第16話 深夜の訪問者
次に袖の中から顔を出せたのは、地面がレンガ色だったあの建物の中だった。
そんなに大きなお屋敷と言う感じではないが、メイドさんなのかハウスキーパーさんなのか誰かいるようで、整えられた部屋は清潔感があって客人を持て成す気持ちというのだろうか、そういうものを感じた。
テーブル一つに椅子が四脚、調度品は特にないが窓から入る日差しは温かく居心地はそう悪くない。
「あぁめんどくせー」
「時間稼ぎでしょうか?」
「いえ、あれは見抜かれると思っていなかったかと。おそらくベルガを使えばこちらが解毒出来ないと踏んでの事でしょう」
「お前よく気づいたな」
「気づいたのはこの子ですよ。私にはベルガの匂いとの違いなどわかりません」
あれ? でもヨルンさんベルガの匂いがするって言ってなかったっけ?
ひょっとしてハッタリだったのだろうか。椅子に腰かけるヨルンさんを見上げると、にっこり笑顔とぶつかった。
「確実に解毒出来ない毒物となると限られていますからね。その中でクレリナに似ているものとなると、ベルガぐらいかと」
あぁなるほどと隊長さんと副隊長さんは納得の顔。
みなさん毒物の知識普通に持ってるんですね……仕事柄取り締まるために必要だったって事かな。
でもハッタリだったって事は、私の戸惑いをそのまま信用してくれたって事だよなぁ。偶々今回はあってたけど勘違いだったらなかなか不味い事になっていたのでは……? 気をつけよう。
「それにしてもオーギュスト博士が居てくれたのは助かりましたね」
「あぁ、あれはおそらく裏で手を回した者がいます。こちらに好意的である事は確かなので誰かは詮索不要ですよ」
副隊長さんにそう言うヨルンさんだが、思い当たるのはあの廃屋で合ったおかんのような人ぐらいだ。偉い人なのかな?
「ヨルン隊長がそうおっしゃるなら詮索はしませんが……」
「あとどれだけ待たされるかだろ? あーめんどくせぇ……帰っていいだろ」
「駄目です。せめて明日には予定が決まるのですからそれまでは待機です」
「まぁ別にぃ? 数日離れても問題ないように鍛えてはいるが? 何もする事がないってのは暇なんだよ」
「なら屋敷の周りをうろちょろしている使い魔でも追い返してください」
ヨルンさんの言葉に、ぴくりと眉を上げる鎧の人の隊長さん。
「なんだ、もう来てるのか」
「ええ。我々の後をつけているものが数体。場所を特定したからか二体程は戻りましたが、残りはまだこちらを伺っているようです」
「戻った奴の身元は?」
なんだか面白いものを見つけたという顔に、横の副隊長さんが疲れた様な顔をしてため息をついている。
「一つは子爵のフックスですね。もう一つは宮廷魔導士の下っ端かと」
「フックス……っていうと」
「フックス子爵は希少種の保護を唱えているミュラー侯爵の派閥です。今回の事件に直接的な関わりはありませんが、フェザースネークを見て思わず動いたのでしょう」
ため息をつきながらも補足する副隊長さん。
「大人気だねぇお前」
つんつんと額を隊長さんに突っつかれる。私としては知りませんがなという気分だ。人が勝手に盛り上がっているだけで、そもそも私フェザースネークじゃないと思うし。
「じゃあいっちょ脅してくるから、どこへ逃げ帰るかちゃんと見とけよ」
「言われるまでもなく」
宣言する隊長さんに、軽く返すヨルンさん。そしてあぁ面倒ごとが増えそうだと顔を覆う副隊長さん。
なんか可哀想だったので、元気出してと小さい手でナデナデしたらすごい視線を感じた。見ればヨルンさんがジッとこちらを見ている。副隊長さんも視線に気づいたのか顔を上げるとヒクリと頬を引き攣らせ、私をそっとヨルンさんの方へと押した。
えぇ……と思いつつ、ヨルンさんを小さい手でナデナデすると隊長さんがガハガハ笑った。
「お前すっかり骨抜きじゃねーか。ちゃんと手放せるのか?」
「当然です。そのために保護しているのですから。それよりさっさとしてください」
笑われてもヨルンさんは一つも揺るがず、それどころか追い払うように手を振った。
「へいへい」
笑いながら隊長さんは窓を開けてそこから飛び出していった。
「あぁもう普通にドアから出ればいいものを……」
しょうがないなというように窓を閉めに動く副隊長さんはまるで女房のようだ。見た目はもちろんごつくてそうではないが、言動というか雰囲気というかそういうものが。
「ヨルン隊長はどう思われます?」
「予定が決まるかですか? それともまた妨害が入るかですか?」
「両方です」
「予定はどうなるかわかりませんが、妨害は入るでしょう。一番可能性が高いのがこの子と我々を引き離す事でしょうが」
え!? そんな可能性があるの!? あそこに居た人に渡されるとかすごい嫌なんですけど!?
