21回目の人生、1回目の恋

八百十三

21回目の人生、1回目の恋

 嗔木いかるぎ那巳留なみる。18歳、男性。有名国立大学の理学部に入学したばかり。幼い頃から神童ともてはやされ、多彩な才能を若いうちから開花させてきた。

 学内でも早速噂になり、女子学生が黄色い声を上げながら見る中、那巳留本人は物憂げな表情をして気の抜けた返事を返していた。


 何故か。つまらないからだ。

 何故つまらないのか。もう何度も経験してきたことで飽きたからだ。


 転生能力者。死を迎えても記憶を保ったまま次の生を歩む者。那巳留はその能力者だった。

 地球上の色んな国で生まれ、様々な時代に生まれた。男にも、女にも生まれた。王族にもなった。ホームレスも経験した。別の世界で勇者もやったし、魔王にだってなったことがある。

 だから21回目の人生を歩み始めた時、彼は心の底から落胆したのだ。

 『また・・』人間か、と。また人間として生きなくてはならないのか、と。

 彼は人間として人間の中で生きていくことにうんざりしていた。これなら猫として生きる方がなんぼかマシだ。

 人間の醜さを知っている彼だ。恋愛なんて興味もない。パートナーを持ったことは種を問わず何度もあるが、それは獣がつがいを求めるのと何ら変わりはない。


 だから。

 大学の構内でピアノサークルの上級生が那巳留を見つけ、ピアノのコンクールで金賞を取った事がある彼を知っていて、歓迎会に引っ張り込んだ時も、「ピアノを共に楽しめる友人でも出来れば」くらいの心持ちだったのだ。


「ここがうちの部室だよ」

「……失礼します」


 自分に声をかけた小古呂おごろさんに案内されて入ったサークルの部室は、そこそこの広さのある音楽室だった。

 中では上級生と新入生がグランドピアノの周りに集っている。誰かがちょうど演奏しているところだ。室内には弾けるようなピアノの音が響き渡っている。いい音だ。

 と、二人の入室に気がついたサークルのメンバーが振り返る。


「あ、小古呂くん、おつ……って、えぇっ!?」

「ちょっ、後ろにいるのって、まさか……」


 そして那巳留の顔を見た面々は、一様に驚きを顕にした。それはそうだろう、顔はこの場の誰もが見たことがある。小古呂さんが自慢げに胸を張った。


「ああ、あの嗔木那巳留を連れてきたぞ」

「うっそー!?」

「小古呂先輩、すげー! 超有名人!」


 途端に、小古呂さんと那巳留を室内にいた殆どの人間が取り囲んだ。男子も女子も、きゃーきゃー言いながら那巳留に声をかける。


「すごいすごい、嗔木くん、弾いて弾いて!」

「ピアノ、すぐ開けるから!」


 那巳留を取り囲む面々だけではない、ピアノを今まさに弾いている男子でさえも、演奏を終えようとしている。流石にそれは、弾いている彼にも申し訳がなくて、那巳留は慌てて首を振った。


「あ……いや、俺はそんなつもりじゃ。それに弾いてるのに、悪いですし」


 ここで自分の実力を発揮するのは本意ではない。自分が弾いたら、絶対に他の皆を圧倒してしまうだろうから。

 そして敢えて尻込みする那巳留に助け船を出すように。小古呂さんが口を開いた。


「そうとも、安瀬あんぜくんはまず最後まで弾ききれ。そしてお前ら、ここは逆に考えるんだ」


 一度言葉を切りながら、彼は居並ぶサークルの面々、そして新入生を見つめて言う。聞けば彼はこのサークルのトップに位置する人間だと言う。なればその言葉には重みがあるだろう。


「嗔木那巳留のピアノの演奏はいくらでも聴けるが、嗔木那巳留を前にしてピアノを弾く機会がどれだけあると思う? 彼がその気になってくれたら、その機会は格段に増える。自分の腕前を見せつけるチャンスだぞ」

「え……」


 だが、彼の口から発せられた言葉に那巳留は戸惑った。

 自分はあくまでも、ピアノを通して通じ合える友人を探しに来ただけなのだ。それが、自分がこのサークルの人間を審査するようになっている。

 だけど、自分が付き合うに値する人間がいるかどうか、見るのは大事だ。ここは乗っかろう。そう決めて那巳留は頷く。


「うん、俺も、皆さんの演奏、聴きたいです。皆さんのレベルも知りたいですし」


 そしてその言葉に、全員の背筋が伸びた。嗔木那巳留がここに居並ぶ面々のピアノの腕前を見るのだ。緊張もしよう。

 そうしてサークルの上級生から順々に、ピアノの前に座って自身の渾身の一曲を弾いてみせる。その音色は非常に優れたものだ。軽やかな音、重々しい音、それぞれが際立って、バランスを取りながら奏でられている。

