第2話 抗議したい事が増えていく

 とりあえず母様には謝っていただきたい。

 かなり必死になって地面で耐えていたが、あと少しでも遅ければちらっと覗く崖下へと私は転がり落ちていただろう。


〝すまぬ。ほれ、もうゆるせ〟


 かるーい謝罪をする母様だが、これはわかってないだろう。

 私はたった今生まれたばかりなのだ。普通そんな状態の子を置いて空飛んで雄たけび上げて暴風まき散らして危険に合わせるだろうか? 否、断じて否である。

 身体を丸め、つーんとそっぽを向いていると、さすがに母様は悪かったと思ったのかそーっと私に顔を近づけてきた。


〝そなたが生まれてほんに嬉しかったのだ。何せ百年頑張ったからな〟


 百年?

 思いがけない言葉に思わず母様を見てしまった。すると、そこにいた筈の大きなヘビ?が姿を消して、見た事も無いような美女がしゃがんでいた。

 白い着流しのような男物を少し雑に着ている胸元はご立派で、腰のくびれがよくわかる。裾から覗く足はしなやかな筋肉がついているがちょっと見ただけできめ細やかな肌だとわかるし、胸元から首にかけての色気は子供らしき自分の目にも毒だ。極めつけはその顔。例えるなら宝塚の男役のような凛々しさがありながら、ふっくらとした赤い唇が真逆の色香を放ちアンバランスな妖しさを醸している。しかもこれ化粧なしで、だ。素でまつ毛ばっさばさの人を初めて見た。あ、人じゃないのか?

 耳の後ろからふわっとした羽毛が生えているのが人間とは違うが、そんなの全く気にならないぐらい美しい。表情がないとその金の目がまるで無機物のようで恐ろしくも見えるが、困ったように眉を下げると途端人間味が出て可愛くなるのはどうしてか。


「誰も我を相手にしてくれんのだ……口説いて口説いて、ようやく氷のに協力してもらえた」


 氷の……精霊? に、という事?

 でもこんなすごい美女を相手にしないとか、精霊ってみんな美人ぞろいなのだろうかとぼんやり思う。あんまり綺麗すぎて自分の母親らしいのに見とれてしまった。


「だが、その甲斐があったというもの。このようにかわいいそなたに出会えたのだ」


 にっこりと美女が笑って私を抱き上げた。

 こしょこしょと耳の辺りをくすぐられて思わず頭をその指に擦り付けてしまった。

 くっ、さすが親なだけはある……的確に気持ちいい……


「さて、まずは転変を習得せねばな。そうでなければ話もままならぬであろう」


 てんぺん?


「姿を変える術の事だ。念を覚えられたらよいが、普通は転変の方が先に覚えられる」


 なるほど。それは確かに早く覚えないとだ。

 このまま意思疎通が出来ないのはなかなかやりにくい。


「転変はこう、胸の中になりたい姿を思い浮かべるのだ。そうしてぐっとやってぱっとやれば姿を変える事が出来る」


 あぁ……悲報。母様は感覚派だった。

 真面目な顔でぐっと手を握ってぱっと開く姿は大変可愛らしいが、大変残念な指導内容だった。

 教え切ったという顔でこちらを見ているので、微妙な気持ちで言われた通り人間の姿を思い浮かべて、ぐっとなんとなく身体に力を入れてぱっと力を抜いてみる。

 まぁ、案の定というか出来なかった。


「大丈夫だ。そのうち出来るようになる。水のは千年かかったとか言っておったからな。さすがにそれよりは早かろう」


 せ……せん……

 それは、さすがに避けたい。話が出来ないままその年月は辛い。


「さてどうするか……そうだな。少し世界を見て回るか」


 母様はそう言うと崖の方へと歩いていき、なんのてらいもなく飛び降りた。


「ぴぃぃぃ!」


 叫んだ私は悪くないと思う。

 すぐに落下が止まり逆に空へと舞い上がったが、とても怖かった。心臓に悪いのなんのって、母様は笑っていたが話せるようになったら抗議する内容がこれでまた一つ増えた。


「ははは。怖がる事はない、空は我らの領域だ」


 楽し気に母様は言うが、そう言われても安全装置も何もなしに飛んでいるという事実が私の身を竦ませる。パラシュートでもつけといてくれないだろうかと思うが、たぶんないんだろうと半分諦める。半分は母様の服にしがみついている事で紛らわせた。


