21.Arcana Card

宮嶋ひな

the End of the World.

 その日は、冷たい雨が降っていた。


 春も本番だというのに、この雨には冬の気配がした。


(今日はもう店じまいだな)


 繁華街から、少し離れた裏路地。酔いも冷め切らぬ無産階級者たちが、週末の夜を享受している愉快な声が響く。うなぎ屋の長く突き出した雨樋で春雨をしのいでいた、しがない占い師・ユウマは、商売の終わりを察して占い道具をしまい始めた。


 一年に一度だけ、ユウマはここで店を出す。


 それは彼の誕生日と決まっていた。両親が早くに亡くなり、祖母に育てられ、その祖母も中学に上がる際亡くなってしまったユウマにとって、自身の誕生日はひたすらに寂しいものだった。


 陰鬱な雨は、自身の境遇にぴったりで。見果てぬ未来を少しでも知りたくて、自分の不安を解消したくて始めたタロットは、ユウマの深い洞察力とぴたりと合致し、驚くべき的中率を誇っていた。


 だが、ユウマは多くの客をとらない。


 一日にひと組だけ。それがユウマの決めていたルールだった。理由は単純――見えすぎるが故に他人の人生に感情を引きずられ、疲労感がとてつもないからだ。


 今日はその21回目の日。


 何度見ても自分の人生など見えない占い。ユウマは占いをやり続ける意味を消失しかけていた。他人の人生は終わりまで見えるのに、自分の人生などちっとも分からない。


「今日は終わり?」


 きんと、よく通る澄んだ声。


 ユウマは肩まで伸ばしたずるずるの長い髪をかき上げて、その人物を見上げた。


 一番に目に飛び込んできたのは、鮮やかな、鮮やかすぎる深紅の傘。


 そして、豊かで長い、腰まで伸びたつややかな黒髪。


 肩紐の細いぴったりとしたブラックドレスには、スパンコールだろうか、スワロフスキーだろうか――宇宙のようにきらきらと星が輝いていた。


 傘にも負けない、真っ赤なルージュを潔く引いた、長い、長い睫毛の絶世の美女。


 ユウマは長くこの地に住んでいたが、ついぞこのような美しい人には出会ったことがなかった。どこにいても、どんな様相をしていても、きっと見つけることだろう。それほどまでに印象深く、夢を見ているかのように綺麗な人だった。


「あ……え、と……はい、もう……すみません」


 美女の圧倒的なオーラに気圧されたユウマは、おどおどしくそう答えた。女性は表情を変えず、小さくうなずいた。


「そうなの。でも、どうしても今すぐ占っていただきたいの」


 その口調は穏やかだったが、否定させないだけの圧はあった。


 ユウマはしまいかけた筮竹をおずおずと占い台に戻し、観念したように丸いパイプ椅子に戻った。なぜだか、この女性には否と言えない。


「わかり……ました。どうぞ、貧相な椅子ですみません……」


 女性はなんとも嬉しそうに微笑んで、粗末な丸いパイプ椅子に嫌な顔ひとつすることなく、優雅に腰掛けた。


「あ、の……それで、占って欲しい内容は……」


「わたしのことを占って」


 抽象的な回答。しかし、冷やかしのような酔っ払い客などよりは、筋の通った要求だった。


(人生をトータル的に視て欲しいってことかな……)


 彼女の意図をそう解釈したユウマは、紫色の布にくるんだ古いタロットカードをカバンの中から取りだした。


 祖母から受け取った、ユウマ家に代々伝わるタロットカードなのだそうだ。きっとそれはもうろくし始めた祖母の勘違いなのだろう、とユウマは思っている。こんな古ぼけた、すり切れるほど使い込まれたカードにそこまでの価値はないと考えていたからだ。


