駐在所の2人

神坂駐在所は馬籠宿から少し離れたT道路の脇にある平屋建ての建物で、瓦葺に木曽路の檜をふんだんに使った・・・とは言い難いが、質素で素朴な駐在所である。室内は都会交番にありがちなスチール机などではなく、木目麗しい木曽檜でできた重厚な長机と、間伐材で作られた長椅子が相対するように置かれている。


その長椅子に2人の姿はあった。


妹の凛は8歳にも関わらず、体型は細く枯れ枝のような両手足で、この寒い季節だというのに薄いズボンに薄手のTシャツと着古したマウンテンパーカーを羽織っている。そのパーカーとてサイズが小さく着れるか着れないかといった感じで窮屈そうだ。顔色は悪く、どことなく子供が持つ特有の活力を失っているようにも見える。

その隣には平たく潰れ、所々の隅が削れている紫色のランドセルが1つ、肩紐を下にして丁寧に置かれていた。


そして隣にいる姉の繭は中学のセーラー服姿であるのだが、古着で揃えたのではないかと思えてしまうほどに上下で生地の色合いが違っていた。。膝の上に置かれた学生鞄は所々に傷があり、角も削れ年頃の少女が持つには、ひどい有様であった。

制服から出た肌の血色は悪く、白いを通り越して青白いと言ったところだろうか。

2人とも髪を長く伸ばしているが艶や光沢はなかった。


目の前に出されているお茶菓子とコーラと紅茶の入ったコップは手をつけておらず、近くにあるストーブの音が室内に響いているだけだ。


入り口のあたりに中神巡査は腰掛けて、体を小さく丸めて子供たちを威圧せぬように気を使いながら、時よりチラチラと伺っている。

話を聞こうと何度かチャレンジをしたものの意思の疎通は困難であったので、中津川署の生活安全課に応援を頼んでいたところ、それを聞いていた2人が種火屋の名前を言ったのだった。


種火屋のおばあちゃんに会いたいです・・・。


懇願するようにぽつりと言ったその言葉に、中神巡査は思案を巡らし、中津川署からの応援を一旦取りやめて貰い、種火屋の千代子へ電話をしたのだった。その後、どうしても2人が心配であったので、規則を曲げて中西先生に往診を依頼したのだ。


警察官とて人である。彼にはそのままにしておくのが許せなかった。往診に来た中西先生は2人に色々とアプローチを試みたが、2人は名前や体調以外は口にしなかった。


こんばんは、中神さん。


引き戸の扉が開いて、寒風と共に千代子と麻衣奈が駐在所の中へと姿を見せた。彼女の表情から溢れんばかりの心配が見てとれる。


あ、種火屋のおばちゃん!


今さっきまでの姿からは想像できないほど、元気の良い声が室内に響くと、長椅子から立ち上がって一目散に千代子へと抱きついた。


凛ちゃん。久しぶりね。


その姿を両手で抱きしめた千代子は、何度も何度もその頭を愛おしそうに撫でると、凛も嬉しそうに顔をあげて撫でられるのを喜んでいた。


おばあちゃん。ごめんなさい。


立ち上がって深々と頭を下げた繭に、言葉が出ず首を振るだけの千代子だった。


気にしなで良いんだよ。どうやってきたんだい?


声を震わせながら繭に聞く。繭は顔をあげて特に表情の変化もなく口を開いた。


妹と2人で諏訪から電車に乗ってきました・・・。


そうなんだね。竹谷の2人はどうしたんだい?


竹谷の2人とは彼女を引き取った竹谷夫妻のことであった。あの夫婦がこんな事をするとは到底思えなかった。


あのね、おばあちゃん。


凛の嬉しそうに笑っていた笑顔が重苦しいものへと変化する。それは悲しいとも寂しいとも受け取れるが、しかし、とても8歳の子供がする表情ではなかった。


おとうさん、おかあさん、事故で死んじゃったの。パパとママと同じように・・・事故で死んじゃったの。


淡々とそれを告げる。抑揚のない声が室内に虚しく響いた。


それでね、前みたいに別の家に行ったんだけど・・・。


凛、そんな事言わないでいいの!


大声で繭が怒鳴った。その怒鳴り声さえ感情と言うものが欠如した冷たい声だった、凛はびくりと体を震わすと、両手でしっかりと千代子の着物を掴み、顔を押し付けてしっかりと抱きついた。


凛ちゃん、大丈夫だよ。


再び優しく頭を撫でた千代子は、優しい老婆の笑みを浮かべて繭へと向いた。


繭ちゃん、おばあちゃんにも教えてくれる? 一体なにがあったのか・・・。


怒鳴ってから俯いたままの繭は、両手の指先を絡めて動かしながら思案したのち、ゆっくりと口を開いた。


おとうさん、おかあさんは・・・、凛が言ったように交通事故で1年前に死んでしまいました。住んでた家にも住めなくなって、お父さんのお兄さんの家に預けられたんです・・・。でも、その・・・。


言わんとする事はこの場にいる誰もが理解した。虐待という悍ましい言葉をだ。


一昨日から妹が・・・悪いことをしたって言われて何も食べさせて貰えなくなって、私ももう耐えられなくなって・・・。


声は途切れ途切れであるものの感情というものは相変わらず入ってこない。一種の報告に近かった。


そこで押し黙った繭に凛が千代子へと話しかけた。


お姉ちゃんがね、お出かけしようって言ってくれたんだよ。コンビニでね、おにぎりとか色々買ってね、電車に乗って雪子おばあちゃんのお家に行こうって言ったの。 電車の中でご飯食べてね、お父さん、お母さんとお出かけしたみたいに川の駅まできたの!


にこにこと嬉しそうに話す凛に救われる。繭もその声を聞いて顔を上げる。目の下のクマと腫れぼったい瞼が悩みに悩んだ事を如実に物語っていた。


昨日の夜・・・夢に雪子おばあちゃんが出てきて、種火屋のおばあちゃんに相談しなさいって言ってくれて・・・。


この夢が繭の背中を押したようで、声に少しだけ抑揚が戻る。


その、一晩だけでいいんです。泊めさせてください!


両手を爪が刺さりそうな程に両手を握りしめて、体をぶるぶると震わせながら、繭はしっかりとした声でそう言って頭を下げた。


おばあちゃん、お願いします。


同じように凛も抱きついたままで同じ事を言った。


大丈夫、好きなだけいたらいいんだよ。いいんだよ・・・。


その言葉に涙をぼたぼたと溢しながら千代子はそう答えてしっかりと凛を抱きしめる。

凛の手もさらに力が入り、しっかりと抱きしめたのち、千代子の言葉で安心したのだろう、凛の声を押し殺した啜り泣きが室内に小さく響いた。

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