「ほらほら、見てみるのだ」


 ひょいっと服から引っぺがされて狭い手のひらの上に乗っけられる。

 ひぃぃぃと内心叫ぶが、喉が張り付いて声は全くでなかった。


「あ」


 しかもポロリと落ちた。

 一瞬、時が止まった。息も心臓も止まったように感じた直後、ゴオッ!と下から強烈な風を感じてそのまま私の身体は浮かび上がった。


「あぁ大丈夫だ。うまいうまい、そうそう」


 強い風にあおられあっちこっちに吹き飛ばされる私に何やら母様は言っているが、そんな呑気にしていないで助けていただきたい! 切実に!!

 やっと母様が私を掴んでくれたのはそれから一時間? 二時間? よくわからないが結構経った後だと思う。もう私の精神はゼロです。無理です。とそのまま気が遠くなった。


「おやおや、はしゃいで寝てしもうたか。ほんに子はかわいいものよの」


 意識を失う寸前にそんな事をのたまう母様の声を聞いたような気がしたが、断固として違うと言いたい。

 早く姿を変える術を身につけねば。このままでは私の精神が持たない。絶対この母様は今後もやらかす。

 なんとかせねばという思いを最後に、ぷつりと意識は途切れた。


 決意を胸にした私だったが、残念ながら事はそううまく運ばなかった。

 なにせあの母様が教師役なのだ。全然要領を得ない。

 一週間経っても、二週間経っても、一ヶ月経っても、出来なかった。

 打ちひしがれる私とは対照的に、母様は楽観的な様子でにこにこと私が七転八倒する様を見ている。

 楽しそうで何よりだが、それよりも有益な情報が欲しい。感覚的な単語ではなくもっと具体的な単語を使用して伝えて欲しい。

 姿を変える術はまったく進展しなかったのだが、何故か浮かぶ事は出来るようになった。あのポロリ事件があってから、ビクッとする事があると自動的にふわっと身体が浮かぶのだ。なんとも不思議な感覚だったが、それに慣れると自分で意識して浮かぶ事が出来るようになった。そうなると活動範囲も広がり、巣があるところから出て、周囲の山を気分転換に探索もするようにもなった。

 その日も練習に疲れて、ふいーっと外に出ようとすると母様に「魔物には注意するようにな。危なかったらちゃんと叫ぶのだぞ」と注意された。

 いつもの事だったので「ぴぃ」と返事して外へと繰り出す。

 巣があるところはかなり標高が高いところで、あたりには灌木や背の低い草くらいしか生えていないのだが、少し下ると段々と植生が変わってくる。

 背の高い木が増えてきて、その中をすいすいと避けながら進むのが最近の遊びだ。最初は難しかったが、くるりと背を向けて仰向けで飛んだり、くるくると回転してみたり、慣れるとこれがまた面白い。人である時には絶対に出来ないような体験に、大往生してここへ生まれ変わってきたのなら結構幸運なんじゃないかとか思っていた。

 楽しくてついつい長く遊んでいると、結構下の方まで降っていた。標高が高いところは母様のテリトリーなのか、魔物とやらは一度も姿を見たことがない。だが下にいくといくらかいるらしいので注意が必要だ。

 私も注意はしていた。していたが、いきなり頭の上から袋をかぶされて、しかも何か甘ったるい匂いがして頭がぼおっとしてしまった。無意識にこれはまずいのではと暴れたが、袋の上から抑えられてしまった。


「大人しくろ!」


 ぼやけた思考が大人の男の怒声を聞いたが、そこまでだった。

 私、ヘビ型精霊なのだがちゃんと人の言葉がわかるんだなと、そんな事を一瞬思って意識が暗い闇へと沈んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る