第5話 前編

 深夜零時。

 ミハシラ市ハバキリ町。

 高層マンション最上階。

 その一室。


 その部屋で一番目を引くのは、昭和初期のブラウン管テレビをリメイクしたアンティークな水槽だろう。

 この部屋の主の、死んだ両親のお気に入りの水槽だった。


 水槽には、10匹ほどの金魚が泳いでいた。


 その金魚たちは、9年前、家族全員で最後に出かけた夏祭りに、金魚すくいの出店で、妹にだだをこねられ、父といっしょにすくった金魚たちだった。


 その数日後に起きた一家惨殺事件の後、部屋の主が水槽に、血を一滴たらすと、金魚たちは一匹も死ぬことなく、九年間生き続けている。


 水槽の他にも、アンティーク感やスチームパンク感を漂わせる一点ものの家具ばかりが部屋には並んでいた。

 両親の集めた大切なもので、遺品だった。


 部屋の主の名は、秋月レンジ。


 ベッドで眠るレンジは、胎児のような姿勢で眠っていた。


 その姿勢が、彼が一番よく眠れる姿勢だった。

 妹のりさといっしょに寝ていたころは、寝相の悪いりさがベッドから落ちないように、柵の役割を兼ねた姿勢で寝ていたから、安眠できたことがなかった。


 りさが甲斐千尋と眠るようになって、彼はようやく安眠を手にいれた。


 だが、彼の安眠を邪魔するのは、りさだけではなかった。


「秋月レンジ、聞こえるか?」


 比良坂ヨモツだ。


 レンジは、寝ているときもコンタクトレンズ型通信機をつけており、めったにはずすことはなかった。

 コンタクトレンズ型通信機は、それ自体に眼球の乾燥やレンズの汚れ、異物の混入を探知し、潤いを与え洗浄する機能がついていた。

 だから、一年中つけっぱなしでも、眼球に一切負担がない。

 もっとも彼の肉体が持つ回復力があれば、通常のコンタクトレンズのように眼球に負担がかかる代物であったとしても、まったく問題はないのだが。

 問題があるとすれば、それは真夜中の比良坂ヨモツからの通信だ。


「ん、比良坂さんか?」


「寝ていたのか、すまないな」


「また神隠し?」


「神隠しではないが、それに非常に近い状況にコヨミがいる」


「コヨミちゃんが?」


「コヨミは今かなりの泥酔状態で、口にするのもいやなんだが」


「合コンでお持ち帰りされそうなんだな?」


「察しがよくて助かるよ」


「場所は?」


「大正ロマン食堂だ」


「また随分と安上がりな店だな」


「男は四人。今データを送る」


 レンジのコンタクトレンズ型通信機越しの視界に、送信されたデータが映し出される。


 名前や住所、年齢をはじめ、学歴、資格指紋、網膜、DNA、SNSのアカウント、病歴、逮捕歴あるいは補導歴、さらには恋愛遍歴まで……

 国がマイナンバー制度を利用し始めた頃には、そういった国民一人一人の個人情報が番号ひとつでわかるようになっていた。


「安上がりな店の割には、なかなかいい大学の学生だな」


「国公立大学の、将来この国を背負って立つ連中だ。車の車種とナンバーも送る」


「背負って立つと言っても、あんたらのいる評議会ってやつの駒になるだけだろ?」


「そうだな。だが、駒があるから将棋もチェスもできる」


「神殺しもか?」


「嫌味な質問をするね、君は。まぁいい、話を戻そう。

 四人の学生だが、このまま車に乗って帰れば飲酒運転、コヨミを連れ去れば誘拐、拉致、監禁、考えたくはないが、強姦もありうる……輪姦もか……

 酔いが覚めた頃に自分達がしでかしたことに焦り、死体損壊、死体遺棄……

 うぅ、吐き気がしてきた……」


「おいおい、大丈夫か?」


「なんとか……今、吐き気止めを血液に直接注入したところだ。悪いが頼めるか?」


「コヨミちゃんをか? それとも、この国を背負って立つ連中か?」


「コヨミに決まっている。現状駒ですらない連中などどうでもいい」


「それにしても、コヨミちゃんが合コンねぇ、意外だなあ」


「数あわせで参加したようだが、他の三人とコヨミじゃレベルが違いすぎたようだ」


「かわいいからな、コヨミちゃん。なんだっけ? 森ガール? っていうんかな」


「森ガール……確か狩人のようなファッションではなく、森にすむ妖精のようなファッションだったか……

 それに入るのか? コヨミは……

 女の子のファッションには疎いから、なんともいえないが。

 ああ、しかし、常日頃から思っていたことだが、身内の贔屓目かもしれないが、実写映画版ハチミツとクローバーの蒼井優と並ぶかわいさだと思っている」


「シスコン、ここに極まれりだな」


「うるさいな、シスコンは君も同じだろう?

 しかし、それにしても、こんなに泥酔したコヨミを見るのははじめてだ」


「さびしいんだろ、たぶん。あんたがいないから」


「だとしたら、ぼくの責任だ。しかし、ぼくは助けにはいけない。

 コヨミのもとへ駆けつける脚も、コヨミの手を握る手もぼくにはない。

 だから頼む」


 それは、レンジがはじめて聞く、必死の懇願の声だった。

 自分が逆の立場なら、自分もなりふりかまわず、同じようにしていたろう。


 コヨミはレンジにとっても、りさとは比べ物にはならないが、甲斐千尋と同じくらいには大切な存在だった。


 だから、レンジは、真夜中に泥酔してお持ち帰りされそうになっている友人の妹を迎えに行く任務を引き受けた。

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