第8話 仕事

 眠りに落ちて少時しばらく。再び目を開いた時、私は囚人たちが雑魚寝するなかにいた。一部屋に詰め込むには多過ぎるのではと思ってしまう密度のなかで、消灯時間が過ぎてもだ眠りに就けない男たちが幾人も、もぞもぞ動いている。


 早く仕事に掛かろう。

 事前に写真で見覚えた刺青が両腕にあることを確認し、私は息を吐いた。毒蜘蛛とサソリの刺青は、その持ち主が私の殺しの標的ターゲットであることを示すしるし

 今私の心は、標的の躯のなかにいる。



 私が殺し屋稼業から足を洗えないでいるのは、この特殊能力あるが故だ。私は他人に憑依することができる。

 但し、条件が三つ。


 1.憑依する相手は、半径一キロメートル程度の範囲内にいる人間に限る。

 2.憑依する相手は、人を殺したことのある人間に限る。

 3.憑依する相手の、顔と名前を知っている必要がある。


 あと、忘れてはならないのが憑依を解くための条件。憑依した相手の肉体が死を迎えた時初めて、憑依は終わる。それ故、一度ひとたび憑依した以上は必ず宿主を殺さねばならぬ。



 憑依している宿主を殺すとは、即ち私が彼の躯を駆って死に至らめることなので、外から見た現象としては自殺することに他ならない。

 簡単そうに見えるが――監視厳しく常に周囲に人の目がある刑務所の中で、蘇生の余地無き完璧な致命傷を自身に与えるのは実は手易たやすいことではない。


 仕遂げる際、他の囚人に迷惑を掛けても不可いけない。

 例えば乱暴な囚人を挑発してわざと殺されると云う手段も無くはないのだが、それでは相手の囚人に無用の罪を重ねさせるので宜しくない。人知れずひっそり死んでいくのが最善だ。だが今回のように、息遣いまで聞こえる至近距離に囚人仲間が寝ている環境下ではうもいくまい。多少の嫌疑が掛かることはあるかも知れぬ。そこはゆるして戴きたい。


 一番手っ取り早いのは刃物で喉を掻っ切るか、胸の辺りを一突きするかだが、毎回問題となるのは如何どうやって得物えものを調達するかだ。

 その点、今回は気が軽い。エージェントが調えてくれていたからだ。収監されている囚人の一人が道具を調達し、手渡してくれる手筈になっている。


 合図の咳払いをすると、ぐ隣の男から私の掌の上に何か小さい、硬い物が置かれた。窓から零れる月明りを頼りにそっと確かめると、鋸刃のこばの破片だ。小指のさきほどの大きさで、確実な致命傷を与えるにはやや心許ないが、刑務所のなかで贅沢は云えない。


 頸の皮と肉とをゆっくり慎重に削いで頸動脈を露出させたのを確かめると、全力を籠め一呼吸ひといきに掻き切った。血が噴き出すのを視界の端に捉えた直後、私の意識は途絶えた。


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