第2話 小説家(2)
三月下旬。
天井でゆらゆらと揺れる電球の光に掴んだ鉛筆をかざした。
問題が解けない時はよくこうする。指の間からこぼれる光を見つめている内に解答への道筋が開けてくるのだ。
「この問題では実数解を2つ持ってるから、、、」
と言いながら天を見上げていると耳をつんざくような高い声が俺の耳元でする。
「ちょっと、お兄ちゃん!!未玖、ご飯食べたいし勉強辞めてどいて!!」
そういうと俺が広げているノートや参考書を、未玖が腕を使ってショベルカーの様にガチャガチャとちゃぶ台の下に落とした。ツインテールの揺れ具合がその激しさを表す。
「おい、やめろ、、、俺が先にいたじゃねえか。」
「んんんそんなの関係ありませ~ん!勉強オタクの話は聞きたくないよ~だ。それに何度も言ってるじゃん。勉強しても無駄って。いっつもそうだけどこんな貧乏な家からのどこから大学のお金出すのさ。」
「ふふふ、まだまだ高校入学したてほやほやの未玖には早いか。いいか、最近知ったのだが教えてやろう。大学にはな奨学金っていう制度があってな。」
「知ってるよ。でも、それって結局大人になったら借金としてなるんでしょ。」
「ああ、その通り。でも、良い大学に行けば将来一杯金を稼ぐことが出来る。そう、言ってしまえば奨学金なんて返してもおつりが戻ってくるぐらいな。」
「本当にそうなのかな。でもなんか、良い大学に行った人って実は仕事が出来ないらしいよ。」
もぐもぐと白飯を頬張りながら話す姿はまるでハムスターのように愛おしい。
「そんなことないさ。当然、仕事が出来ないのは中卒や高卒の人が大半だよ。」
「ふ~ん、まどっちでも良いけど。兎に角勉強するなら端っこでやって。今はご飯の時間だし。」
ふと時計を見るともう時間は七時を回っていた。なるほど、確かにご飯の時間ではある。放課後からずっと家で勉強していたから時間はまったく気にしていなかった。ちょうど腹も空いている所だ。ここらでちょいと休憩するか。
「なあ今日のおかずは。」
といいすぐ側にある台所に皿を持って行く。
「今日はお野菜が安かったから野菜炒めにしたよ。」
「今日のおかずは一品だけか、、、。」
「仕方無いでしょ。お父さん、今月凄いパチンコ負けてるから今は節約しないと。」
白米を口に詰め込みながらしゃべっていたので行儀が悪いと注意してやった。
横目で未玖を見ているとこうやって二人で夕食を食べることはここ最近では久々だなと感じる。自分の家は俺がアルバイトを深夜まで入れないと家計がもたない。となれば必然的に家事を任されている妹と収入源の兄の時間がそろうことはかなり珍しい。
そもそも、俺たちがここまで生活で苦労しているのは全部あのくそ親父のせいだ。中卒で家計を顧みず、日々パチンコに明け暮れ母さんを過労死に追い込んだあげく、やっと働いたかと思えばその収入もすぐにパチンコで溶けてしまう。機嫌が悪いときには家族にだって暴力をふるう。なんで俺が働かなきゃいけないんだ。いっそのこと母さんじゃなくて親父が死ねば良かったのに。
そう思ってしまっていた。
「お兄ちゃん、手とまってるよ。」
未玖が心配そうにこちらを見てくる。顔に出てただろうか、我に返るとすぐに慌ててごまかした。勉強のことだと答えると「ふーん。」と言いまたテレビを見ながらおかずを口に放り込む。
すると、未玖は身を乗り出してテレビに顔を近づけて叫んだ。
「見て!ここ!こんな所に将来住みたいな~」
「え、あ、ごめん、どこに。」
慌てて聞き返すと未玖はここと言い目の前にあるテレビを指さした。テレビでは「百合ヶ浜ゆりがはま(奄美十景の1つであり鹿児島県の大金久海岸の約1.5km沖合の環礁内に、大潮のころの干潮時に姿を現す砂浜)特集!」と題して一面に広がるマリンブルーの海を写していた。
「これのどこがいいんだよ。」
ぶっきらぼうに返事を返す。
「もう!お兄ちゃんみたいな男子には分からないよね~。このものすご~い広い海の側に家を建てて、海を見ながらいろんな事をするの。そんでね、毎日泳ぎに行くの。こんなリゾート地に住む夢は女子なら一度は夢見るよね~。」
未玖は両手の指を合わせお姫様のようなキラキラとして目で言った。毎日見てたら飽きるだろとツッコミを入れたくなったが辞めた。機嫌を損なわせたくない。そしてそんな姿を見ながら、俺は肘で彼女を小突く。
「もうすぐ父さんが帰ってくる時間だぞ。」
顎をクイッと傾けて時計の方へ指した。時間は七時四十分を超えていた。
「あ!ほんとだ。いけな~い。お風呂湧かしてくるね。」
未玖はガチャガチャと音を立てて自分の食器を洗面台におき、風呂場へと急いで走って行った。
「百合ヶ浜ね、、、。」
