第11話 モヘッチス③山中

 列車は木陰の合間を縫って進む。見上げれば、樹々の切れ間から眩しい太陽。芭蕉の葉が大きな掌を開いている。

 目の前にひらけるのは夢のような天上の園だ。


 夢と云うなら、日々この世で人が人を殺しているなど、それこそ夢のようだ。此処にいると、現世うつしよの罪業すべてが夢であれかしなどとおもってしまう。

 そう云う私自身が昨日ひとを一人殺したばかりなのだが、と自嘲した。うなると自らに罰を与えなければ気が済まない。舌も喉をも溶かすほどの甘い何かで――すると私の胸中を覗いたように丁度、クリスティナさんが和菓子を取り出した。


 途中立ち寄った店で買っていたお萩と大福。日系人の作る美味しい餅なのだと彼女は云った。日本から分かたれて異郷の地に百年、和菓子は未だに日本の薫りを忘れていない。

 やわらかな白い餅と、よそった餅とを、勧められるまま次々口の中へと抛り込んだ。遠い子供の頃の、懐かしい味。

 私の罪を罰するには、その餅の甘さは餘りに柔らかく、優しかった。



 列車は愈々いよいよ山中の険をるように進んだ。

 左右に度々カーブする軌道を列車は地形なりに蛇行する。壁の殆どを取り払った客車からは、前方の二十六輛が長大な体を捻りながら進むのが見える。蛇が行く――まさにその言葉が相応しい。

 長い下り坂をったりと進む車輛、床の下では鉄輪かなわきしんでいる。



 隧道トンネルを抜けると不意に視界が開けて、眼下に広々と原野が広がった。

 数十メートル下、手つかずの原野。無遠慮に踏み込む列車の足下では深い緑の上を赤や黄の蝶が翻々ひらひらと飛び交う。私が目にしているのは楽園、た極楽浄土か。

 時に緑の蝶と見紛うのは、落ちてくる葉。

 バナナが緑の硬い房を無数に生らせている。尻を天に向け並べて。バナナの巨大な葉は陽の光を我が物顔に浴びて、いい光沢つやだ。

 軌道の左右に次々姿を現す棕櫚しゅろ椰子やし、松、パラナ松。地を這う羊歯しだ、笹、日本でも見る様々な路傍の草花。一頭抜きんでたぜんまいが陽を求めて鎌首をもたげる。


 大樹はその幹と枝に羊歯や蔦や苔を纏っている。の一木を取ってもその身に種々の植物を養わない樹はない。

 枝の叉に飛んできた種子は宿主の与える環境下でほしいままに葉を拡げ枝を伸ばし、百千もの店子たなごたちが互いに助け合い競い合い、渾然一体と溶け合った大樹は最早一つの生態系だ。


 南米の山の奥、街とみなととの間に自然はとんだ勢威を誇っていた。

 人工物をも身中に取り込む豊かな自然――この野放図な野生の楽園は、智慧の実を食べた人間を迎え入れてくれるのだろうか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る