第1話 前編
ミハシラ市は、近隣の複数の市のベッドタウンだ。
また外国人移民の受け入れを積極的に行っており、ひとつの市において外国人が占める人口の割合は、クレヘニコウで一番であった。
市内にある飲食店で世界中のほとんどの料理が食べられるくらいには、多国籍化が進んでいた。
「五分前だろ? 神隠しが確認されたのは?」
市営環状トリフネ線のオハバリ駅前のロータリーに、秋月レンジが呼び出されたのは、夜七時を過ぎた頃だった。
仕事を終えた大人たちの、いわゆる帰宅ラッシュの時間帯で、乗車率180パーセントの快速列車から、大半の乗客がこの駅で降りた直後のことだった。
「正確には5分37秒前だよ」
「それにしては、火のまわりが随分早くないか? メンタルクリニックの向こうの歯医者まで燃えてるぞ」
駅の半径数十メートルが、ガスバーナーのような青い炎に包まれた、駅前のロータリーを秋月レンジは歩いていた。
あちこちで、人が燃え、悲鳴を上げている。
なぜ自分が燃えているかさえもわからずに。
それが、数人規模ではなく、数十人規模で起きていた。
「それは大変だ。急がないと君の行きつけのインドカレー屋と1000円カットの床屋も燃えてしまうね」
「床屋じゃねぇし、美容院だし」
「あれを美容院と言ったら、コヨミがなんていうかなぁ。
確か2ヶ月に一度はカットやカラーリング、その他もろもろで二万円近くかけてたような気がするなぁ」
「床屋でした! すみません!!」
レンジの語彙では陳腐な上に、前回と同じ表現になってしまうが、今回もまさに地獄絵図と呼ぶにふさわしい光景だった。
「神隠しっていうか、放火魔だな、こりゃ。しかも相当たちが悪い」
「ただの火事とは違うからね。
レイヤードレベルゼロの建築物の耐震・耐火構造は、十年ほど前の巨大地震以来見直されたが、上位レイヤード世界の火や地震にとっては無意味なんだよ。
まあ、だからこそ、こちらには街中にヒヒイロカネがあるわけだけど」
「なるほどね」
「目標のレイヤードレベルはまだ不明だが、ベッドタウンであるこのミハシラ市の、帰宅ラッシュのこの時間帯に、駅前のロータリーを目標が狩り場に選んだことが、何を意味するかわかるかい?」
「敵は頭がいい。そういうことだろ?」
「まがりなりにも、元・神なだけはあるってことだね。
先日君が倒した、カマイタチ現象を引き起こすアンサーもなかなかに頭がよかった。
あの日、あの時間は、長年続編が作られず、ようやく来年の公開が発表されたアニメ映画の冒頭10分が、スクランブル交差点周辺のビル群にプロジェクトマッピングで映し出されていたらしい」
「へー」
「そういえば、回収されたサンプルから、あのアンサーはシナツヒコだったモノだと判明したよ」
「シナツヒコ?」
「この国の神話におけるヤシマ、つまりクレヘニコウという島国を作ったとされるイザナギとイザナミ。シナツヒコは、その二柱が産んだ数えきれないほどの子どもたちの一柱で、風の神だ」
ヨモツと通信中のレンジの真横で、停車中のタクシーが爆発した。
タクシーを一瞥すると、ちょうど後部座席に乗り込もうとしていたビジネスマンの体が千切れとんでいた。
レンジは片腕で顔だけをかばい、ビジネスマンの衣類や肉片から服に燃え移った火を、もう片方の手で払う。
「地震、雷、火事、親父っていうけどさ……
ん?あれ?なんかへンだな。地震も雷も、火事を引き起こすだろ?
親父は雷を落とすけど、その雷はちゃぶ台返しの比喩で、焼肉や鍋でもしてなけりゃ火事にはならない。
あれー? どうしたんだろ…… んー、ま、いっか……
一番怖いのは結局火事なんだよなー。
あ、やっぱ、これって……」
レンジは自分の体に異変を感じていた。
「人は火を扱うことを覚えたからこそ、今日の発展があるわけだけどね。
それすらも、匣や評議会によってもたらされたものかもしれないが……」
「比良坂さん、今なんかしゃべった?
ごめん、今の爆発で鼓膜がやぶれたみたいだ。
骨伝導で比良坂さんが何か喋ってんのはわかるんだけど」
「君の治癒能力なら、鼓膜程度の再生なら数分だよ」
「だから聞こえないって」
火ダルマになった運転手が、アスファルトの上でのたうちまわっているが、レンジにはどうしてやることもできない。
絶命するか、意識を失うか、どちらにせよ動かなくなるまで数分はかかるだろう。
そのたった数分が、本人には何十分、何時間にも感じるに違いなかった。
レンジは、その体の中を流れる液体金属でもあり血液でもあるヒヒイロカネで、刀を精製した。
サムライという大昔にいた人々は、責任をとるときにはハラキリというものを行っていたらしい。ハラキリの際には、その首をはねて楽に死ねせてやる介錯人という存在がいたそうだ。
苦しむ男を介錯をしてやることが救いになるのなら、してやるべきなのかもしれない。
だが、それは、現代においては殺人という許されない行為だ。たとえ安楽死と表現したとしても、殺人は殺人だ。
だから、レンジは、殺さないし、殺せない。
その姿を目に焼き付け、心に刻む。
そんな死を待つだけの人々がロータリーには点在していた。
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