53話 彼女をそう考えてもいいのか…
松本を先に休ませ、俺は窓際の小さな明かりだけをつけて仕事をしていた。
激しかった夕立はすっかりやんで、涼しい海風が流れ込んでいる。これならエアコンも要らない。
今日決まったことだけでも、次の部活までにまとめておかなくてはならない。いろいろと研修やら授業進捗報告やら、生徒たちは夏休みで宿題が多いと文句もあるが、教師もその間にやらなければならないことがたくさんある。
出張研修や勉強会への参加だけでなく、今回のように部活の合宿や、運動系の部活になれば大会への引率もあるだろう。
来週になれば休み中の進路相談も始まる。まだ漠然とした将来の子、もうすでに志望校を決めている子などさまざまだ。この5組は成績でも松本を筆頭に学年中位以上の者が多い。1学期にとった簡易進路調査でも進学と書いた者が多かったはずだ。
小さなノックが聞こえた。
「はい?」
「啓太くんでしょ? 起きてるの」
女将さんだった。と言っても自分の母親の妹だから、俺らの関係では
「いろいろと無茶言ってすみませんでした」
「いいえ。姉さんから聞いていたから。この子よね。姉さんの友だちの娘さんで、啓太くんがずっと見ていた女の子って」
「そうです。8歳の時から。もう9年になります。俺のわがままで、ずいぶん寂しい思いをさせてしまった」
「これは、そのお詫び?」
お願いしてあった、今日の服と家から着てきた制服、部屋着に着ていた体操着などの洗濯。どれもクリーニング店に出したように畳んでもらってある。
「ありがとうございます。学校では明るく振る舞ってますが、生活には余裕もなく疲れている。少し休ませてやりたかった。花菜のお袋さんから聞きました。毎日の事に追われて何もしてやれてないと。こんな花菜だけど幸せにしてあげて欲しい、それを頼めるのは俺しかいない……」
俺は静かな寝息を立てている彼女に視線を向けた。
「でも……、こんな俺でいいのか。花菜を追い詰めていないか。現に教師と生徒という立場で苦しめているというのに……」
「啓太くん、逆の視点でも考えてあげて? この子はあなたしか頼れないのよ。立場的なことはきっと彼女の方が分かってる。それでも同じ部屋でこんなに安心しきって素直な顔でいられるんだもの。もし本当に、『先生と生徒』って思っていたらお部屋だって1つにしなかったでしょうし、ここまで無防備に寝顔なんか見せることはできないわよ。大丈夫、順番さえ間違えなければ、今は大変でもいつかみんなに納得してもらえる。花菜ちゃんだって高校2年ならもう17歳になったのかしら?」
「4月3日生まれですから。2年生の中で一番早く17歳になったと思います。でも、本人はあまり気に入っていないようなのですけどね」
「さすが、ちゃんと誕生日覚えてるのね。もう当時の高校生と小学生じゃない。啓太くんはれっきとした社会人だし、花菜ちゃんだってあと1年もせずに結婚だって認められる歳なのだから。それまでに二人の気持ちをお互いに確かめ合うことが第一かな。愛を育むってとても大変だけど素敵なことだから。啓太くんの顔もすっかり変わったわよ」
おばさんは頷いて静かに部屋を出て行った。
少なくとも俺たちをそう見てくれている人はいるんだな。
あの定食屋の店主もそうだ。俺が花菜を連れて店に入った時も、驚きと同時に安堵したような顔をしていた。数年前からの荒んだ自分を知っている人たちは、「あの女の子」である花菜を連れてきたことでホッとしているように見える。
この変化に気づいてもらえたのも、引率教師としてではなく、花菜と自分を素で見てもらえたからだろう。これも二人きりで来たことで変わったことだ。
明かりを消すと、窓の外に星空が見えた。
明日の夜は花菜と二人で見よう。
そう決めて明かりを消し、海風が吹き込んでくる窓を閉めて俺も床についた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます