21回目の卒業式

成井露丸

🌸

 桜の花びらが宙に舞う。桜は入学式ではなくて、卒業式の象徴になった気がする。

 21回目の卒業式。巣立っていく中学生たちの晴れやかな笑顔は毎年変わらない。

 それに素直に感動できなくなってきたのは、きっと私が若さを失ってきたからだと思う。

 でも今年は違うのだ。今年は遂に違うのだ。


「美里先生〜、一緒に写真撮ってくださいよ〜」

「はいはい、いいよぉ〜」


 教え子たちが私を呼ぶ。革靴のヒールに気をつけながら小走りに桜の木の下へ。

 21年前にこの中学に国語教諭として着任した頃の生徒たちは年の離れた後輩みたいだった。みんなと自分の関係は、世代の舗装で敷き詰められながらも地続きだった。年の差はあるけれど、どこか同じ体験を共有している気がしていた。

 そういう共感が出来なくなったのはいつからだろう。想像でしか中学生たちの感じる心を推し量れなくなったのはいつからだろう。


 30代に入り、40代に入り、私にとって一人ひとりの中学生たちは、流れ行く一粒一粒になっていった。一人ひとりと大切に向き合いたいのに、あまりに多い出会いと別れは、一人ひとりを私にとってワンオブゼムにしてしまう。

 一体何人の「中村さん」を、「鈴木さん」を、「尾崎くん」を見送っただろう?

 卒業証書だってもうプリントアウトされた量産品みたいに見えてしまう。

 そんな風には思いたくないのに。一瞬一瞬を新鮮に感じたいのに。

 一人ひとりのことをまっさらな気持ちで送り出したいのに。


「――でも、美里先生も卒業なんですね? びっくりしましたよ〜」

「あら、聞いちゃった? そうなのよ」


 集合写真を撮って一息ついていると、髪を綺麗に結った少女が私に近づいて来た。

 三年二組の吉野さん。明るくて、真面目で、元気の良い娘だ。

 生徒会では美男子の会長を支えて副会長をやっていた。付き合っているって噂。

 受験にも成功してこのあたりでは一番の公立高校へと進学していく。


「じゃあ、同窓会とかで学校に戻ってきても、美里先生いないんですね。残念だなぁ〜」

「ふふふ。ごめんなさいね。でも同窓会なら呼んでくれたらちゃんと行くわよ? そもそも同窓会ってレストランとかどこか別の会場でやるものだし」

「あっ……そっかー! 確かにっ! じゃあ、先生、卒業記念にLINE交換してよ! もう在校生じゃないからイイでしょ?」

「うーん。まぁ、いいかな。私もこの学校の先生じゃなくなるわけだし」

「だねっ! やたっ!」


 吉野さんはスマートフォンを取り出した。

 本当は学校での携帯利用は禁止なんだけど、今そんな堅苦しいことは言えない。

 私もスマートフォンを取り出して、LINEのアプリを開いた。


 教師になって21回目の卒業式は、私自身のとって1回目の卒業式だ。


 子供たちの相手を21年間やってきた。大学を卒業してすぐの就職だった。

 働きだしてからは目が回りそうな日々だった。自分でも真面目で損するタイプだとは思っていたけれど、まんまとその罠にはまってしまった。

 中学校は想像以上の閉鎖空間で、出会いなんて無かった。

 同僚には生徒の父親と不倫しちゃった子もいて「マジかー!」ってなったけれど。


 30歳を目前にして「流石にこれではヤバい!」と合コンだとか友達の紹介とかで相手を探した。でも結婚に繋がるような出会いは無かった。30代半ばを過ぎるとなんだか悟りを開いてしまった。良い男性を探す努力も怠って、お一人様を満喫し始めてしまった。それまでは焦り気味にせっついてきた両親もその頃にはもう「お手上げ」って感じだった。


 四〇代が迫り「アラフォー」という恐ろしい言葉が「未婚」という接頭辞を添えてやってきたころ、私に転機が訪れた。小説を書き始めたのだ。そしてWEB小説サイトへと投稿を始めたのだ。――きっかけはよく覚えていないのだけれど。


 楽しかった。それまで真面目に取り組んでいた中学のお仕事もさぼり気味にして、いっぱい書いて、いっぱいアップした。アラフォーにもなれば学校でもそこそこのベテラン勢。だからその気になればうまく仕事の手だって抜けた。

 すぐに上手く行ったわけじゃなかったけれど、WEBサイトでは少しずつ読者も増えた。コンテストや公募にも挑戦するようになった。SNSでやり取りする人も増えてきて、直接オフで会ったりもするようになった。

 ――そして広がった人間関係は、私に奇跡みたいな偶然を連れてきたのだ。


「美里先生も、ついに卒業ですね。おめでとうございます」


 職員室に戻って机の上の資料を整理していると、数学の阪本先生が声を掛けてきた。


「ありがとうございます。生徒たちみたいに卒業式が終われば綺麗サッパリおしまいって訳にいかないのが残念ですけど」

「それは仕方ないですよ。僕らは大人だから。後片付けのお役目がありますからね〜。――でも、美里先生、本当に辞めちゃうんですね。未だにビックリですよ。美里先生は生徒たちからも人気あるから残念です。中学で男子生徒から告白されるような先生はそうそういないんですよ〜。高校ならまだしも」

