勿体ないなって」
「え?話、物足りなかった?」
「違う違う!私には、浩人は勿体なさすぎるなって。優しいし、面白いし、カッコ良いし」
「いや~照れますな~。それこそ勿体ないお言葉です」
後頭部を擦りながら、口元を緩める。
「何で急にデレたの?」
ニコニコしながら尋ねる浩人。自然と歩みが止まる。
「……申し訳なくてさ。何もしてあげられないのが」
年頃の男子が女子にどんな事を求めるかくらい分かる。教室でも男子が下ネタで盛り上がっているのを見ているし。
「しょっちゅう触れる練習にも付き合ってもらってるけど、もう何回やっても駄目だった。毎回失敗。いい加減にしろって自分でも思うよ」
「オレはそんな事一度も……」
「思ってないのは分かってる!でも、私が許せないの……。普通の恋人らしくできない事が、悔しいの……」
堰を切ったように弱音が溢れ出した。
「この先いくらやっても、変われない気がする。私といたら、浩人は普通の恋愛を経験できない。このまま私といてもいい事ないよ」
気まずい沈黙が流れる。恐る恐る顔を上げると、浩人はきょとんとしていた。
「あ……終わった?」
「……え?」
思いがけない反応に言葉を失う。シリアスな空気だと感じていたのは、私だけだったのか。
浩人がにっと口角を上げ、問いかける。
「そもそもさ……普通って何?って感じじゃない?」
真っ直ぐな瞳を向けられ、瞬きするのも忘れる。
「恋人って、付き合うって、恋愛って……そんなに決まりきった事なくない?自分達が納得できてるなら、何でもありじゃない?」
立て続けに疑問を投げかけられ、目から鱗が落ちた。
私は何を悩んでいたのだろう。
当たり前は人それぞれだ。誰に何と言われようと、二人の、二人だけの、唯一無二の恋愛の形を築けばいいではないか。
何を欲張りになっていたのだろう。とっくに十分幸せだったのに。『普通』という理想に囚われ、彼に押し付けていたのは私ではないか。
「敵わないなあ」
負けを認めるしかない。別に勝負なんてしていないけれど。
固くなっていた心が解け、笑みが零れた。
胸にたまっていたもやもやがすーっと楽になって、軽やかになるような感覚が訪れた。
その時、冷たい風が横切った。
「うっ……寒っ……!早く帰ろ?」
外国のアニメみたいにぶるぶると身体を震わせる彼を見て、笑いながら頷く。
私が温めてあげる……なんて恥ずかしいセリフは言えないし、実行もできないけれど、私達はこれでいいのだ。
ここにいていいよ。そう言ってもらえた気がして、心が安らかになった。
気が付くと、視界がガラッと変わっていた。
電車の中。向かいにはスマホや本を手にした人達が並んでいる。
目線を下にやると、誰かの手を握っていた。
目線を上にやると、すぐ近くに浩人の顔があった。
右半身には温もりがある。
「……あれ?」
私は、今彼にもたれかかっている?
「あ、起きた?」
平然と聞いてくる浩人に全身が跳ね上がる。
「ご、ごごごごめん!重かったよね?」
眠っていたとはいえ、この自分が男子に身を預けていた事に驚く。
「全然。それより……手繋げたね」
手を持ち上げ、軽く振ってみせる。
手の平の感触に動揺しつつ、目を疑う。
触れられているのに、ちっとも嫌じゃない。
「あれ……平気だ……」
汗も出ないし、鳥肌も立たないし、呼吸も乱れていない。びっくりするほど落ち着いている。むしろ何だかふわふわした高揚感で包まれている。
「なら良かった。あ、降りよう」
そのまま手を引かれ、ホームに出る。
人目が気になり、一瞬手を離そうとしたけれど、今ここで離すのは惜しい。
だって、21度目の正直で、ついに繋げた手だから。
それにしても、この手は私から繋いだのだろうか。浩人が私に触れてくる訳がないし、やはり犯人は私だろう。
無意識に触れたくなるなんて私も欲深い。
恥ずかしさを覚えながら、ようやく感じられた温もりを心ゆくまで味わった。
眠ってしまった南那を横目に電車の揺れる音を聞き流していた。
すると不意に肩に重みがのしかかった。
彼女の寝顔を間近で拝む形になる。
可愛くて、無防備で、疚しい思いが湧き上がってくる。
手元を見れば、数センチ先に彼女のしなやかな指があった。
せめて、今だけでも。
白い手の平に自分の手を重ね、指を絡ませた。
初めて握る南那の手は、柔らかくて、とても小さかった。
こんな小さな手で暴漢に必死に抵抗したのだと思うと、胸が締め付けられた。
オレはちっとも優しくなんかない。聖人でも、清廉潔白でもない。
彼女が心を開くまで決して触れないという自分の中で作った掟を衝動的に破ってしまったのだから。
どうしようもなく欲にまみれた汚れた男だ。
腕に飛びついてほしい。抱きしめたい。唇を奪いたい。ゆくゆくはその先も……。
そんな秘めた願望を知ったら、化けの皮が剝がれたら、南那は恐怖心を抱くだろう。裏切られたと感じ、下手すれば、一生男性を信用できなくなるかもしれない。
欲張りでごめん。
オレにできる事は、二度と誰にも触れさせないよう悲しみから守り抜く事。
キミの前でだけカッコ良い騎士でいさせて。
21度目の正直 ふうか @kokoro2021
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