そうつぶやきながらテレビを見る。どうやら奄美群島のひとつで、鹿児島県最南端の島である与論島にあるらしい。調べるとここから行くだけでも7万以上もした。連れて行くだけでも何とかと思ったがそんな希望もはかなく散る。
俺は未玖には若い頃からつらい思いをさせたくないと考えている。出来るだけ未玖の望みは叶えてあげたい。一杯遊んで、一杯笑っていて欲しい。ただ、それだけでいい。だから、俺は高校を卒業した後は働くつもりだった。
でも、やっぱり欲を言えば勉強がしたい。大学に行きたい。キャンパスライフっていうものを知りたい、楽しみたい。そう思うたびに父親への怒り、憎悪がふつふつと湧いてくる。しかし、あの父親の前では機嫌良く過ごさなければならない。いつ、暴力をふるわれるか分からないからな。
「おい!かえったぞおう!!」
夜にしては余りにも近所迷惑で大きな声を挙げてひげずらの大男が帰ってきた。今日も夜まで働きもせずパチンコに行って居たのだろう。声の機嫌的に、珍しく勝ったのだろうか。普段はもっと大きな声で帰ってくるからだ。また、いつもはパチンコだが、たまに出かけると言っても今度は居酒屋に飲みに行く。働きに行くのは一週間にたった一回。最悪な人間だ。
「おい、父親におかえりのあいさつもないのかよ。」
居間に入ってくるやいなやたばこのせいで痰がからまったようなしゃがれた声で話しかけてくる。
「おかえりなさい。今日は勝ったんだね。」
父親の目を見てにっこり笑いながら優しく言う。
「ああ!+3万だ。大勝利だよ!」
煙くさい匂いを身にまといながら俺の肩へと腕を回してくる。それを急いでどけながら風呂場を指さした。
「さっき、未玖がお風呂入れてたしもうすぐ湧くと思うよ。」
「あ。お父さん。お帰りなさい。お風呂、もうちょっとだけ待っててね。」
未玖も父親が帰ってきたことに気づき風呂場から急いで走ってきた。そして、即座に俺の目を見る。
俺は4回瞬きをすると、未玖はほおっとため息をつき部屋の端っこで洗濯物をたたみ始めた。
瞬きの回数で俺たちは父親の機嫌度を5段階評価でアイコンタクトしている。これは理不尽に父親に怒られる日々を続けた結果、身につけた生きる知恵となった。
すると、父親は頭をポリポリかきむしりながら言った。
「あ~風呂なんだがな、今日は最後にしてくれねえかな。」
突然な意外な言葉に俺は露骨に目を丸くしてしまう。横目で見ると未玖も俺と同じような顔をしていた。
「どうしてなの。いつもは最初が良いっていってるじゃない。」
何とか機嫌を損ねないように俺がゆっくっりと話を続ける。未玖は相変わらず口をあんぐりと開けていた。
「今日勝った金でな、最近隣町に出来た『ギブミーラブ』っていうとこに行くんだよ。」
「『ギブミーラブ』?」
「知らねーのか、お前。まだまだ子供だな。」
「?何のお店なの?」
「ばかやろう、風俗だよ。風俗。」
「ふ、風俗!?」
驚きの余り俺は声を荒げてしまう。父親の口からははじめて聞いた言葉であり思わず自分の耳を疑った。風俗に行く金なんて家には無かったのもあるが。
こんな父親でも母さんが生きているときでは働きはしないものの母さんにはぞっこんで浮気なんて絶対にしなかった。母さんが死んだ後でも再婚相手どころか女性の匂いすらなかったのに。まあ、働かず、過労死においこんだ時点で言動は矛盾しているが。
「めずらしいね。その、ふ、風俗で何をするの。」
再度確認するために恐る恐る聞く。
「ばかやろう!セックスに決まってんだろ!」
さも当たり前かのように言ってくる。俺は思わず吹き出してしまった。未玖はと言うと顔をリンゴのように真っ赤に染めてうつむいていた。
「つう訳で、今日は帰りが遅くなるからな。今日はお前達が風呂に先に入って良いぞ。」
そう言うと、何かブツブツ言いながら準備をして駆け足で早々と出て行ってしまった。
父親が出て行ってからもしばらく沈黙が続いた。俺は勉強の続きをしている中、未玖はと言うとずっと、うつむいていた。気まずい空気が流れ始める。時間は八時三十分を回っていた。
「み、未玖。明日も学校だよな。先にお風呂入っていっても良いぞ。」
目線はノートに向けたまま試しに声をかけてみる。返事はない。
「未玖!」
今度は未玖の方へ向きながら大きな声をかける。未玖はビクンと体を揺らすと俺の方へ体を向けた。
「な、なに。」
「お風呂、先入っていいよ。」
「本当に!?ありがとう。」
未玖は終始うつむきながら風呂場へと走って行き、ガコンと洗面器の音とシャワーの音がしている。
俺はその音に耳を傾けながら勉強を再開したのだ。
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