編集済
以前、フルコンタクト系の格闘技を習っていたことがありまして。ある日、僕らの支部に、褐色の肌を持つ一人の青年が訪れてきまして。ブラジルの支部の方でした。乱取り稽古のとき、青帯だった彼は黄帯で背格好の似た僕のところに嬉しそうにやってきて、『オネガイシマス!』と白い歯を輝かせて頭を下げたんです。師範が飛んできて『こっちだ!』と彼を黒帯の先輩のところに連れていきました。気づいたら、背中にどっと汗をかいていたのを覚えてます。
もう、なんていうか、色々違い過ぎていて。チーターと三毛猫以上の差異があったはずなんです。
その彼に対しては、もう憧れの眼差ししかなかったのですが(黒帯とやり合ってました)、軋轢の生じうる日常の中で様々な人種が接していれば、本能に根差した感情が色々と湧き上がってくるのが当然かもしれませんね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
ブラジルといえばグレーシー柔術が有名ですが、空手系も強そうですよね。そういえばカポエイラもありました。
たしかに基礎となる身体能力が違うと、帯の色は参考にならないかもしれませんね。私も格闘技をかじっていたのですが、ナチュラルに強い人間というのはいて、最初は技術で押さえこんでもそのうちそんなものは撥ね返されてしまうというのを、何度か経験しました。
異能の人を怖れる気持ちも、差別の元になり得るような気がしますね。
あからさまにしろ、無意識にしろ、差別の感覚は誰の心根にもひっそりと息を潜めていそうです。現われ方が違うだけで。
違いがあること、正解は無いことを忘れずに居たいものです。
生まれ育った場所、慣れ親しんだ環境(人)から離れて世界を歩いてみると、そういったことを感じ取ることができますね。
こちらに伺うのに、少し間が空いてしまいました。
と、もう次が最終回ですか……心して挑みます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
差別の感覚はひっそり息を潜めている…このひっそりというところが曲者ですよね。大半の人は悪意も自覚もないのに、、という危うさ。
仰る通り、ホームから飛び出して別の世界を知ることで、自分の狭さや危うさに気づくことができるんだと思いますね。私も「正解は無い」を肝に銘じて歩いていきたいと思います。
肌の色や人種って目に見えるから分かりやすいですけど、色んな形で差別は存在して、人間がいる限りなくなるものではないですよね。自覚することだけでも大きいのでしょう。
人種のるつぼってよく都会に対して言いますが、実際は住み分けられていたりするものですよね。こういう風に混血をしていくことで「なに人」というのが曖昧になり、そういう人が懸け橋になってコミュニティが溶け合っていくのが本当の意味での「るつぼ」なのかなと思いました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
人間がいる限り差別はなくならない、、かなしいですが、それが現実のように思います。仰る通り、自覚することですこしでも良い方向へ向かうのかなと。
都会にいろんな人種・民族が同居していても、たしかになかなか融合しきらないですよね。血や文化が混じりあうことで、そういう人が懸け橋になってコミュニティが溶け合っていく、そんな社会が進むといいなあと思います。
なんだかすごくカッコいい漆黒の方が…!
戦ったら絶対勝てなさそうです。
肌の色による差別は、昔に比べたらだいぶ和らいできた…と思いたいですが、今でもどこかでまだ根強く残ってるんですよね…。
殺し屋さん、ご帰国ですね。
お仕事とお食事お疲れ様でした(^^)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
膚の色が濃いと、強そうな印象を与えますよね。そんな人と戦ったら……って、戦うことを想定されるんですね(^^) やんちゃな一面♬
たぶん大半の人は、差別はいけない、と頭ではわかっているのだと思うのですが、、理屈じゃないところで残っている差別意識が、ときどき悪さをするのかな、と思います。
このお話も、次回が最終回です。今回は仕事もそうですが、食事もヘビーでした(^^;) お付き合いいただいて、ありがとうございました!
