第10話 モヘッチス②出発

 紙の箱に入った朝食セットが配られた。パンが二つに、チョコチップクッキーに林檎。飲み物は水にジュース、コーヒー、それにビールも選べて、飲み放題。


 それにしても先頭から私の乗る最後尾まで全二十七輛、実に長大な車輛編成である。

 兎角とこうするうち再びディーゼルの音が大きくなって、がくんと引っ張られ、動き出した。電車と異なり、無理やり地中から体を引き抜かれるような唐突な動き。


 そろそろとホームを抜ける間、ホームに居残る駅員たちが手を振ってくれる。彼らの背後うしろ、屋根の横木に一羽の木菟ミミズク。彼も私たちを見送ってくれるのだろうか。


 列車はクリチバの街をゆっくり進んだ。少しずつ中心街から外れて、左右のビルディングの背が次第に低くなっていく。景色が流れ過ぎる速度も遅い。あんまり緩くりすぎないかと思っていたら更に速度を緩めて、踏切を跨いだ処でとうとう停まった。列車が再び動く迄は当然、踏切は開かない。申し訳ない思いで窓から外を見た。ところが道を塞がれた車も人も焦る様子を見せず、列車の再び動き始めるのを、周りの人たちと談笑しながら待っている。此処は時間が悠然ゆったりと流れる国だ。




 再び動き始めて少時しばらく、緩慢なレール音とともに現れた貨物列車とすれ違う。我々の列車に負けず劣らずのろい歩みだ。だが延々続くかと思われた邂逅も、一本目のビールを飲み切る頃には姿が見えなくなっていた。ふと窓の外を見れば木の柵に絡んだ朝顔が淡水みず色の花を咲かせている。

 線路沿いに時折緑地が現れるのだった。そこに咲いているのは向日葵ひまわり秋桜コスモス紫陽花あじさい。季節感の狂うこと――いやそもそもとよりなかったのだ、日本と同じ季節感など。此処は遙かな異国なのである。


 さらに進むとビルディングも家も次第に姿を消して、代わりに見えて来たのは一面の緑。草を食む馬の親子が遠くに見える。土地の遣われようは実に贅沢だ。広大な牧場に、馬はまばら。



 次第に列車は山中に分け入り、ふるい軌道に導かれて気づけば我々は森の中に迷い込んでいた。

 其処は楽園の廃墟のようだった。

 絶景。手つかずの自然と、そこへ敢然と踏み込んだ人々の痕跡。たびたび川を横切り、其処らで瀧が白い水を落とす。一条ひとすじの細い瀧が数十メートルも鋭く落ちていることもあれば、瀑布と呼ぶに相応しい立派な横幅の瀧も。

 断崖に架かる鉄橋の遥か下には清流が見える。渓底たにぞこと天空の軌道とは彼岸と此岸ほどに遠く隔てられ、水の音は列車まで届かない。水底みなぞこの石が赤いのは、何か鉱物が混じっているのだろうか。

 放置された家。かつては駅舎だった廃墟。人の営みの遠い幻影。


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