第22話 仕事2

 医務室への順番待ちの列の中で私は目覚めた。

 糖尿病である標的ターゲットは毎日、夕食後ぐにインスリン注射を受けている。


 本来私の仕事は夜の間に為されるべきものだ。昼の間は人との接触が必至で、まさか憑依と勘づく者なぞはいないだろうにしても、違和感を与えてしまうのは避けられない。詰まらぬことから警戒心を持たれては想定外の不都合が出来しゅったいするかも知れぬ。

 それを今回夕食を抜いてまで早めに仕事を始めたのは、インスリン注射に細工する為だ。



 この時間帯、医務室は様々な治療を受ける囚人たちでごった返して、医師も看護師も多忙を極める。まさに猫の手も借りたい彼らの目には、囚人でさえも労働力に映ることもあるのだ。やたら騒ぎ立てる荒くれ者を大人しくさせたり、隙あらば順番を破ろうとする身勝手な者どもの交通整理は力ある囚人にまかせている。

 インスリン注射も囚人の手をることの可能な作業だ。慣れれば患者自身でも打つことのできるインスリン注射は、此処でも従順な囚人には自分で処置させているらしい。標的ターゲットの男は、その従順な囚人の一人なのである。


 事前の情報通り、看護師は無造作に私に注射針を渡した。ところが受け取ろうとした私はうっかりそれを落として、あまつさえ、踏んで折ってしまった。

 不機嫌に顔をしかめる看護師――私は彼女を制して、勝手知ったるものと自分で戸棚から新たなインスリンを取り出した。彼女はふんと鼻を鳴らして、別の患者へ向き直った……。

 そうして私はまんまと、規定量の十倍のインスリンを注射したのだった。後は意識を保つよう努めながら独房へと戻る。

 部屋の扉を閉めた途端、気が遠くなった。このままたすけを呼ばなければ今夜の内に、この躯は低血糖のために死に至るだろう。


 心残りと云えばあの看護師に罪の意識を与えはしないか心配だが、本来やはり囚人自身に薬なり注射針なりを戸棚から取らせては不可いけなかったのだ。これを機に彼女の医療ミスへの意識が改善されるのであれば、罪深き此の男も一命を以て浮世に最後の貢献を為したと云えそうだ。



  ***



 私が自分の躯に戻って来たのは、もう日付が変わる直前だった。

 車の中で待ち草臥くたびれたクリスティナさんは、早くご飯にしようと云った。真夜中に開いている店があるのか疑問だったが、彼女は心配御無用という表情かおで笑って云った。

「また肉ですけどね」


 ブラジル人は肉がお好きなようだ。宜しい、受けて立とう。


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