プロローグ 後編

 神の世界、高天原(たかまがはら)。

 人の世界、葦原中国(あしはらのなかつくに)。

 死者の世界、黄泉(よみ)の国。


 世界は重ね着をしている。

 すべての世界は同じ場所に存在するが、人には神や死者の存在を知覚できない。


 まれに幽霊を見ることができる者がいる。

 神の声を聞くことができる者がいる。


 しかし、同じ場所に存在はしても、異なる世界を認識できる者はごくごく少ない。

 下位レイヤード世界からは、上位レイヤード世界をうかがい知ることはできない。

 それが、この世界の理(コトワリ)だ。



「しかし、世界の理は破るためにある。そうだろ?」


「神の作った理に、人が従う必要はないからね」


「人が、神にいつまでも遠慮してる倫理とかいうやつもな」


「転送完了。そこから目標は見えるか?」


「いた! スクランブル交差点のど真ん中だ。数、一匹? 一体? 一柱? どう数えたらいい?」


「単位が難しいところだね、確かに。君の視界を通してこちらも確認した。

 あれが、かつて八百万の神々と呼ばれた存在の成れの果てか」


「そして、今俺の目の前で起きていることが、神隠しの正体……」


「そう、人は神の餌として産み出され、地上は神の餌場でしかない。ぼくたちは養豚場の豚と変わらない存在なんだよ」


「豚もうまいけど、俺は鶏肉だな、やっぱり」


「君の趣味嗜好には興味ない。竹筒の鶏つくねは最高だけど」


「はいはい、目標は全長3メートルほど、のっぺらぼうの白い巨人。巨人と呼ぶには小さいか」


「大きさに多少の差異はあるが、のっぺらぼうに白、これまでに確認が報告されている連中と同じだな。

 どうやら、あちらさんも君の存在に気づいたようだ。気を抜くなよ」


「当たり前だ。最初から全力で行く」


「それは困る。なるべく距離を保ち、戦闘を長引かせてくれ。目標の能力を分析したい」


「めんどくさ」


「分析は大事だぞ。君が死んだら、りさちゃんが悲しむからな」


「ちっ、わかったよ」



 神話は、人の時代へと移り変わるにつれ、神々の世界についての記述がなくなっていく。


 神々の国から降り立ったこの国の初代国王の時代から102600年あまりが経過していた。

 神々の世界に何があったのかは知らないが、神々は堕ちた。


 それはもはや何という名の神であったのかさえわからない。


「わかるのは、風にまつわり、それほど神格が高くはないということだけか。

 カマイタチ現象の殺傷能力を分析した。

 八十三式にデータを送信し、形状を変化させる」


「きたきたきた! 便利だな、この強化外骨格(パワードスーツ)の素材は」


「その液体金属ヒヒイロカネは、神の金属と呼ばれていたものだ。君の血液中の鉄分、いや、君の血液そのものだ。

 微弱な電気信号を与えることで、いくらでもその姿形を変えることができる。

 その新しい姿は、カマイタチを無効化する。懐にさえ飛び込めば君の勝ちだ。武器を精製する必要もない」


「拳で体を貫けとでも? 首をへし折るとか?」


「君が今カマイタチ現象を無効化できるのは、」


「この形態の八十三式なら、あいつと同じカマイタチ現象を起こして相殺できるからだろ」


「ご名答」


「零距離からのカマイタチ現象、試してみるか」




「目標の殲滅を確認した。

 肉片や血液、体液などは、こちらの研究班がサンプルとして回収する。

 君はすぐにレベルゼロに帰投してくれ」


「わかった。一応礼を言っておくよ。あんたのおかげで無傷でりさのところに帰れる。ありがとう」


「それがぼくの仕事なんだが、礼を言われて悪い気はしないな。

 どういたしまして。それから、ご苦労様」


「あんたもな」


「今回の形態には、今後いつでも形態変化が可能だ。

 それから、カマイタチ現象は今後自動防御システムとして、高い効果を発揮することが想定される。

 君の八十三式のすべての形態で使用可能にしておく」


「それはありがたい。それで、今回の報酬の件だけど」


「毎月月末締めの15日支払いだぞ。15日が土日祝日の場合は、後払いになる」


「金はいい。そのかわり、りさに母親の愛を教えてあげたい」


「君が、いや、君たち家族が、神隠しの被害にあったのは9年前だったか」


「りさはまだ五歳だった。母親のことをあまりおぼえてないんだ」


「今回の生存者の中から、りさちゃんと君の母親役に適任の女性を探しておこう」


「りさの母親だけでいい。俺の母親はあの人だけだから」


「わかった。人の記憶なんてものは、いくらでも操作できる。愛情さえも書き換えられる。

 たとえそれが真実のものでなくとも、君が望む形の母親を用意しよう」


「ありがとう。そのかわり、といっちゃなんだけど、約束する。

 俺は目の前で、両親を喰われた。

 だから、奴らは必ず皆殺しにする。神だろうが、元・神だろうが、知ったことか」


「君の覚悟が聞けて良かったよ。では、通信を切る」




「りさちゃんも喰われたんだよ。

 そして、君もね。

 誰が君たち家族を食い散らかした存在を殺したかまではわからないが、一家殺害事件として処理されたそれは、評議会が持つ「匣(はこ)」にあらかじめ預言されていた。

 君たち兄妹が、殺された神の肉片から再生されたこともまた預言の通り。

 神は喰った人間の遺伝子を記憶し、その肉片は微弱な電気信号を与えることで、喰った人間を再生する。

 君は神の血肉から生まれ変わった。

 人でもなければ、神でもない。

 ぼくの名は比良坂ヨモツ。

 黄泉比良坂より戻りし者。

 ぼくの体には、手足がない。

 ぼくの手足を食いちぎった奴を見つけるまでは、利用させてもらうよ、秋月レンジ」




「悪いな、比良坂さん、そっちが通信を切っても、あんたの独り言はこっちには丸聞こえなんだ。

 で、こっちの声はあんたには聞こえない。いや、あんたらかな。

 あんたらが、俺を利用できるだけ利用する気なのは最初からわかっていた。

 俺も、そのつもりだ。利用できるだけ利用させてもらう」

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