四日目 日曜日

第14話 日曜のカテドラル

 ブラジルに着いて四日目。昨日に続いて今日もオフ、クリスティナさんもお休みだ。

 時差呆けが直らないまま妙にだるい朝を過ごした後、ホテルを出て街の中心部へ向け歩きだした。


 日曜の朝、街は静かだ。

 路上生活者たちも幾人かはまだ布にくるまっている。すぐ横では枕を並べて犬が二頭寝そべる。その脇を、ジョギング中の女性二人組が通り過ぎた。二十代ぐらいか、健康的な肌に汗が輝いている。

 小さな子供を連れた家族連れや老夫婦などが連れ立って歩くのが目立つと思ったら、彼らは教会の中へ入って行った。日曜午前と云えばミサなのだろう。お邪魔しようかとも思ったが、その先に大きなカテドラルが在るのを思い出して、そちらへ向かった。


 歩くうち公園の向こうに見えてきたのはゴシック様式のカテドラル。正面左右に二つの尖塔がそびえ、比較的装飾の少ない壁面はすっきりした印象だ。


 中に入ると、祭壇の上には聖母子のステンドグラス、壁には聖人や、やはり聖母子の彫像に、数々のキリストの奇蹟を描いた絵画。

 神がくれぐれもと禁じた偶像崇拝には当たらないと云うのか、カトリックの教会では聖母子を始めとする彫像や絵画が壁一面に置かれて、こう云うと不謹慎かも知れないがプロテスタント系の教会と比べると見ていて格段に楽しい。


 ギリシャ・ローマの豊かな芸術をけ継いだ南欧人には、それらを捨て去ることは出来なかったのだろう。流石に神そのものを画にするのは憚られると見えて、神は光で象徴されるのみにとどまるのが一般的だが、三位一体の図像には「父」が描かれるなど、その神学のおしえる可否の線引きは門外漢にはよく分からない。

 そんなことよりも、聖母子の像の美しさに陶然となって無邪気に祈る人々の姿に私は感銘を受ける。偉い学者や聖職者たちがどう解釈しているのか私は知らないが、人々の素朴な神への愛を、天にします聖なる父もよみせられるのではなかろうか。


 ミサは司祭の説教に合わせて人々が立ち上がり、ひざまづき、唱和し、歌って進んだ。私も見様見真似で周りに和した。やがて喜捨を募るはこが廻ってきてめいめい紙幣やコインを入れた。紙幣といっても小額のものは五十円相当なので、そう大きな額ではない。集まった額はミサに掛かるついえをやっと賄える程度だろう。


 ミサが終わると列に並んで、司祭の手づから口に聖餐を咥えさせて貰う。その背中に、二階のパイプオルガンが奏する讃美歌が届いて、キリスト教徒でない私まで幸福感に包まれた。


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