差別意識とか偏見は、私も間違いなくあると思います。大半は無知と、知らないものに対する恐怖心から来ていると思います。
未知の物に対しての理解を深め、偏見の壁を崩すのも小説や旅行記などの役割の一つかな……と、最近はそんな風に考えています。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
無知とそのことからくる恐怖心。そうなんだろうなと思いました。そして、無知というのは、近づくことを拒絶する心の狭さと、想像力の欠如でもあるのだと思います。
一歩近寄り、相手の立場や思いを想像すること。仰る通り、小説や旅行記には、それまで未知だったものを身近にするだけの力があると思いますね。このお話が少しでもそんなお役に立てば幸いです。
>寧ろ慙ずべきは、自らに点瑕なしと信じて毫も省みることない慢心だ。
あらゆることに対して言えることだなと思いました。
どれだけ気を付けても、何の先入観もなしに物事を見るのは不可能ですもんね。
殺し屋さん、もう帰っちゃうんですねー(><) ちょっと寂しい……
作者からの返信
応援ありがとうございます!
あらゆることに対して言える、そうですよね。自分が正義と信じる気持ちは場合によっては美しいですが、間違えるととんでもない悲劇にも喜劇にもなりますね。
先入観なしに物事を見るのは不可能、その自覚があれば大きな問題は起こらないのだと思いますが、、なかなかそうもいかず。。
このお話も、次回で最終回です。寂しいと仰っていただいて、うれしいです!
差別意識は誰にでもあって、知らないうちに息するように漏れてくるものだと思っています。自己嫌悪に陥ったことが過去に何度か……。自分の中のレイシズムに自分で気づければいいのですが、これが難しい。誰も自分が差別主義者だと気づきたくないですからね。そう思うと指摘してくれる人は貴重です。
楽しかったブラジルも終わりですか、次の旅が楽しみです!(早い)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
知らないうち息をするように差別意識が漏れてくる、、残念ですが、そうですよね。でも自己嫌悪に陥れるのは、それだけ良心的なのだろうと思います。自分のなかのいやな部分にはだれしも目をつむりたいところ。。諭してくれる人、それを素直に聞ける人が増えれば、すこしずつ良くなるのかもしれません。
ブラジルの旅も次で最終回です。次の旅が楽しみとのお言葉、うれしいです! 気長~にお待ちいただければ(^^)
久里 琳さま
こんにちは。
「自分より劣った者を嘲笑い嫌悪し、剰え蹴落とす心。異質なものを恐れ警戒した末に敵と見做す心」
上記が難しい問題だと感じるのは『自分より劣った者に気づき、手を差し伸べようとする心、異質なものを恐れ警戒した末に回避しようとする心』などと地続きだと思うからです。
何か誰かを見たとき、自分あるいは多数派との差異を認識することは避けられません。その事実を認めたうえで、どう、行動するか。決断を迫られた個人が自らの考えに従って行動するとき、その背後に広がる家庭環境、社会、民族そしてその歴史ががっしりと根を下ろし、支配しているのを感じます。
「人はみな自身の罪にいま少し自覚を持っても良いと思う」
重く受け止めます。かえりみることを常に怠らないようにしなければ。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
置かれた環境によって、というのはありますね。さすがに百年前の人を今の倫理感でもって断罪しても意味がないですし、現代でも同様のことは言えると思います。ただそれが、他人を殺したり害したりすることを正当化する方向に行きがちなのが残念です。
異質なものを恐れること自体は健全な本能だと思いますが、異質なものは敵だと見做すのは、育んでほしくない本能だと思います。そして困ったことに、敵は殺せ、まで行き着いてしまう人も相当数いるのが人間世界なんですよね。
防衛本能が暴走してしまうのも人間の弱さであって、弱さであるがゆえに慈悲深い人なら宥すべきなのかもしれませんが、、そのために命を奪われる人たちはたまったものじゃないなと。・・・まあたいていの人はそこまで大それた暴走ではないとは思いますが。