「もう、いつの話ですか。十年以上前の話を持ち出さないでください。流石にここ五年くらいはありませんよ」

「――って三〇代半ばでもあったっことだ?」

「……否定はしませんけど」


 中学生の男子にモテても仕方ないのだ。――基本的には。

 モテるなら結婚適齢期の男性にモテたい。ずっとそう思っていた。


「――でもそんな美里先生もついに年貢の納め時ですか? 聞きましたよ〜」

「なんですか、年貢の納め時って!」


 なんだか私がやんちゃでもしていたみたいに聞こえるじゃない。


「今日入籍されるらしいですね。おめでとうございます」

「あ……ありがとうございます。私、阪本先生に言いましたっけ?」

「どうだったかな? でも、職員室の全員が知っていますよ?」


 彼はそう言って爽やかに笑った。私は少し苦笑いする。個人情報なんて無いよね。

 でも、阪本先生に祝福されるのは嬉しくもあり、微妙でもあった。


 彼の方が一年早く着任したのだけれど、大体同年代。そういうこともあって、何かと噂をたてられることもあった。彼は結構男前で良い人で、そういう噂を立てられるのは、正直なところ嫌じゃなかった。実際に20代の終わり頃、良い雰囲気になりかけたことがあった。でも、結局何もなくて、阪本先生は次に付き合った女性と30代の頭に結婚した。

 まぁ、そこまで好きだったわけでもなかったから、良いのだけれど。

 でもその後十年も自分が未婚でいる予定はなかったし、後々ちょっと悔しかった。


「――美里先生。今日はもう帰って大丈夫ですよ? 後の事はやっておきますから」

「あ――でも」

「今日はいいですよ。どうせ生徒と違って、美里先生は明日も来ないといけないんですから。後片付けする時間はまだまだあります。――新郎が待っているんでしょう?」


 阪本先生が職員室の壁掛け時計に目を遣る。その視線を追った。

 時計の針はもうすぐ三時だ。


「新郎って……。結婚式じゃないんですから」

「変わりませんよ。市役所で入籍する日なんだから。ある意味、結婚式ですよ」

「――じゃあ、お言葉に……甘えて」

「ええ、杉森くんによろしく伝えてくださいね。おめでとうって。ねっ、新婦さん!?」

「もうっ! からかわないでくださいよ。……でも、ありがとうございます。阪本先生」


 私はスーツのジャケットを羽織り、クリーム色のコートをハンガーから手に取る。

 そして職員室の出口に向かった。


「では――お先に失礼しますっ!」


 校門を出ると、横断歩道の向こうに、空色のフィットが見える。彼の車だ。

 駆け足気味に横断歩道を渡ると、彼の運転する車の助手席へと滑り込んだ。


「お待たせ、杉森くん」

「お疲れ様。先生」


 シートベルトをつける。彼はハンドルに手を掛けたまま振り向く。

 凛々しい顔立ちには、まだ昔の幼さが残るけれど、やっぱり随分と大人になった。


 もう17年前、まだ20代だった私に告白してくれた中学生の男の子。

 いまはもうアラサーの立派な社会人。私は今日、十歳年下の彼と――夫婦になる。


「大丈夫? 出発していい?」

「うん、大丈夫だよ。市役所だよね? ……市役所なのにめっちゃドキドキするなぁ〜」

「ははは。大げさだなぁ、先生は。でも人生の節目だもんね? うん、ドキドキしよう」

「――ねえ、杉森くん? さすがに今日で『先生』って呼ぶのおしまいにしない?」

「う〜ん、でも先生は先生だからなぁ。それにこれからもっと『先生』になるんだし。――あ、書籍化おめでとう! 三冊買っちゃったよ?」

「わー、ありがとー、杉森くん、愛してる〜!」


 彼と再会したのはWEB小説書きによるオフ会だった。

 そこでフォローしていた作家さんが、自分の教え子――杉森くんだと知った。


 その昔、何の気の迷いか、十歳も年上の私に告白してきた中学生。

 最初はその偶然にただ驚いた。それから彼と連絡を取るようになった。

 そして一年が過ぎて、――去年のクリスマスイブに告白された。


『やっぱり今でも好きです。結婚を前提にお付き合いしてください!』


 こんなことがあるんだなぁ〜! って思った。

 ちょうどコンテストで受賞が決まって、書籍化作業が進んでいた頃だった。

 今の仕事に閉塞感を覚えていて、受賞を機に専業作家を目指したいと思い始めていた。

 そのことを彼に話すと「応援する」って言ってくれたのだ。


『僕が先生を養ってあげるから、だから先生は目指してよ。専業作家!』


 杉森くんの瞳はアラサーになっても、告白してくれた中学生の頃と変わらず澄んでいた。


「じゃあ、行こうか? 美里先生。僕らの新しい結婚生活に向かって」

「――うん。レッツゴー!」


 教師になって21回目卒業式は、私自身のとって1回目の卒業式だ。


 それは新しい人生のスタートなのだ。

 アラフォーになっても未来は変わる。

 

 やがて車は動き出した。私たちの未来に向かって。


 (了)





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