 事実、那巳留もその腕前に驚嘆していた。


「へえ……」

「なかなかやるだろ? うちのサークルには金賞を取ったことのある奴が何人かいるんだ」


 ため息をつく那巳留の横で、小古呂さんが自慢げな笑みを見せた。自分の仲間たちの腕前をよくよく知っている彼のこと、相応に自身はあったのだろう。

 そして上級生が一通り弾き終わり、次は那巳留と同じ学年、新入生の弾く番。二年生の青年が一人の女子学生に席を譲る。


「じゃ、山縣やまがたさん、次どうぞ」

「ありがとうございます」


 山縣と呼ばれた女子生徒がピアノの前に座り、一つ息をつく。そして鍵盤に手を触れると。

 びっくりするほどに鮮やかな音色が教室に響き渡った。


「あ……」

「ほお……」


 那巳留と小古呂さんだけではない。その場にいる全員が息を呑んだ。

 華やかで、軽やかで、しかし低音の下支えもしっかりしている、非常にバランスの取れた演奏だ。低音も高音も際立っていて、テンポの崩れもない。

 那巳留は驚いた。こんな演奏を、自分と同年代の人間がすることなど、ついぞ無いと思っていた。


「すごい……」


 自然とそんな言葉が口から漏れる。山縣さんの演奏に心惹かれている自分があった。もう、演奏する姿から一切目が離せない。

 そして、最後の一音を彼女の指が押し切る。


「ふぅっ」


 演奏を終えて一つ息を吐く山縣さん。わっという歓声とともに、拍手が教室を包む。が、それだけではない。

 那巳留も自然と、彼女に拍手を送っていた。類稀なる天才と呼ばれた彼が拍手をする様に、サークルの面々が驚きに目を見張る。


「えっ!?」

「嗔木くん……拍手して……!?」

「あっ」


 指摘されて、那巳留はようやく自分が手を叩いていることに気がついたらしい。恥ずかしそうにはにかみながら、口を開いた。


「凄いですね……なんか、自然に、手が動いていました」

「わ、わー、嗔木くんに褒められちゃった。嬉しいー」


 山縣さんはその事実に、頬を赤らめながら喜んでいた。当然といえば当然だ、世間に名の知られたピアニストに演奏を褒められたのだから。

 そんな喜ぶ彼女に、小古呂さんが声をかけていく。


「山縣さん、すごいね。もしかしてコンクールで優勝したこととかあったりする?」

「あ、はい。一応……」


 問いかけに、はにかみながら答える彼女だ。もしかしたらどこかしらのコンクールで優勝した経験のあるほどの実力者だったのかもしれない。那巳留が知らなかっただけで。

 得難い、心を打つほどの演奏をする実力者に出会えた喜びと、これまで感じたことのなかった高揚感を味わわせてくれた人との出会いに感謝しながら、那巳留はピアノのそばに寄る。


「ありがとうございます、いい演奏でした……お返しと言っちゃなんですけど、次、いいですか」

「えっあっ」


 山縣さんが慌てて場所を開けるのに応じて、那巳留は椅子に腰を下ろす。途端に、サークルの面々の視線がピアノへと向いた。スマホを取り出すのも一人二人ではない。


「わー、嗔木くんの演奏を生で見られるなんて!」

「スマホどこだ、スマホ」


 再び上がる黄色い声援。そんな声など耳にも入らないと言わんばかりに、那巳留は鍵盤を押した。軽やかで歌うような音色が、教室に響き始める。そのメロディーに、何人かの学生が目を見張った。


「あ……」

「この曲って、リスト?」


 リスト作曲、愛の夢第三番。伴奏とメロディーを同時に弾かないとならないために、ピアノ曲としては屈指の難易度を誇る曲でもある。

 その曲目を耳にして、小古呂さんが口角を持ち上げた。


「はーん」


 愛の夢。山縣さんの後に弾くという流れ。これはきっと、偶然や無意識ではない。

 だとしても、随分と奥ゆかしい自己表現だ。


「嗔木くん、意外と恋愛には奥手なのかな?」

「えっ」


 ふと漏らした小古呂さんの言葉に、ちょうど隣に立っていた安瀬さんが振り返る。その意図を説明する間もなく、視線は再び那巳留の弾くピアノへ。

 そして圧巻の演奏を披露した那巳留が、最後の一音を押して息を吐いた。


「うわぁ……!」


 わっと上がる歓声、拍手。まさにピアニストの演奏だ、金を支払ってリサイタルで聴くような演奏を間近で聞いたサークルの面々から拍手が起こる。

 当然、その中には山縣さんもいて。自然と彼女に視線が向く那巳留に、歩み寄った小古呂さんが肩をたたいた。


「やるねぇ、嗔木くん」

「いえ……あんまり最初から飛ばすのも、どうかなと思って」


 はにかみながらそう言葉を返す彼だが、そうではない。小古呂さんはすぐに首を振る。


「いや、そういう意味じゃないんだけどさ」

「えっ?」


 対して那巳留はキョトンとした表情だ。自分のしたことが意味を持つことだと理解していないらしい。

 これは、思った以上に奥手だ。恋愛の経験値が低すぎる。

 そんな事を言外に滲ませながら、小古呂さんは山縣さんに視線を向けた。


「それで、嗔木くんも山縣さんも、うちに入る決心はついたかい? 入ってくれたらお互いのピアノ、もっともっと聞けるぜ」

「えっ」

「えっ」


 その言葉に、二人は顔を見合わせた。同時に互いの顔が赤くなるのを感じる。

 互いに実力を認め合う仲。そのピアノをこのサークルに入れば、サークル仲間として聴くことが出来るわけで。

 こうなれば、迷いはない。互いに顔を真赤にしながら頭を下げる。


「よ……」

「よろしくお願い、します……」


 こうして、嗔木那巳留の長い人生の中での初めての恋は始まりを告げた。

 ピアノを通して高め合い、通じ合い、そして心を通わせ合う、二人の恋が高鳴っていくのは、これからの話である。

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