びっくりして思わずヨルンさんの腕に巻き付いたら、二人分の笑い声がした。
「大丈夫ですよ。そうならないようにしますから。もし仮にそうなりそうでも、絶対に安全な相手に預けますから心配しないでください」
ヨルンさんがそう言うのなら……大丈夫なのかな……?
「本当に賢いですね。筆談も出来ると部下から聞いていますが、レアになるとここまで知能が高くなるんですね」
「いえ、この子の場合は特殊かと。レアだから知能が高いと言っても限度がありますから」
あぁうん。私精霊だからね。母様は残念精霊っぽいけど。母様今頃何してるのかなぁ。昼寝と空中遊泳して遊んでいそうな気もするけど。
二人の会話を聞き流しながら窓の外をぼーっと眺めていると、何やら白いものが見えた。
ん?
もしや母様? と思ったが、なんか違う。窓に近寄って見てみたが何もいなかった。
隠れてるのか、それとも見間違えか。まぁいいかと私はすいーっと室内を泳いだ。ずっとヨルンさんの腕にいたので身体が固まってしまう。
夕食を戻ってきた鎧の人の隊長さんと誰が使い魔をやってきていたのか討議しながら食べると――食事を準備してくれたのは執事っぽいおじいちゃんだった――それぞれ部屋にわかれて就寝となった。
いつも通りヨルンさんと布団に丸まるって寝て、すやすやと寝息が聞こえてきた頃だった。
〝おい〟
不意に頭に声が響いた。低い男性の声にハッとして目を開け辺りを見回すが、声の主らしきものはいない。だが、確実にいると思ってキョロキョロして見つけた。
窓の外から室内を覗いている、シロクマ。
そう、シロクマ。どこからどう見てもシロクマ。つぶらな瞳が薄明かりの中じっとこちらを見ているのが、ちょっと可愛い。
〝おい。こんなところで何をしてる〟
すいーっと近寄って見ると、窓枠にへばりついているわけじゃなくて浮いていた。シロクマが窓の外に浮いている図はなかなかにシュールだ。
とりあえずこちらはしゃべれないので、首を傾げて見せる。
〝ふざけてるのか?〟
いやいやふざけてないよ!と慌てて首を振る。それから姿を変えようとやってみせて、出来ない事をアピールしてみる。
多分このシロクマさん、私や母様と同じ存在だ。感覚だけどそう感じる。
〝……母は? 念話も転変も出来ない奴をどうして放っている〟
えーっと、それは何というか。というか、精霊って放任主義ってわけじゃないんだね……うちの母様がそうなだけなんだ……
シロクマさんは人間臭い溜息をつくと、フッと消えた。かと思ったら室内に現れた。おお!精霊も移動出来るんだ。
〝大方あいつは子供が散歩に行ってるとか思っているんだろう……帰り方がわからないなら連れていってやる〟
シロクマさんは器用に後ろ足で立ち上がると太い腕を私に向かって差し出した。
ええっと……有り難い申し出ではあるんだが……
そうすると絶対ヨルンさんたちに迷惑が掛かってしまう。思わずちらっと寝ているヨルンさんを見て、首を横に振った。
〝なんだ。人間に囚われているのか? なら楔を外してやろう〟
クワッといきなり牙をむき出しにしたシロクマさんにギョッとして咄嗟にヨルンさんの前に出た。
〝……その人間が気に入ったのか?〟
気に入ったか気に入ってないかでいけば、気に入ってる方だと思うけど。そんな上から目線で考えてるわけじゃないというか……
シロクマさんはしばらく私とヨルンさんを見比べていたが、溜息をついて両手を地面に降ろした。
〝……帰りたくなったら呼べ。私はアルクティだ〟
そう言ってシロクマさんは消えてしまった。なんだか親切な人、じゃなくて精霊だ。
あるくてぃ……覚えられるかな……
今世になってからどうも名前を憶えづらくなっている気がするので、心の中で何度も唱えておく。
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