第4話
毎晩のように、秋月レンジは悪夢を見る。
14歳の誕生日を迎えた日の夜、現実に起きたこと。
それが脳の海馬に鮮明に記憶されており、繰り返し繰り返し再生されるのだ。
目の前で、白いのっぺらぼうの巨人に父を喰われ、母を喰われ、妹を喰われ、そして自分が喰われる。
自分が死んだ瞬間を覚えている。
小さいながらも一軒家を建てたばかりの父の自慢の北欧風のリビングが、壁から床、天井、家具、バースデーケーキまでが血に染まり、むせかえるようなにおいがしていた。
そして、死んだはずの自分が何故か目を覚ましたとき、白いのっぺらぼうの巨人の姿はなく、目の前にはひとりの男がいた。
その男の両腕は、手首から先がなく、守護霊のような存在を背にしていた。
守護霊のような存在は、小柄だが、美しい顔立ちをしており、ヘイアンかカマクラ時代くらいの甲冑にアイヌとモンゴルの文化を加えたような不思議な格好をしていた。
「棗(なつめ)の」
と、守護霊か何かが、男の名らしきものを呼ぶ。
「我はこれまで戯使(ぎし)を山のように斬ってきたが、まさか神までも斬ることになるとは思わなかったぞ」
「ぼくもだよ」
「そなたの持つ偽史倭人伝は、狐の子のオンミョージをもって空白の頁をすべて埋め尽くしたはずではなかったのか?」
「棗家に伝わる偽史倭人伝は下巻にすぎなかったんだよ、ヨシツネ公」
「なるほど、オンミョージから与えられたそのすべての頁が空白の本が、上巻だったというわけか」
「そう、この国の人の歴史の前にある、神の歴史、神が神であることを自ら棄てたのか、評議会の仕業なのかはわからないけれど、八百万の神はすべて偽史に貶められた。
ぼくはこの上巻、偽史倭神伝もまた、すべての頁を埋めなければいけない」
「それが、評議会によって偽史に貶められた真実の歴史の収集、管理、隠匿を代々義務づけられてきた棗家の次期当主としての責務というわけか」
「棗の家は関係ないさ。この国の真実の歴史をぼくはただ知りたいだけ。ひとりの歴史教師としてね。
また付き合ってもらうよ、ヨシツネ公」
「我は戯使遣いであるそなたに使役されている身。そなたのしたいようにすれば良い。それに、我も興味がある。この国の真実の歴史とやらに」
「ありがとう。君はぼくの最高の友人だ」
その守護霊のような存在は、両手に持つ刀を、男の手首がまるで刀の鞘であるかのように納めると姿を消し、男は床に落ちていた義手の両手を拾って手首にはめた。
「どうやら目が覚めたようだね」
男は優しくレンジに声をかけた。
「まだ君の体は再生の途中だ。手足の先は見ないことをおすすめする」
見るな、と言われれば見たくなるのが、人の性(さが)というものだ。
壁に体をもたれかけさせられていたレンジが自分の腕を見ると、それは肘までしかなく、その先端からは白いミミズのようなものがうねうねと動いていた。
悲鳴をあげるレンジを見て、
「だから見るなと言ったろ?」
と、その男は言った。
「そのうねうねしてるのは、ミミズじゃない。間もなく君の筋肉や骨になるものだ」
「まったく君は人が悪い。見るなと言われたら見たくなるのが人の性よ。ましてや子供ならなおさらのこと」
男の背後に、今度は狐顔の背の高いオンミョージ風の男が現れた。
レンジの体中に、達筆すぎてなんと書かれているかわからないお札のようなものが次々にぺたぺたと貼られていく。
「少年、その札には治癒促進の効果がある。その特別な体に効くがどうかはさだかではないが。
君はしばし眠るといい。もう一度眠り起きたときには、君の体は元通りになっているだろう」
急に眠気がレンジを襲った。
うすれゆく意識の中で、男と、オンミョージの姿をした守護霊のようなもの、戯使という存在の会話を聞いていた。
「しかし、棗よ、神は本当に喰らった人間のDNAといったか、人の設計図のようなものを記録しているのだな」
「ぼくもそれには驚いた。
神自身にもおそらく、自身の肉体の一部を切り離して、人を再構築する力があるのだろう。
ぼくが肉片に触れて、微弱な電気信号を流すだけで、この少年の体が再構築され始めたくらいだから」
「このような能力を神が持っているとなると、本当に人を餌として喰らうためだけに生み出したのか疑問に思えぬか」
「そうだね。70億まで膨れ上がった人類が、今さら滅亡の危機に瀕するなんてことは、超巨大隕石が落下するとか、太陽が寿命を迎えて爆発するレベルの天災が起きて、氷河期が訪れでもしない限りないだろうけれど」
「その氷河期に、人は滅亡するかもしれないが、神はおそらく生き延びる。
人のDNAを保存し続け、氷河期が終わると自らの肉片から人を再生する」
「もしかしたら、神は、ぼくたちには想像もつかないような存在に、方舟のような役割を与えられているのかもしれない」
ふたりがそんな話をしていたのを、なんとなくではあるが、レンジは覚えている。
そして、再び目を覚ましたとき、男の姿もなければ、白いのっぺらぼうの化け物の死体もなく、レンジの隣には妹のりさが眠っていた。
しばらく、りさの寝顔を見つめていると、りさは目を覚まし、
「レンジ、おたんじょうび、おめでとう」
と言った。
おそらく、あの男が神と呼んでいた白いのっぺらぼうの化け物の肉片からレンジ同様りさを再生したのだろう。
男は、父と母も再生してくれようとしたようだ。
しかし、ふたりの再生はかなわず、りさには見せられないようなおぞましい姿で床に転がっていた。
繰り返し見る悪夢から目を覚ますたびに、レンジは思う。
自分や妹は、あの男に再生されてよかったのだろうか。
再生されなかったほうがよかったのだろうか。
だが、レンジのそんな考えは、
「おはよう、レンジ」
りさの笑顔ひとつで吹き飛ぶのだ。
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