第3話 地下鉄と日本人街

 今夜の仕事までは時間があるのでサンパウロ散策でも、とリベルダージの日本人街を訪れることにした。どうせなら地下鉄を使ってみたいところだ。

 私の希望にクリスティナさんは何を数寄好すきこのんで、と呆れた顔をしたが、肩を竦めて、鞄とポケットに警戒するようにとだけ注意した。


 ブラジルは犯罪多発国として知られている。中でも膨大な人口と旅行者を抱えるリオデジャネイロとサンパウロが二大犯罪都市だ。そのサンパウロの地下鉄とくれば少し身構えたが、入ってみると明るく広い構内は意外なほどに安全に見える。

 群青色の車体は重厚で、車輛間の往き来が出来ないことだけが違和感を与えている。地上の風とは異なるくらい音の響くなか、我々は目指すリベルダージ駅に着いた。正式には「ジャポン・リベルダージ駅」。駅名に「ジャポン」が冠せられたのは最近なのだそうだ。皮肉なことに、その頃には中国人や韓国人が街に増え始めていて、今や日本人街と云うより東洋人街と呼ぶ方が実体に近しくなっていると聞いた。


 とは云え、やはり世間の認識は日本人街――しかも世界最大規模の日本人街だ。(ロサンゼルスのリトル・トーキョーと双璧とされる)

 日本食レストランが軒を連ね、店では日本語が通じ、通りには日本語が溢れている。日本の牛丼チェーンが店を構えて、隣のミニスーパーには日本食材が一面に並ぶ。なるほどこれは便利だ。マクドナルドの看板もカタカナ。だがよくよく注意して見ると簡体字やハングルがじっている。

 ふと見上げると、街灯が提灯の形を模していた。


 その先に見えるのは古い教会。此処はかつて、逃亡奴隷の処刑場だった。此の地を「解放リベルダージ」と呼ぶとき人々の脳裏に去来する想いは複雑だ。



 サンパウロには現在百万人を超える日系人が住んでいるのだと云う。二代、三代と継いでいくうち日本語を話さなくなる者も増え、他の民族と結婚する者も勿論あり、その紐帯は次第に緩やかになりつつはあるようだが、それでも彼らの心には「ニッケイ」が自らのアイデンティティとして保たれている。ブラジル人であることのほこりと、源流を日本に持つことの矜りとを同時にいだく彼ら日系ブラジル人は、日本列島に生まれ育った日本人以上に日本を愛しているのかも知れない。

 クリスティナさんが私は日系人ですと云う時の、迷いのない晴れやかな表情が印象的だった。


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