 なんとも不思議な光景だった。


 光源は表通りの赤提灯。真っ暗い雨が女の傘を叩いている。ざらざら、さわさわ、ユウマがタロットカードを混ぜる音が雨音に混じりながら、二人の間に降り注いだ。


「あなたは、おいくつになるの」


「今年で21……です」


「あなたは、どうして占いをしているの」


「最初は、興味本位で……でも、僕の占いは外れないって気付いたんです」


「あなたは、なぜここにいるの」


「……なぜ、って……ここで生まれて、仕事もクビになって、それで……」


 カードを混ぜる手が震える。


 矢継ぎ早の質問に、半ば反射的に答えてしまうユウマ。彼女の質問には一貫してユウマのことを尋ねたがっている雰囲気があり、その理由が明瞭でなく、ユウマは心臓が熱くなるような妙な緊張感を帯びていた。


 ぱた、ぱた、ぱた、と。占い慣れた形に、タロットカードを並べていく。


 女は静かに、ただどことなく無表情にも思えるほど表情を変えずに――ずっと微笑んだまま、ユウマの手つきを見守っていた。


 しかし。ユウマは、カードを開くたびに激しい動悸に襲われていた。


 妙な感覚。この先を見たいような、しかして決して見てはいけないような、どこかからの警告が鳴り響いているような感覚だった。


(なんだ、これ。どういうことだ)


 ユウマの目が激しくカードの上をなぞっていく。


 78枚のカードはたったひとつの答えを導き出していた。それは読み取り手側のユウマにもはっきりと分かった。しかし、このような解釈、このような回答をすることが果たして正しいのか。理性が答えを疑う。


 けれど――ユウマの占い師としての目は、それを決定づけていた。


「これ、って……まるで、僕のことみたいだ……」


 過去、現在、そして未来。


 それら全てが、ユウマ自身のことを指しているかのように、ぴったりと当てはまった。


 ただ、“未来が指し示すもの”――これだけは何のメッセージも伝わってこない。けれども、強烈にそこに存在している。


 21番目の大アルカナカード――『世界』。


 完全なるもの。調和と成就を示し、完璧であること、永劫不滅であることを記している。


「こんな……おかしいな……見えてこない。すみません、もう一度占いなおして……」


「人生に“もう一度”なんてない」


 女性は、カードの並びを崩しかけたユウマにそっと手を重ね、その動きを止めた。


 21年間、一度も女性に触れられた記憶のないユウマにとって、それは塔に落ちる落雷のように衝撃的なことだった。


 だが、初めての女性の手は氷のように冷たく、現実味がなかった。ユウマの顔に、脇に、どっと汗が噴き出す。


「あなたは外していないわ」


 女性はさらに、ユウマの手を握りしめた。身を乗り出してきた女性に押されて、ユウマは後ずさる。バラバラ、と占い台の上のカードが地面に落ちていった。


「わたしがあなたであり、あなたはわたしなんだもの」


「い、みが、わからない……」


 緊張が喉に張り付いて、うまく言葉にならない。女性はいよいよユウマの目の前に迫り、唇と唇が今にも触れそうな距離であった。


「わたしはあなたを探していた。わたしはどうしても、あなたの21回目のお客さんになりたかったの。間に合って良かったわ」


 占い台のカードは、すっかり地面に落ちて雨に濡れ、ふやけていった。


 ただひとつ――1枚だけを除いて。


「わたしは不完全なるもの。陰と陽の、陰。男と女の、女。欠けた月、満たされないもの、双子の片割れ――――世界の、かけら」


 女とユウマの重なった手の下に置いてある、『世界』のカードが光り出す。


 光の粒だと思っていたのは、世界中の言語、失われた英知、人々の歴史そのものが、形を成し、光を放ち、飛び出していったものだった。


 世界中の国々の人々の顔が、まるで走馬灯のように駆け回る。


「僕は――そうか……――」


 ユウマは思い出す。自分が何者であったのかを。


 そして、悟る。目の前の女が、何であったのかを。


 ユウマと女の境界線がなくなっていく。光と共に二人は一つに溶け合っていき、形を溶かし、存在を世界へと昇華させていく。


「【世界】――――」


 その声は、男女どちらのものだっただろう。


 二人の姿が失われた占い台は、また静寂を取り戻した。


 机の上に残ったタロットカードには、男女一対が空の上で穏やかに踊る姿が描かれていた。


 そのカードも、砂が風に吹かれるように、光となって消えていく。


 あとには、女の赤い傘だけが残されていた―――― 

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