121話 初めての夫婦写真




 船を降りて、彼女が当初から希望していたテディベアのミュージアムに連れて行く。


「可愛いです……。おとぎ話の世界に入ったみたいで」


「松本さんは、もともとこういう世界が好きなんですか?」


 文芸部の数少ない創作チームでもある彼女。こういう感性があの柔らかい文章を生み出しているのか。


「はい、子どもっぽいと笑われても仕方ないですけど、赤ずきんちゃんとか、今日みたいに不思議の国のアリスとか、オズの魔法使いのドロシーとか。なんだか普段をみんな忘れて童心に帰れるというか……」


 そうか、作品以外でも別の意味があるとすれば理解できる。本を読んでいた幼い彼女。嫌なことを忘れて物語の主人公になれるのなら、あの当時の光景にも納得がいく。


「小さい頃、あまり多くは買ってもらえなかったものですから、生まれたときにお祝いで頂いたうさぎさんのぬいぐるみがずっと私のお友だちでした。今でも持っているんですよ」


「凄いですね。大切にされているんですね」


 昨年の夏、あのアパートに久しぶりに訪れた時も、机の上にはいくつかのぬいぐるみが乗っていた気がする。そんなに大切にされていたのものだったのか。


 笑顔が止まらない花菜に、いろいろなベアと一緒にたくさん写真を撮ってあげた。


「先生?」


 ふと気づいたように、花菜が俺を見上げた。


「どうかしました?」


「一緒に……、写真撮ってもらいませんか? 私のスマホでなら卒業アルバムになって残ることもありません」


「なるほど」


 二人で瞬時に周りを見回す。こんなときは制服でないことが逆に選別を難しくしてしまうが、少なくとも同じクラスや、俺の受け持ちの生徒の顔は見当たらない。


 珠実園などへのお土産は買っているのに、自分用は何も手に入れていない……。


「初めての夫婦写真です」


 全くそのとおりだ。花菜からスマホを受け取りスタッフの人にお願いすると、快く引き受けてくれた。


「お二人とも笑顔で!」


「いつものあの顔してみろ」


「え、ここでですか?」


 そんな会話が瞬時に行われて、シャッター音が何回か聞こえた。


「お二人とも、これで大丈夫ですか?」


「はい、ありがとうございました!」


 画像を見て満足そうに答えた花菜。スマホを受け渡した時に何か言葉をかけられていたけれど、恐らくスタッフさんもあの顔になった花菜の表情変化には驚いたのだろう。


「先に進めていいですか?」


「はい」


 他にも同じようにお願いをしているゲストが多いから長居は無用だと、再び車椅子のハンドルに力を入れて屋外に出た。


「ありがとうございます。あんな危ない行動をしてしまって」


 いつも冷静かつ客観的に計算する彼女の頭の中では、最初から危険な賭けだと理解できていたはずだ。そのリスクを天秤に掛けても欲しかったショットということなのだから。


「夫婦が一緒に写真を撮って何が悪い? 花菜だけのお土産だろ?」


 彼女にしか聞こえないように小声で返すと、潤んだ瞳で見上げてうなずいてくれた。




「少し早いですがお昼にしましょうか」


 混雑時間に当たってしまうと、車椅子の彼女は好きな席を選べなかったり、待たされてしまう可能性もある。


「あの……、一つだけお願いがあります。このお店に連れて行ってもらえませんか?」


 園内マップを指差す松本。


「ここから少し離れていますよ? そのあと他に行きたいところはないですか?」


 確認のために聞く。


「もともとこの足です。今日は何とかしてここに行ければいいとだけ思っていました」


「そうですか。僕もご一緒してもいいですか?」


「はい。もちろんです」


 彼女にはそれ以上の希望を持っていなさそうだから、望みを叶えることにした。


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